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久しぶりに面白い歌を聞いて興が乗ったので、ざっと翻訳しました。
翻訳自体も久しぶりで、久しぶりにわくわくしました。
近頃機械学習をやっているので、グーグル翻訳はどうなるかも気になったので貼り付けました。
笑ってしまう間違いがある一方で、こんな訳を出すのかと驚かされる箇所もある。恐るべしグーグル。考察の方はまた後日。
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不想干活
(同其尘译)
打首獄門同好会(砍头鬼门俱乐部)
呜啊 呜啊
懒得去打工
啊啊 啊啊
不想起床
身体还很累
缺乏休息
但更缺钱
所以得干活,心里虽明白
不想干活
不想干活呀
不想干活呀
不想干活呀
不想干活呀
勒〜勒〜
老板很凶
啊〜啊〜
客户很刁
抓不到主动权,容易受牵连
被对方牵着走
明知是火坑,无奈只能向前走
这活太累
这活太累呀
这活太累呀
这活太累呀
这活太累呀
不想干活
不想干活
不想干活
不想干活
不想干活
不想干活
不想干活呀
可是还是干活了
这活太累呀
回家好好休息呀
因为还有明天呀
明天会有什么呢
祈祷好的一天呀
想激动,想心跳呀
不想干活 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
我不想工作
(谷歌译)
斩杀监狱俱乐部
弗农弗农
咬得很重
呵呵呵呵
我不想醒来。
我没有疲惫不堪
我没有假期
钱还不够
所以我知道我必须工作
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
钵钵
老板很可怕
呵呵呵呵
客户很强大
它往往被抓住而没有按照我的步伐
虽然我是对手的步伐
认为它已成为一件严肃的事情是不可避免的
工作
你辛苦了
你辛苦了
你辛苦了
你辛苦了
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
我不想工作。
但它奏效了
你辛苦了
你会慢慢放松
明天会再来
它会是哪一天?
我希望这是美好的一天
我很兴奋,也很兴奋
我不想工作。
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以下元歌詞
はたらきたくない
打首獄門同好会
ヴァー ヴァー
バイト だるい
あー あー
起きたくない
疲が取とれてない
休が足りてない
お金も足りてない
だから働らかなきゃいけないとわかっているけれど
はたらきたくない
はたらきたくないね
はたらきたくないね
はたらきたくないね
はたらきたくないね
ぼー ぼー
ボス がこわい
あー あー
客がつよい
自分のペースを握られないまま 巻き込まれがち
相手のペースに乗っかってるうち
大変なことになってるなとは 思いつつ避けられず
はたらきつかれる
はたらきつかれたね
はたらきつかれたね
はたらきつかれたね
はたらきつかれたね
はたらきたくない
はたらきたくない
はたらきたくない
はたらきたくない
はたらきたくない
はたらきたくない
はたらきたくないね
でもはたらいたよね
はたらきつかれたね
ゆっくりやすむよね
あしたがまたくるね
どんな日になるかね
いい日だといいよね
ワクワクわくわく したいよね
はたらきたくない
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悟净的感叹——沙门悟净的手记
午饭后,师傅在路边的松树下稍憩。悟空趁机把八戒叫到了附近的空地上,练习变身的法术。
“你变一下试试!”悟空说,“记住要从心底里想要变成龙。知道吗?要从心底里希望,无比强烈地、无限彻底地去渴望。要把杂念全扔掉!明白吗?得认真地想要变化。要无比专注、无比彻底地,用心去渴望。” “好!”八戒闭上眼睛,双手结印。于是八戒的身体消失了,但只是变成了一条五尺多长的青蛇。我在一旁看着,忍不住“噗!”地笑出了声来。 “呆子!你只会变青蛇吗!”悟空斥骂道。于是青蛇消失,又变回了八戒。“我变不成啊!到底为什么呢?”八戒很没面子地撅起鼻子哼哼着。 “不行!不行!你的精神一点儿也没有集中。你重新再变一次!我告诉你啊!要严肃认真地、没有半点儿虚假地、从心底里去渴望,要在心里反复地吟念,我要变成龙!我要变成龙!要念得让你的念头里只有想要变成龙的愿望,其他什么也不剩,甚至就连你自己都可以消失!” “好!”八戒又一次闭上了眼睛。这次与上次不同,变成了一个极为奇怪的东西。仍是一条蟒蛇,却像蜥蜴一样长着小小的前爪。腹部胖乎乎地向外鼓着,和八戒的肚子一模一样。短小的前脚向前移动着爬行了两三步,可以说是难以言喻得难看。那迟笨的姿态逗得我捧腹大笑。 “行了!行了!别练了!”悟空气得大吼。八戒挠挠耳朵,又变了回来。 悟空:你想变成龙的心思还不够彻底!所以才变不好! 八戒:才不是这样。我都这样拼命努力了,这样真切地渴望能变成龙。我是如此地强烈,如此地一心一意啊。 悟空:你没能变成龙的事实就已经证明了你的心念还不够!精神没有统一! 八戒:大师兄你这样说就太过分了。这不是以结果断定一切吗? 悟空:不错,的确。只根据结果而批评作为原因的动机,这种考虑问题的方式绝不是最好的。但是!在这个世界上它仍是最实际,同时也是最有效的办法。尤其是用来判断现在的你!它最合适! 根据悟空的说法,变身的法术在本质上是这样的。即,只要希望变成某东西的心愿能达到足够纯粹、足够强烈的状态,最终便能变成这东西。而变不成则是因为心还不够纯一。所谓法术的修行,其实就是学习如何让心灵统一并保持其纯粹强烈的修行。这修行的确是困难的。不过一旦成功一次,能达到这一境界,再变化的时候就不需要最初修炼时的艰苦努力了。这时只要将心置于其形,便可变成其物、自在无碍。此理亦适用于其他各种技艺。人类学不会变身术而狐狸却能学会的道理也在这里。人类有着太多的事情需要关注,这就容易分心,因此精神的统一便成了至难之事。相反,野兽没有这许多的劳心琐事,精神的统一也更为简单。云云。 悟空的确是天才,这毫无疑问。在第一次看到这只猴子的瞬间,我就感到了他的非凡。起初看到那张红颊毛腮的脸时,我也觉得他很丑。可是在下一个瞬间,他内在的东西就把我震慑住了,而至于长相的问题,便早忘得无影无踪了。现如今,我甚至感到那只猴子的容貌是很美的(即便说不上美,最少也很出众)。悟空的神情与举止之中,都无不热烈地洋溢着他对自己的信任。这个人是说不出谎的。在欺骗别人之前,他首先无法欺骗自己。这个人身体里时刻都燃烧着一团火。大器,而热烈的火。这团火还会迅速地传烧到他身边的心灵中去。听着他的言语,你就会自然而然地、无法抗拒地相信上他所相信的事情。只要在他的身边,你的内心里便也会开始充溢起丰富的自信。他是火种。世界是为他准备的干柴,为了被他燃烧而存在。 许多在我们看来平平无奇的事情,到了悟空的眼里,往往都立刻会成为精彩冒险的开端,成为激起他一系列壮烈的行动的催化剂。这与其说是外在的意义与价值吸引或刺激了悟空,倒更像是悟空赋予了一个个外在事物以其价值和意义。它们就像是一堆堆无力地沉睡在外部世界的冰冷的火药,是悟空,用他胸中的烈火将其一个个点燃。不是以侦探的眼睛去寻找蛛丝马迹,而是以诗人(极粗野的诗人)的心去温暖他所接触的每一件事物(偶尔也会热过了头而差点把东西烤焦),从中生出各种让人意想不到的萌芽,并最终结出果实。所以,在孙悟空的眼里,没有什么事情是平乏无味的。每天早晨醒来后,他都一定会去观拜日出,每次,他都像有生以来第一次看到日出一样惊叹,然后陶醉于朝日之美。他会从心底叹息,然后发出由衷的赞美。几乎每天早晨都是这样。这个人,就连看到一粒松树种子发出嫩芽,也要感叹一下生命的神奇。 悟空,一方面是如此地纯粹无邪,而另一方面,看看他与劲敌搏斗时的姿态吧!那简直,就是完美!毫无瑕疵!瞧,那凝聚了力量的强健身躯,没有半点可乘之机。看,那充满了跃动感的棒法,但同时又如此精湛、动作中没有一丝多余。 …… -------------------------------
原文「悟浄歎異」(中島敦)は青空文庫で見られます。 ーーーーーーーーーーーーーーーー
感想
中島敦といえば「山月記」や「李陵」そして「弟子」など、中国を題材とするものを連想されるでしょう。文体の方は難しい漢字を駆使して非常に端正で中国古典のような雰囲気がある、というのが一般的なイメージのようだ。 実は中国モノが彼の作品の一部に過ぎない。古代ペルシアやエジプトから激動の中国近代まで、植民地だった韓国から南洋諸島まで、中島敦は実に幅広い範囲の題材を扱っていた。その教養も漢詩や短歌からショパンの音楽まで、孔子、荘子や韓非子などの思想からプラトーンやカフカの西洋哲学まで、層が厚い。それもただ読んで筋を理解するだけの学者と違って、凄まじい精神の苦闘の中でこれらの思想を体験した痕跡がある。あのまま書き続けていれば恐ろしい大家になったに違いない。しかし三十一歳の若さで亡くなった。 私はこれまでニーチェやモーツァルト、ヘルダーリンやゴッホなど多くの若くして亡くなった偉人たちに惹きつけられてきたが、中島敦ほど惜しいと思う人がいなかった。というのは、普通の偉人たちはすでに十分その天分を発揮して膨大な遺産をくれたが、中島敦の場合はその前に亡くなった。彼は苦境をくぐり抜けたばかりであった。苦しみから生まれ変わり、これから羽ばたいて飛び立ち、もうすでに形成された美しい結晶たちをものにしよう、というまさにその時、彼が病に倒れたのである。中島敦を読めば読むほど、そのすでに書かれた作品の価値よりも、その無限の可能性を驚嘆せざるを得なかった。彼は病床に横たわって意識朦朧としていた時でも「書きたい、書きたい」と呟き続けたそうだが、よほど無念だったでしょう。 話を戻して、中島敦が生前に発表された作品には、「光と風と夢」、「南島譚」や「古譚」などがある。大部分が中国と関係ない。そして、これらの作品と中国を題材にしたものは文体が違う。同じ端正な文に違いないが、中国の古典から題材を取ったものは古典の雰囲気を醸しだそうとして様々な工夫がなされている。文体からみれば、中島敦の体表作と呼ばれる「李陵」などがむしろ特殊なものだと言わざるを得ない。 今回試しに訳した「悟浄嘆異」だが、これは中国の題材を扱いながら、文章の方が彼一貫のスタイルになっていて、「中国古典臭」がない。しかし実のところ、私が一番訳したい中島敦の作品は「中国古典臭」のするものである。これは一見して訳しやすいように見えるかもしれないが、実は文体の扱いが難しい。 「山月記」に手をつけてみたが、すぐに挫折した。ある箇所では中国古典の味に忠実になるように訳文も古語的にするしかないが、別の箇所ではやはり現代文で処理したほうがいい。その結果、訳文のリズムがゴチャゴチャなものになってしまい、おかしい。それで大体の意味は伝わるだろうが、文体がみっともない。中々原文のように自然な文体を作れない。他の訳者がどうしているだろうかと思って、他人の訳も一部手に入れて参考してみたが、感心しない。文体をあまり気にしていないように見える。 ここでまず「中国古典臭」のない作品から始めることにした。こちらもいい作品がたくさんある。また、「李陵」や「弟子」の文体も単なる変化形だろうから、普通の文体になれておけば、あとにどうすべきかがおのずと見えてくるでしょう。 |
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