小説の習作

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(九)


私は、バロックが借りているアパートに居候している。始め

は二三日のつもりでいたが、いつの間にか一ヶ月を超えた。と

云うのも、バロックの路上ライブが思いのほか中年のオヤジに

ウケがよく、実入りの方も若者相手の比じゃなかったので、私

は引き継きサクラ兼,プロデューサーではなく格下げされたアシ

スタントの仕事に在りついた。その路上ライブはちょっと不思

議な光景だった。取り囲む人々は中年のオヤジが殆どで若者は

少なかった。ただ、中年オヤジはノリが悪いので、なかなか集

まらなかった。そこで私がサクラになって懐かしい曲をそれと

なく演奏すると、遠巻きに足を止めて聞き耳を立て始め、彼の

歌が始まるとつられてゾロゾロと寄ってきた。そしてノリはじ

めるといつまでもリクエストが 続いて止まなかった。もちろん

バロックも七〇年代の曲を良く知っていて、ある時は六〇年代

のほとんどグレゴリオ聖歌の様な歌まで唄った。

 「誰の歌?」

 「オーティス レディング。」

 彼は三一歳で、私より三個上だった。

 「あんたマンガ描いてたんやろ?ほんだら絵描けるやろ?」

 彼は続けて言った、

 「あんたもなんか描いたモン路上で売ったらどうや?」

 私は成る程と云う思いと、とても自信がないと云う思いが頭

の中で交錯した。

 私は、始めからマンガ家に為るつもりは無かった。たまたま

投稿したマンガが最終選考まで通ったので、その気になってし

まったが、本当は画家に為りたかった。ただ、学校の美術部な

どには入らなかった。それは、家庭の暮らしをみて早々と自分

で諦めた。とても絵を描いて食べていけなかったので、学校を

出たらすぐに働くしかなかった。「絵」に「腹」は換えられな

かった。

 働いてからも休みには頻繁に美術館へ足を運んだ。その頃、

小林秀雄の「近代絵画」に衝撃を受けて、ボードレールの美術

批判も読み、洗脳されたのかドラクロアの絵画に心酔していた

。それからジョルジュ・ルオー、ドイツロマン派のフリードリ

ヒ、印象派の画家、ピカソの「海辺を走る二人の女」、北斎、

などなど。本当は絵画が好きだった。

         (八)

  また、寝過ごした。もっとも起きたとしても、二日酔いで行

けなかった。もう、連絡しなかった、つまり仕事を失った。「あ

あ、これからどうなるのか・・」、東京へ来てからの運のなさを

恨んだ。安定した生活を送ろうとすれば好きなことができない、

好きなことをやればすぐに生活ができなくなる。そんなことの繰

り返しで3年が過ぎていた、にも関わらず何も前に進んでいなか

った。二日酔いの血流の悪い頭で悩んでいると、絶望が絶望を呼

んだ。まるで自分だけが役も台詞も知らされないまま、舞台の上

に放り出された役者のように、周りで演じられる日常劇に右往左

往していた。ただこの孤立感は危険だと思った。なるほど人はこ

うやって犯罪を犯す様になるのか、社会が自分からどんどん離れ

ていく不安、自分には無関係にマニュアル通りに動く社会と繋が

りが薄れていくことの焦燥感、自分の存在を何によって確かめれ

ばいいのか?

  私は何故、社会を求めるのか。一方では個人の自由を望みな

がら、一方では、社会からの疎外を怖れる。ここには二極化し

た自分が在る。もちろん社会生活は、生命を維持していく上で

最も大事なことだ。私が困窮しているのは、まさに社会からの

疎外による。つまり社会は生命維持装置として在る。そうだ!

国家とは国民の生命維持装置だ!この考えはとても気にいった

。そして生命の保障を確保した個人は、自己の進化を試みる為

に、個人の自由を渇望するのだ。私はまず第一に生命維持装置

の確保を果たさなければならない。

 「あれっ?仕事行かなくていいの?」

 バロックだった。

 「もうやめた!」

 「ふーん、せやな、もうそんな仕事辞めた方がええな。」

 「だからもう辞めた。」

 「俺今から部屋探して来るから、もしよかったらその部屋の住

 所でちゃんとした仕事見つかるやろ?」

 「ありがとう。」

 「ほんだら、また昨日のトコで会おうや。行くわ。」

 バロックはギターを弾くマネをして、そして手を上げて去った

 。

 
 

  

          (七)

バロックに誘われて居酒屋で飯を食った。始めに私は、こう

云う生活に至った経過を話した。酒も入っていたので勢いづい

て熱く語った。バロックも私の熱を感じとってすぐに熱く語り

始めた。話題が何の関連もなしに飛び出してくるので、まるで

もぐら叩きの様に退治するのが大変だった。そのうち彼の大阪

文化論がテーマになった。

 豊かさには「フロー」と「ストック」がある。「フロー」の

豊かさとは、たとえば河に魚がいて、その魚を獲ろうと思えば

何時でも誰でも獲って食べれる。「ストック」の豊かさとは、

その魚を一網打尽にして、塩漬けにして「蓄え」、冬の魚の獲

れない時に備える。ただ冬の備えにするだけならさほど問題は

起きない。必要以上の「蓄え」は、それを独占する所有者にと

っては豊かさかもしれないが、「蓄え」が増すごとに河の魚の

数は減っていき、河「フロー」の豊かさは失われていく。かつ

て誰でも獲って食べれた「フロー」の豊かさは、一部の「蓄え」

る所有者によって壊されていく。

 大阪は、かつて「フロー」の文化、つまり庶民文化だった。

いくら金持ちでもそれを大っぴらに自慢するのは卑しいことだ

と慎んだ。つまり金持ちと云えども「蓄え」を誤まれば、再び

元の暮らしに返ることになる。庶民の暮らし「フロー」が衰え

ることは自らの身に返って来ることを知っていたので、庶民の

暮らしを尊重し共有した。

 1970年の大阪万博は、モノ作りの町大阪に大きな夢と技

術力の進歩をもたらした。貧富の格差は拡がったが、まだ庶民

文化は残っていた。20年後の1990年、花と緑の博覧会は

バブル期絶頂の中、モノ作りを忘れた大阪人は、濡れ手で「泡」

の金儲けに血道を上げていた。花の万博と謳われた博覧会は、

もとより花より団子の大阪人にとって、何の夢も技術の進歩も

もたらさずに花と散った。そしてバブルの崩壊。その後の地価

の下落、経済の混乱、格差の拡大、それに乗じてグローバル化

による東京資本「ストック」の進出。もはや大阪庶民「フロー」

文化は、東京金持ち「ストック」文化によって壊された。金持

ちが羽振りを利かせ、かつては卑しいとされた自慢も何の慎み

もなくテレビで流される。庶民文化が白々しく見える様になった。

豊かな暮らしとは金持ちになることだ。貧しい者が富む者を羨

ましく思うようになった。金持ちと貧乏人の間に大きな壁がで

き、暮らしの共有も消えていった。ただ、そういうことに鈍感

力の優れた「おばちゃん」だけが元気に生き残ってはいる。

 資本家にとっては、豊かさが「フロー」であることは価値が

無い。いくら魚がいっぱいいる豊かな河でも漁獲されて始めて

価値が生まれる。一部の所有者による「ストック」された豊か

さは、共有の「フロー」を貧しくし、それは大阪に留まらずに

中国で起き、アジアに広まる。我々アジアの人間は、この変貌

してしまったプロテスタントの資本主義者に「反抗」して、

アジアの「フロー」の文化をいかに守るのか今まさに問われて

いる。もはや日本もそのプロテスタントの手先だけどね。

社会の豊かさって「フロー」の豊かさだと思うんだけどね、

だって砂漠の中の石油王より森の貧者の方が豊かだよね。

 以上がバロックの大阪文化論だった。

 

               (六)

遅いブランチを済ませて街を歩いた。平日の午後と云って

も下町は人でごった返していた。足早に歩く人を避けながら

際限なく歩いていると、また元の駅へ帰ってきた。駅前の広場

では、ストリートミュージシャンが、何時終わるとも判らない

ギターのチューニングをしながら、周りの様子を見て、少しで

も演奏の無駄を惜しむかの様に、始めるタイミングを探ってい

る。足を止める者がいれば、何時でも始めようとしているが、

誰も立ち止まらないので始まらない。始まらないので誰も興味

を示さない。何時になったら始まるのか暇な私は興味を持って

見ていたが、そのうち心配になって仕方なくミュージシャンの

前へ行ってサクラに為ってやった。彼は驚いたように私の目を

見たが、意を決したのかピックを取って弾き始めた。

 「STAND BY ME」だった。私は可笑しくなったが、

彼は演奏に必死だった。テクニックはなかなかだった。ひとつ

の障害を乗り越えた後は、手綱を放された馬の様に続けさまに

唄った。二三曲知らないものがあったが、七十年代のフォーク

ソングは上手かった。気が付くと私の後ろには十人ばかりの中

年のオヤジが、遠巻きにしながら足を止めていた。終わりの合

図の様に大きく右手を振り下ろした時、曲の流れを遮る音が鳴

って終わった。すると幾人かのオヤジから拍手が起きた。私も

つられて手を叩いた。彼はしっかり汗をかいていた。三十才前

位の、そんなに若くはないが優しげな顔をした男だった。

 「何かリクエストあれば、出来るモノならやります!」

ノッテキタ。すると遠くの方から、

 「キャロル・キング!」と声が掛かった。

 「IT’S TOO LATE 、やります。」

私の知らない曲名だったが、曲が始まったら聴いた事がある曲

だった。それよりも彼は自信があったのか、聴かす、聴かす。

オーディエンスはさらに増えていたが、中年オヤジを中心に誰

もがその物悲しい調べに聴き入っていた。何度かサビのリフレ

ーンを繰り返す時には、一緒に小声で唄う人までいた。最後に

は周りを見渡す余裕すら見せて唄い終えた彼は、さらに多くの

拍手を浴びた。そればかりか、リクエストした男は感激のあま

り、ギターケースの中に千円札を放り投げた。つられる様に幾

人かが、コインを入れた。彼のストリート・ライブは熱狂のう

ちにアンコールのボブ・ディランが始まった。


私は、役割りを無事果たしたプロデューサーよろしく、すこ

し離れた一段高くなった植え込みの石に腰を下ろして、彼の営業

の様子を眩しげに眺めていた。私が離れてからも彼の歌声は益々

高く伸び、駅前のビルに響き渡って行き交う人は誰もが視線を彼

に向けた。そしてついに名残惜しいフィナーレを迎えた。起立し

て頭を下げ礼を云うと、オーディエンスも大きな拍手の後、三々

五々に立ち去った。しばらくすると私の方へやって来て、頭を下

げて熱唱の余韻の残った大きなかすれ声で、

 「どうも、ありがとう。」と彼が言った。

 「あなた、むかしの歌良く知ってるね。」

 「バロックしか唄えんのや。」、関西弁だった。

 「バロック?」

 「古い唄のこと。」

 「ああっ、なるほど。」

 彼曰く、いままで一度もバンドのユニットに入ったことが無か

ったので、いつも一人で出来る曲を探していると「バロック」し

か無かった。それで「バロック」ばかりやっていると、本当に好

きになって、今では七十年代の弾き語りこそが自分に合うと言う

ことだった。

 「今日、はじめての路上やったから、ちょっとビビってたけど、

 兄ちゃんのお陰で上手いこといったわ。ほんま、ありがとう。」

 「へえーっ、はじめてだったの、その割に上手かったね。」

 「今日は声がヤバイからもうやめるけど、明日また、ここでや

 るからよかったら来て。」

 彼は大阪の会社を辞めて、音楽で勝負する為にギターひとつで、

三日前に東京に出て来たらしい。それで、何処か安く寝れる処を

知らないかと言うので、自分が使ってるネットカフェを教えてや

った。彼はその金額に喜んで「そうするわ。」と言った。当然、

その夜も顔を合わすことになった。






 

(五)

「ぽちゃっ」

水面を跳ねる魚の音で、目が覚めた。気付かない間に眠ってた。

やはり、ネットカフェのリクライニングシートでは、睡眠は満た

されない。手足を伸ばして寝ることがそれほど大事だとは、こん

な暮らしになるまで分からなかった。いつも頭の中は、「どこで

寝るか」が占めている。「何の為に生きている?」と聞かれると

、間違いなく「寝る為に生きている。」と答えるだろう。街を彷

徨っていても、人を気にせずに眠れる「夢の楽園」ばかり捜して

いる。棲家を無くす事は、睡眠を無くす事だった。アウシュビッ

ツでは不定期な水滴の音で眠らせない拷問があったらしいが、自

分の身に何時何事が起こるか分からない状況では、水滴が落ちて

こない事すらにも神経を消耗させ、疲労困憊の末に、ついには死

を覚悟しながら無意識の中に眠るのだろ。次の憲法には是非「如

何なる睡眠も、これを犯しては成らない。」と云う「睡眠の自由」

を保障して欲しい。夜中にホームレスのテントに押し入って、眠

っている人間を殴り殺すのは、いかに残酷なことか知るべきだ。

 「ぽちゃっ」

魚は良いよなあ、泳いでいるだけで、いつも目の前に食べるもの

がやって来るもんな。人の世界は、ただ歩いてるだけで目の前に

、納豆定食やカレーライスが浮いて来ること無いもんな。次に生

まれて来る時は、絶対にプランクトンを餌にする魚に成りたい。

でも、自分も大きな魚の餌になるんだろうけど。

 お腹が空いたので、何か食べなくちゃ。

万引き、物乞い、情けを乞う、これを私は強く自分に禁じてい

た。それはきっと楽な方法だろうが、手を染めると抜けられなく

なるのが嫌だった。もちろん一生こんなことはしてないぞ、と思

っていた。一度二日間食えない事があった。永く仕事を続けて、

週末には五万円程のお金があったが、久々の大金に目が眩み、大

盛り牛丼たまご付き、カプセルに泊まって、缶ビール飲んで、エッ

チビデオに興奮し、人並みの暮らしを味わうと、そんな暮らしに

ケリ着けて、たったひと間の部屋でいい、楽な暮らしがしたくな

り、一攫千金夢に見て、開店前のパチンコ屋、早速3箱出たけれ

ど、止めて帰るか思案橋、うまくいったら仕事をせずに、ひと月

遊んで暮らせると、よくよく欲に勝てなくて、取らぬ狸の海物語、夢

を見たのは一瞬で、折角出ていらしたお玉さんに、お茶を出す間

もなく帰られて、呼び戻そうと追い銭を、有り金叩いて投げたけ

ど、「海」の藻屑と為りにけり。有り金を摩ってしまった。


 落ち込んだ、本当に落ち込んだ。それ以来、私はすこしずつ金

を残そうと思った。一日二食にして、昼はスーパーで2本100

円の袋入りのフランスパンと100円の砂糖を買い、砂糖を水で

溶かしてパンにつけて食べている。


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