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(三十九)
「君は、売れたいのかね?」
「それとも何かね、名を残そうとでも思っているのかい?」
著名な美術評論家の女社長のパトロンの高級ホテルの部屋で暮
らす禿げ頭の初老の中年の紳士が言った。
私は予定どおり、個展の打ち合わせの為に女社長の画廊に行っ
た。ドアを開けて中に入ると、女社長を背で隠すようにして座っ
ている、見覚えの有るまーるい頭に目が行った。彼はすぐに気付
いてソファに掛けたまま振り返った。私は彼が来ているとは思わ
なかったので驚いた。女社長が席を譲って呉れて、私は座る前に
先日の会食の席での無礼を詫びて、蝶番のように腰を曲げた。
「まあまあ、済んだ事、済んだ事。」
彼は随分と柔らかい対応をしたので私は少し気になった。おそ
らく女社長に諭されたのだろう。その女社長は、何時もの思わせ
振りな目配せはせずに私たちの横に静かに腰を掛けた。
ギャラリーのスペースには何も飾って無くて、その下には最近
まで吊るされていただろう子供たちの絵画が無造作に重ねられて
立て掛けてあった。まーるい彼は、子供達に絵画を通して豊かな
情操を養ってもらおうと、童画のコンクールを、デパートなどの
スポンサーに協賛してもらいながら夏休みに催していた。そして
その奥に、私が以前に持ち込んだ作品、例の川面から見た東京の
夜景が、なんとも無造作に重ねられて童画の横に並べられていた
。
「君は、売れたいのかね?」
「それとも何かね、名を残そうとでも思っているのかい?」
その言葉には、ロクに勉強もしなかった門外漢が、たまたま売
れたからと云って画家を気取るんじゃないぞ!と聞こえた。
「売れませんか?」
私は、自信があっただけに彼の態度に不服だった。
「重いんだよ。」
「はあ、」
「いいかい、大衆がこんな重い絵画の飾ってある部屋で生活が
できると思うかい?もしも君が、売れなくてもいいから描きた
い絵を描いて行くと言うのなら、別に口を挟むつもりはないが
、今という時代はそういう重たいものは受け入れない時代だ。
それは絵画に限らず、音楽も、文学も同じだ。」
「・・・。」
「この国では今、一億三千万人で『金』の奪い合いをやってい
るんだ。いや経済のグローバル化で六十五億の人間で奪い合っ
ているのかもしれない。地球全体が鉄火場になってしまった。
人は昼夜を問わず数字に追い捲られて身を削って利益を追い求
めている。もはや、そんな者達にいかなる文化も無用のもので
しかない。彼らの望みはただ旨いものを食って、いい女を抱い
て、いずれは楽して暮らしたい、それだけだ!そんな畜人に人
間の本質を問うたところで競馬の耳に念仏だ。芸術全般は萎縮
してしまい、小説は『一杯のかけそば』のようなお涙頂戴物の
カタルシス(排泄、浄化)に酔い、音楽はかつて創られたもの
が質屋のウインドウに並ぶだけで、絵画は、ああっ絵画は、画
家の自己中心的なカタルシスに嫌気が挿され、アニメオタクに
取って代わられた!」
「・・・。」
「そんな時代に君の絵画は、パチンコ屋で熱くなっている客に
宗教への改悛を説いて回っているようなものだ。」
「はあーあっ?」
(つづく)
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