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2017年04月10日
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小学校に無事に入った私だったが、一年生の夏休みは引っ越しの準備で忙しく、あまりよく覚えていない。
唯、何往復か大阪と徳島を関西汽船でいききしたのを覚えている。 親の都合で、私は小学校一年生の秋、四国の徳島に引っ越すことになった。 引っ越しの日、隣りに住んでいたO君のおばちゃんが、涙でボロボロになりながら、トラックに乗って引っ越す私たちを見送ってくれたのを覚えている。 O君のおばちゃんについては、いろんな思い出があるのだが、今で云うキムチ(当時は朝鮮漬けと云っていた)を、ブリキのタライで漬けていたが、それを物珍しそうに物見していた私に「ピコちゃん。甘いイチゴのシロップだよ。なめるか?」と云うものだから、おばちゃんの指からその漬け汁を舐めたところ、目から火が出るほどの辛さに泣いて帰ったことがあった。 母もおばちゃんから、お手製の漬け物をもらったはいいが、あまりに真っ赤っかだったので、洗って食べたらしい。 後日、全然美味しくなかったとおばちゃんに云ったところ、洗って食べるものじゃないことを初めて教わったそうだ。 徳島に引っ越して、初めてのカルチャーショックは、テレビがNHKと地元の四国放送しか映らないことだった。 そんなこともあって、私の遊び方はいきおいアウトドア一辺倒になっていく。 隣りに住んでいたコー君は、いろんな生き物を捕まえるのが上手だった。 とりわけ田んぼの用水路の岩穴の中に隠れている食用ガエルを捕まえるのが天才的だった。 私は最初、手づかみで大きなカエルを捕まえるのが恐くて、びびっていたのだけれど、慣れてくるとコー君より多く捕まえることが出来るようになった。 都会の港町で遊んでいた私は、徳島に越してから、完全無欠のガキ大将に変化していくのだった。 「思い出(2)」 |

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歳をとったのか、或いはもう迎える死期が近いからなのだろうか、近頃しばしば昔のことを思い出す。
小学校に上がるまで、私は大阪市港区の東田中町(現在は田中町)と云う、弁天埠頭の近くの港町に生まれ育った。 幼稚園に入る手続きが間に合わず、私は小学校に上がるまで、近所に住む同世代の幼なじみと、朝から晩まで遊び疲れて帰るまで、ほとんど屋外でドロドロになって遊んで過ごした。 当時、遊び仲間はOさんちのジュン君とか、Mさんちのカズ君たちと一緒に、野球やかくれんぼ、それからお手製の武器を使った戦争ごっこをしてよく遊んだものだった。 今から考えると、小学校に上がって初めて知ったのだが、どうやら自分の住んでいたアパートと、公営の住宅(文化住宅)に住む友達以外のほとんどが、在日の人たちだったようだ。 毎日ドロドロになって遊んだジュン君もカズ君も、それぞれ韓国と北朝鮮の在日何世かの友達ばかりだった。 だから、小学校に上がって初めて、自分のアイデンティティーが、日本人だと云ったことを強く認識し、小学校に上がると同時に、隣近所の友達とも疎遠になって行った。 今頃ジュン君やカズ君はどうしているのだろう。 きっとまだ元気で、あの街のどこかで暮らしているのだろうか。 「思い出(1)」 |

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