皆さん。おはようございます。伊古彦です。(ぺこり)
昨日は、午前3時に横浜港から出航し、対岸の千葉県に行って帰って
きました。(笑)
ひとり船長は・・・・つらいですね。(笑)
今度生まれ変わった時は、大きい船に乗りたいです。(爆)
先日、心臓がちょっと停止してからと云うもの、なんとなく考え方が
変わってしまったんです。
と云うよりも、確信が持てたと云う方が正しいかもしれません。(爆)
どんなことに確信が持てたかって云うと、
①「生きること」と「死ぬこと」は「同じ」だと云うこと。
②「自分」と云う存在は、「ある」と云うこと。
です。
これだけだと、分ったようでよくわからないし、一方的でかなり
抽象的過ぎるので、簡単にご説明いたしましょう。(笑)
まずは、①の「生きること」と「死ぬこと」は「同じ」だと云うこと
から。
私たちは、毎日なんかしら仕事したり、仕事が暇で、やることが他に
無いなら、ガソリンスタンドでクルマ洗ったりして時間を潰したり、
まあ、それぞれやりたいことや、やらなきゃいけないことを、「身体」
を使ってやってるわけですが・・・。
実はこの「身体」って云うものは、唯の「乗り物」なんですね。(笑)
分りやすく云うと「クルマ」や「船」みたいなものです。
これが無いと「自分」は「自分」で居られないんです。
そう。彷徨(ほうこう)してしまう。
さまよったり、さすらったりしてしまうみたいです。(笑)
あと。
子育ても終わり、性欲も無くなった「じじい化」した壮年男性の
ごく一部に、船でさすらったりクルマでさまよったりする人々が
居るらしいってこともわかっています。(爆)
結局ね。
人間って「虚無感」や「喪失感」がさすらいの原因なんでしょうね。
で。
「生きること」と「死ぬこと」は、「同時進行」してるんですね。
分りやすく云えば、我々の「身体」は、実によくできていて、
いつも知らないうちに、「死んだり生まれ変わったり」を繰り返して
いる。これを「新陳代謝」っていいますよね。
この「新陳代謝」で、実は我々の「身体」って云うものは、7年も
経つと、まったく別の「身体」になっているそうです。
にもかかわらず、「自分」の「身体」だと認識している。(笑)
そうです。だから「身体」は唯の「乗り物」なんです。
塾長さんが、せっせとスタンドで愛車を洗ったりしておられますが、
きっと「自分」のクルマだと認識してられるから洗ったりして世話
しているわけ。他人のクルマじゃやらないですよね。(笑)
ところが、この愛車も、乗り換えたりすると自分の「乗り物」じゃ
無くなって、どこかの誰かが「中古車」として買ったり、エンジンを
載せ替えたりして、やっぱり「乗り物」として使われるわけです。
だから。
「死ぬこと」を恐れなくていい。(爆)
だって、知らないうちに誰だって、「生きたり死んだり」してるわけ
ですから。(笑)
「死」の恐怖とは、結局「身体」を失うことの「恐怖心」なんですよ。
「自分」が「自分」で無くなることの「恐怖心」なんです。
「自分」は「乗り物」とセットでしか存在しなくなるから。(笑)
じゃ、「乗り物」を失った場合、「自分」はどこへ行くんだろうって
ことになりますよね。
次にこれをご説明します。(爆)
日常的な「生きたり死んだり」の大きな節目は、「乗り物」を替える
時、すなわちみんなが「死亡」するって云う時のことですよね。
この時はね。「河」を渡るかどうかなんですよ。(笑)
この「河」の向こう岸のことを「彼岸」って云ったりしますよね。
唯、誰もひとりじゃ渡れないんですよ。これが。(笑)
そう。「水先案内人(パイロット)」がいないと渡れない。(爆)
それで、きれいな女の人がこっちおいでって呼んでくれたりする。
今回の私の「臨死体験」の場合、「河」まで行ったけど、
「水先案内人」が現われずに、ICUの救命救急のスタッフが、
「ピコさ〜ん。ピコさ〜ん。」って呼んでくれたわけ。(笑)
だから、渡れなかった。(爆)
でも、今回の私の場合、ICUのドクターも看護師さんも「きれいな
女性ばかり」だったってことを付け加えておきましょう。(笑)
で。結局、私は「河」を渡れなかったわけです。
気持ちは良かったです。とっても。(笑)
ところが・・・・。
このあと、全身麻酔でのオペが待ってましたからね。
渡らずに済んだ私を待ちうけていたのは、男性の敏感な大事なところ
にゴムの管(カテーテル)を挿入し、膀胱(ぼうこう)から直接、
おしっこが出るようにするわけなんですが、これがひどかったです。
固くて太いカテーテルを選択した担当看護師がひどかった。
痛がる私を笑いましたから。地獄を見ましたね。(マジ)
あの看護師のおかげで、退院するまで血尿が出ましたもん。(笑)
ってことで。次回は「自分」について、お話ししましょう。(爆)