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2014年11月30日
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♪ぼうや〜。良い子だ 早よ起きろ〜
さて。(第3話)は『なす長者』っちゅうお話だす。(笑)
むかしむか〜し。とは云っても奈良時代とかってことは無いよ。
まあ。昔のお話だね。(笑)
或る村に、夫婦仲の良い「なすび」の老夫婦がいたそうな。
春夏秋冬、苦しみも悲しみも、そしてたまにある楽しいことも、
いつもふたりで分かち合って暮らしとったそうじゃ。
夫婦が祝言を上げたのが、もう早や40年も経つ頃、
婆さまがポツリと一言、爺さまに打ち明けたそうじゃ。
婆さま「ねえ。爺さんや。私ら夫婦は回りの誰もが認める
くらいの、仲良し夫婦なのに、どうして子宝に
恵まれんかったんかねぇ。」
爺さま「すまんのう。婆さんや。ワシも若い頃には、
それなりに頑張りもしたが、ついに出来んかった。
神様が本当にいらっしゃるものなら、ひとつだけ
ワシら老夫婦の願いを叶えてもらえんかのう。」
そんな話をしておったところ、近所に住んでおった
よろず学者の桃次郎爺さんの耳に入った。
桃次郎爺さんは、なすの老夫婦に、鎮守の森の「木花咲耶姫」様
を詣でるようにと、教示してやったのじゃった。
老夫婦は桃次郎爺さんが教えてくれることに間違いは無いと
確信し、「お百度参り」
をやり遂げたそうじゃった。
それから何日か経った或る日、婆さまが急にオナカが減って
しょうがないと云い始めたらしいっす。
これは何か病気にでもなったんじゃないかと、桃次郎爺さんの
ところに夫婦で訪ねたところ
(※注:手ぶらじゃないよ。手土産持ってだよ。)
桃次郎爺さん「おおっ?!まさか!まさかの真坂詠三!」
「ややができちょるばいね。来年生まれる。」
と診断してくれたらしいっす。
そして新しい年を迎え、草花も芽吹く頃、老夫婦が待望した
元気な男の赤ん坊が生まれたんじゃと。
老夫婦はたいへん喜び、赤ん坊に「徹也(てつや)」と名付け
たらしいっす。
徹也はすくすくと大きくなり、両親の身長を軽く超えるにも、
そう時間はかからなかったそうじゃ。
ひとり息子の徹也が1メートルを超える頃、
なすの老夫婦は長かった寿命を全うしたんじゃと。
最後までいっしょに、仲良く旅立ったそうじゃ。
両親を同時に失くした徹也じゃったが、
どうしたものか「なす」に成長せず、
「そてつ(蘇鉄)」になってしまったらしいっす。
そのような不思議な出来事から
『親はなすでも、子はそてつ』と云う話になり、やがて
『親はなくても、子はそだつ』に変わったっちゅうらしいっす。
そてつに変身し、立派に育った徹也は、学業も優等、人格円満
で、しばらく東京で修業した後、村起こしのために地元の村に
帰ってきたんじゃって。
元来、「地産地消」のささやかな暮らしぶりじゃった村じゃっ
たが、徹也の企画力によって都会のニーズに合う
「新鮮で安全・安心な農作物」を栽培・販売するようになった。
個人の利益ではなく、住民の福祉のために蘇鉄の徹也が功績を
上げたと云うニュースは、瞬く間に広がり、公共の中心である、
駅・役場・学校等に、全国津々浦々の公共団体はこぞって
「蘇鉄(そてつ)」を植林したと云うことである。
その後、徹也は堅実な経営を持続的に行った結果、
那須高原に「別荘」を持つまでになったと云う噂じゃ。
めでたし。めでたし。(笑)
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むかしむか〜し。
とは云っても、そげな昔のはなしでもなかデスタイ。
神奈川県の藤沢村と茅ヶ崎村の境目に「辻堂」と云う小さな集落が
あったそうデスタイ。
そこにひとりの男の人が住んでおったそうな。
男の名前は「ピコ蔵」と云ったそうデスタイ。
仕事は東京の食品会社の営業マンだったそうデスタイ。
年の暮れも押し迫るなか、消費税が上がったことやら
国際的ないろいろで、
昨年の販売実績に基づいて製造したけど売れ残った
「たらばガニ」の缶づめを、どうにかその週、つまり一年の
最後の週中に売ってこいと、営業部長に発破をかけられていたらしい。
営業部長の名前は・・・。
もう書かなくてもわかるデスタイね!
玄白桃次郎。
そう。なんかいろんな色でできた名前の「ぶっちょさん」
だったそうデスタイ。
玄白部長「おい。ピコ蔵。おまえは本当に部内でいちばん成績が悪い。
このままでは年明けには、もうお前に任せる仕事は無い。
マジで云ってるんだからな。いいなっ!」
ピ コ 蔵「はい。わかりましたサー。売って来ますサー。」
そう云って会社を出たものの、もう売る宛てなど残っていなかった。
受け持ちの全ての顧客の会社に入れてもらうだけ入れてもらったから。
会社を出ると冷たい雨風が、ピコ蔵のほほを濡らしたらしいっす。
取りあえずコンビニで透明の傘を買いました。(324円:税込)
ピコ蔵の住んでる「辻堂」に較べると、やっぱり東京は寒かデスタイ。
コートも羽織らず出て来たので、その日の雨風に耐えられない。
身も心も寒い・・・そんなセールスマンの年の瀬の情景デスタイね!
新橋にある会社を出て、
海の見える方角にトボトボと歩いてたらしいっす。
潮先橋のたもとまで来ると、浜離宮の脇のお堀越しに
行きどまりの海が見えるのでした。
「ああ。もうだめだな。ああ。毎年ぶっちょさんにカニ缶売らされて。
先輩たちは有給消化とか云って北海道・・・か。
なのに。なして。なして・・。僕ちゃんだけ営業に出てるんだろ。」
そうつぶやきながら歩いていたら、身体は自然に築地市場とは反対の
浜離宮恩賜公園の中へと入って行ったそうな。
東京が地方と違うところ。それはいろんな場所が良く整備されている
ってことだと、ずっと東京に住んでいる人には、きっとわからないね。
公園のなかをトボトボと歩いていると、何やら神社のような場所に
行きついた。
旧稲生神社であった。
公園内に入ってからと云うもの、ひとっ子ひとり出逢うことなく
歩いてきたピコ蔵だったが、この神社跡で初めて老婆に出逢う。
老婆の服装は、とても東京に住んでいる婆さんとは思えない程、
こ汚い恰好をしていたそうな。
しかもずぶぬれの、まるでルンペンのような出で立ちであったそうな。
かわいそうに思ったピコ蔵は、自分の傘を老婆に差してあげると、
ポケットに入っていたハンカチと500円硬貨を
婆さんにあげたらしいっす。
「お婆さん。温かい飲み物でも買って。」
ピコ蔵を見上げた婆さんの乾いた瞳から、
信じられない程きれいな涙が、ひとつぶこぼれたっちゅうことっす。
で。
築地市場を目指し、ダメもとで訪問した一軒の仲買人の店。
ここで初めて、二階の事務所に通されました。
奥の机に、なにやらひとりの女性が座っているのが見える。
ふむ。歳の頃なら、御年85歳ってところか・・・。
机の前まで呼び出されると、いきなり椅子に座るよう促される。
この商店の社長もしくは会長らしきその人物。
なんかどこかで見覚えがあった。
「ああっ!」
さっきのこ汚い婆さんではないか!?
名刺ケースから。身震いしながらピコ蔵は、自分の名刺を取り出す。
そしてその会社重役から代わりに名刺を頂戴した。
ピコ蔵「先程はたいへん失礼いたしました。
何も存知上げなかったものですから。」
会 長「あなたには雨のなか良くして頂きました。
それで。あなたの望みはなんでしょう。
私にできることなら、叶えてあげましょう。」
ピコ蔵は彼女から名刺を受取った。
受け取ったその名刺には、こう記されていたのだ。
上総屋本店株式会社
代表取締役会長 河 西 そ う
(かさい)
ピコ蔵「か。傘地蔵。か。傘地蔵だ。これは。」
会 長「何をブツブツ云ってるの。
私の名前は、かさい そう ですよ。」
このあと、彼の商いが全て達成されたのは云うまでもない。
それも新規開拓で「上得意様」をゲットしたのであった。
それからと云うもの、ピコ蔵は歳末になるとあの日のことを思い出す。
傘地蔵ならぬ「かさいそう」さんに助けられた日のことを。
そしてそれから、自分のできる範囲で、出逢った人々に対しては
精一杯の「誠意」を費やしてきたのだった。
あれから40年。
ピコ蔵は来春、代表取締役に就任する。
めでたし。めでたし。(笑)
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