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男はその日も仕事を終えると、いつも通りの道のりをいつも通りに
帰っていた。
たまに寄り道をしたとしても、いつも通りの道路沿いにある、違う
コンビニに立ち寄ってみたりするくらいで、ほぼ同じパターンでし
か帰らないような、変なところが律儀な男であった。
彼には3人の子供がいたが、今年の春、ようやく末っ子も就職する
ことになり、子供に関して経済的には開放されたような気になって
いた。
それはそれでよかったはずなのに、何故か元気がなくなった。
生き甲斐を失くしてしまったのである。
彼は神奈川県の湘南と呼ばれる海辺の町に住んでいたが、仕事場は
横浜だった。なんとなく生き甲斐を失くして、元気の失くなった彼
は、いつもと違った道のりで帰ることにしたのだ。
中華街には、連日たくさんの観光客が来る。その人いきれが嫌いな
はずだったのに、何故か人恋しくて、中華街を歩くことにしたのだ。
中華街の多くは飲食店だったが、程良いバランスで手相見なども、
露天で商売しているのだった。
机と紙と鉛筆でできるいい商売だと思うのだが、胡散臭くて信じら
れない彼ではあった。
だいたい手相なんかは全く信じない男であったが、その日はちょっ
と気になる視線の手相見の男と眼が合って、吸い込まれるようにそ
の手相見の面前の椅子に腰かけたのだ。
「だんなさん。希望を失ったんでしょ?眼が死んでますよ。」
いきなり彼はそう云って、失くした生き甲斐を売りますよと云うの
だ。
そんな風に単刀直入に云われた拍子に、生き甲斐っていくらくらい
するんですか?と尋ねてしまった。
今では心が華やぐことさえ失くした彼は、あろうことか生き甲斐を
買おうと無条件に反応した。
手相見は不敵な笑いを浮かべてこう云った。
「だんなさん。私は土日以外のこの時間帯に、ほとんど毎日ここで
手相を見ています。また明日でも来てください。お代金はいくらで
もかまいませんよ。」
悪い手相見じゃないような気がして、生き甲斐を売ってもらいたい
彼は、土日以外の同じ時間帯にその手相見を訪ねた。
或る日は500円払ったり、或る時はタダで話したり、また或る日
には5000円払ったりした。
手相見とはいつも、楽しい世間話をして終わるのだったが、数ヵ月
後、ふと思い出した彼は、手相見の顔を見るや否や、こう云った。
「あの〜。それでいつになったら生き甲斐を売ってくれるんですか
?」
手相見はおだやかに満面の笑みをたたえながら、
「だんなさん。だんなさんとこうしてお話するのも、随分と月日が
経ちました。で、だんなさんは私とこうして話すのが楽しいんでし
ょ?結構な金額のお代金を頂戴しましたよ。」
「だんなさん。私はお約束どおり、だんなさんに生き甲斐を今日も
売り続けさせて頂いております。」と云うのだった。
数ヵ月後、手相見の机のかたわらに、新しく店を出す男がひとり現
われた。男もまた手相見のようではあったが、彼とは眼を合わさな
いでいようと思う。
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