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红色的花,白色的花/愛される花 愛されぬ花
歌词曲:中岛美雪(同尘译2011/12) 红色的花儿在摇摆;被人爱护的红色的花 爱的呵护染红了面颊,感到羞涩的她 白色的花儿在摇摆;没人疼爱的白色的花 垂着头儿轻轻地摇摆,感到羞涩的她 如果那个人,念念不忘只喜欢它 天生只喜欢红色的花。那做什么也没用了 被人爱的红色的花,没人爱的白色的花 花开又花谢,都是一生一次的同一个春天啊 红色的花儿凋谢了,在惋惜声中凋谢了 “下一个春天,下一个春天”,留下无限的渴盼 白色的花儿凋谢了,无声无息地凋谢了 飘落在风中,飘落在风中,悄悄消失在远方 如果那个人,念念不忘地念着她 总是想着念着红色的花。那做什么也没用了 被人爱的红色的花,没人爱的白色的花 花开又花谢,都是一生一次的同一个春天啊 如果那个人,念念不忘只喜欢它 天生只喜欢红色的花。那做什么也没用了 被人爱的红色的花,没人爱的白色的花 花开又花谢,都是一生一次的同一个春天啊 うん、「ただ赤い花を生まれつき好きならば」か、僕は白い花が好きです。赤い花は綺麗だと思いますが、とても好きになったことはありませんでした。赤い葉っぱならとても好きです。 この歌は中国で「原来你也在这里」とカバーされ、かなりの頻度でリメイクされています。 原来你也在这里 作词:姚谦 请允许我尘埃落定 用沉默埋葬了过去 满身风雨我从海上来 才隐居在这沙漠里 该隐瞒的事总清晰 千言万语只能无语 爱是天时地利的迷信 喔 原来你也在这里 啊 那一个人 是不是只存在梦境里 为什么我用尽全身力气 却换来半生回忆 若不是你渴望眼睛 若不是我救赎心情 在千山万水人海相遇 喔 原来你也在这里 请允许我尘埃落定 用沉默埋葬了过去 满身风雨我从海上来 才隐居在这沙漠里 该隐瞒的事总清晰 千言万语只能无语 爱是天时地利的迷信 喔 原来你也在这里 啊 那一个人 是不是只存在梦境里 为什么我用尽全身力气 却换来半生回忆 若不是你渴望眼睛 若不是我救赎心情 在千山万水人海相遇 喔 原来你也在这里 啊 那一个人 是不是只存在梦境里 为什么我用尽全身力气 却换来半生回忆 若不是你渴望眼睛 若不是我救赎心情 在千山万水人海相遇 喔 原来你也在这里 该隐瞒的事总清晰 千言万语只能无语 爱是天时地利的迷信 喔 原来你也在这里 劉若英の歌ったものはもっとも有名かと思います。いい感じです。中国語の発音がうまく生かされていて、面白い味がでています。歌手もアイドル系というよりは歌で勝負するタイプです。 歌詞の方は知名作詞家の「姚谦」ですが、まあ、いつもどおりの、形だけが綺麗で中身がないスタイルです。中国風に言えば「無病呻吟」(病気でもないのに喚くふりをする、無味陳腐で真実味がない)ですが、しかし音としては実に歌いやすくて曲と調和しています。とても感心しています。いいところも、悪いところも、さすが「プロ」だなぁ、という感じです。 私は何事についてもプロを目指すことに抵抗を感じています。向いていないかもしれません。「塵」というニックネームも「同其塵」という老子のことばから来ています(中国語のブログは「同其塵」とそのままですが)。原文は「挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵」で、最後の三文字だけを取りました。実は当時最初の九文字にだけ深く同感していましたが、最後の三文字がしっくり来ませんでした。それでいてどこか強く惹かれるところがあったので、ブログの名前にしました。 「同其塵」にはいろいろな意味や解釈があります。私の道にあってははっきりしています。それは「プロ」より真剣に、そして「アマ」より純粋に、ということです。人は本を作品にして文学と見なすならば、私はブログでただ淡々と綴っていくだけ、人は学問論文などに思想哲学を求めるならば、私は最初の哲人たちが市井でやったのと同じように、むしろ掲示板に降りて、在野の身を保っていきます。輝かしい世界に対して地味さを取り、数々の殿堂に棲みつかず、しかしそのもっとも精なるものを吸収し、持ち出して人々へと撒き広げていきます。 きっとこれが私に才能を授けてくれた天が、私に望む道だろうと、近頃思うようになりました。 http://www.youtube.com/watch?v=mJKsKOhxdvo |
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ブログ名が老子の言葉からとられたものだとは不勉強でちっとも知りませんでした。
姚谦という人の歌詞が塵さんのおっしゃるような意味で感心できるものなのかどうか、ぼくの中国語のレベルの問題だと思いますけれど、残念ながらちっともわからず、また劉若英の歌声も良いと思いませんでした。
2011/12/12(月) 午後 2:21
蓮さん、こんばんは。
まあ、「道徳経」は短いといっても五千字もありますから、僕も繰り返し吟味したことがありますが、適当に三文字を抜き出してきて知っているかと問われれば、自信がないですね。
普通に聞いているだけだとあまり気にしないですが、歌はやはり歌いやすさと響きの美しさがありますね。詩とはかなり違った感覚になります。僕も最初はよくわかりませんでしたが、四十近くの歌詞を訳して、今やっと感覚がわかりつつところです。やはり数をこなせば自然に上達するものでしょうかね。
歌声ですが、原歌と比べてしまうと中国大概のポップスがつまらなく感じてしまいます。これは僕だけでなく、日本語がわからない中国人でも今まで大好きだったあの歌は元のものと比べると色あせてしまうと言っています。劉の声はあくまでも数多くあるカバー曲の中で比較的に良い方だと感じました。
2011/12/14(水) 午後 10:09 [ 塵 ]