小説の習作

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(十四)

 バロックが死んだ。自殺だった。

 徹夜で仕事を片付けた後で、寝る前の缶ビールを一口飲んだ時

に携帯が鳴った。知った者は掛けて来ない時間だったので、しば

らく出ないで放って置いた。しかし、いつまでも呼び続けるので

仕方なく出た。バロックの彼女からだった。泣きながら話すので

何を言っているのか聞き取れなかった。

 「死んでる!」

 言葉は理解できたが、疲れと眠さのせいで事態がよく飲み込め

なかった。しばらく携帯を耳から放して、ボー然とした。

 「バロックが死んだ?」

 「何で?」

 彼女は何も言わないで、ただ泣き続けるばかりだった。

私は、繋がらない糸を、それでも繋げようとするかのように 

同じ言葉を何度も繰り返した。

 「バロックが死んだ?」

 「何で?」

窓からは昇り始めた春の日が痛いくらいに差し込んでいた。

(十三)

 東京タワーを描き足しただけの絵はおもしろい程売れた。その

後は風景を忠実に写して、浅草寺、六本木ヒルズ、東京駅、バロ

ックの云う様に、いずれも高層ビルと一緒に描いた。そして、テ

レビ局が取材にきてからは、絵を描くのが間に合わなくなり、絵

の売値が信じられない程はね上がった。もはや路上で売る必要も

なくなり、マンションの一室を借りて注文の絵を、寝る間もなく

描いた。その後もテレビ番組で何度も取り上げられたが、私の生

い立ちを、私にしては面白くない扱い方で放送したので、それか

らは取材を受けない様にした。「ネットカフェ難民から成功を手

にした画家」だった。

 ホームレスの頃は、豊かな暮らしに憧れたが、いざある程度生

活の心配をしなくても良くなってみると、ただそれだけのことで

、今までの心の重圧から解放された訳でもなく、何だこれが豊か

さか、と思い描いていた暮らしとの違いにがっかりした。何台車

を持っていても実際に乗れるのは一台だけだと云うことだ。また

、前に行けば前に行ったで競争が続き、上がりの無い双六をやっ

ている風だった。手の平を返した様な扱いに、逆に恐ろしさを覚

え人間不信になって、かつて気ままに歩い街も出歩く気にさえな

らなくなった。ああ、これが私の望んでいた暮らしかと、絶望に

襲われて酒浸りの自堕落な日々を送っていた。

             (十二)

二人の路上ライブは約束の地を追われ、新天地を求めて彷徨

った。バロックは、早く道の上から抜け出して、板の上で演ろ

うと曲作りに精を出していたが、益々ヒステリーになって、

詰らない事でも私に当り散らした。私は、段々一緒に演れなく

なって、代わりにバロックの彼女がサクラ兼アシスタントに成

っていた。バロックと私の「サイモンとガーファンクル」は終

わり、バロックと彼女による「カーペンターズ」が始まってい

た。私はその頃はもう人目も気にならなくなって、一人で自分

が描き貯めた東京ビル街の墨絵を、地べたに並べて売ろうとし

たが、全く売れなかった。このまま、また難民生活に戻ること

を怖れたが、どうしようもなかった。

 ある時東京の外れで、いつもの様に絵を並べていると、しば

らく会わなかったバロックと偶然出合った。彼も同じところで

路上ライブをする為にやってきた。随分会わない間に彼の目は

、本来の優しさを取り戻していた。一緒にいた彼女が声をかけ

てきた。

 「やってるじゃん!独立したーって感じだね?」

しばらく彼女と話をしていると、バロックが私の絵を見ながら、

 「〇〇ちゃん、東京タワーを描いたらええのに・・・」

と言った。

 「それとか、浅草寺とか、六本木ヒルズ、東京駅・・・」

 「観光名所を入れたら、観光客には受けるんちゃうか?」

私は、「そうか!」と思った。




ミック・ジャガーは18歳に始めたことを、60歳を超えても

まだやっているんだぜ。これってすごいと思う?俺はそうは思わ

ん。まだ、やってんの?だよ。つまり人はそんなに変われっこな

いということや。だから、18で始めようが60から始めようが

どうってことないんだ。

 バロックの口癖だった。その日、三人で久々に一緒に唄った。

ハケた後も遅くまで飲んだ。バロックの関西弁を久しぶりに聞く

と何か元気になった。


 

              (十一)

  バロックの路上ライブは、マイクを使わないと声が届かない

程人気を得ていた。私も毎日同じ歌を聴いていたので自然と覚

え、バロックと一緒に唄うこともできる様になっていた。特に

サイモンとガーファンクルの歌は覚えるのに苦労したが、人気

のナンバーだった。我々は食うことに苦労していたので、「こ

ぶくろ」の向こうを張って「いぶくろ」と名乗ることにした。

 バロックはファンだった彼女と一緒に暮らしていたので、彼

の部屋は私がその後を借りていた。彼はコピーばかりのパフォ

ーマンスに嫌気が差して、オリジナルを作ろうとしていたが、

なまじオールディーズばかり演っていたので、今日性が掴めず

に苦しんでいた。対象も中年にするか若者にするかでも悩み、

よく、ヒステリーを起こす様になった。

 私の高層ビルの水墨画も、思い通りにはいかなかった。始め

は定規を使って試みたので、マンガの背景の様な味も素っ気も

ないモノになった。フリーハンドで描こうとしたが、思い通り

の線が引けなかった。一瞬の思いつきは、一瞬のツマズキで挫

折した。つくづく新しいものを生むことの難しさをバロック同

様に実感していた。話が変わるが、もし中国の経済が失速する

とすれば、今の様に安易に先進国のコピーばかりしていて、本

来の自分達の技術力が身に着かないままで終わる時だろう。い

かに他に先駆けて新しいモノを創りだすことが、困難なことか

理解しようとしないなら、きっと上手く行かないだろう。

 私とバロックの路上ライブは、あまりにも目立ち過ぎる様に

なって、ついに、その辺りを仕切る三年何組か忘れたが、俺達

の相手にならない血の気の多い方々の「誰の許可貰てやっとる

んじゃ?!」の一言で、できなくなった。

(十)


私は子供のころ、路上にロウ石で絵を描くのが一番の楽しみ

だった。その所為でモノを描く時に筆圧が強くなる癖が残り、

筆を使う書道は苦手だった。自分の書いた紙の裏は、いつもペ

ン跡で裏返しの字が読める程だった。軽やかに流れる草書を見

るとほんとに上手いなあと思う。軽い線を引けるように独学で

ヒマな時は、何時も毛筆の練習をしていた。いよいよ部屋を出

なければいけなくなった時、マンガの道具は実家へ送ってしま

ったが、何故かその毛筆の道具だけは手持ちのバッグに忍ばせ

ていた。

 私は、一時路上で人気のあった書のパフォーマンスを思い出

し、さっそく百円ショップで画用紙のスケッチ帳を買ってきて

、あいだみつを風に揮毫した。

 

       こんな暮らし

       人間じゃない
              ネットカフェ難民
              ああいやだ みつを
 

 こんなもの誰がカネを出して買うか!やっぱり絵にしようと

思った。絵になる風景を探してスケッチ帳とペンを持って街へ

でた。しかし東京の何処を探しても水墨の絵になる風景はなか

った。疲れ果てて高層ビルの玄関前の広場で、ベンチに腰を掛

けた。そして目の前の高層ビルを眺めながら、ふと、ある考え

が閃いた。この高層ビルの風景を水墨で描いてはどうだろう?      

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