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From 湘南茅ヶ崎。 イコピコのひとりごと
とんぼお姉さま。頑張れ頑張れ!私はいつも祈っていますよ!(笑)

書庫四国の神秘について

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 皆さま、いかがお過ごしでしょうか?伊古彦のひとりごとでございます。(笑)
 先日より、地元は四国・徳島の霊域にスポットをあて、拙いながらも遠いいにしえに思いを馳せつつ、阿波古代史に関わる「体験記」を、一般的に流布する文書等に著された事項等も交えつつ、また書き始めては見たものの、いろいろと難しい問題を一掃できる知恵も知識もないのですが、不可思議なことの多い「四国」の「魅力」を掻い摘んでお話しすることにしましょう。
 唯、私ごとき「凡夫」の、信ぴょう性が薄弱な経験則に、いきおい頼った「表現」でしかございませんので、予めご承知置き頂ければと、お断りしておきます。
 
 さて、昨夜神奈川県の東部、横須賀の公的会場に、私用で出かけておりましたゆえ、沢山いただいたコメントに対するお応えもせぬまま、とくに少しお答えできそうな事柄を抜粋させていただき、お話ししようと思います。
 
 いつも個人的に仲良くさせて頂いております、阿波古代史研究家の「ぐーたら先生」からのご質問にあった、
モノイフ石」はどこにあるんでしょうか?
という、ご質問に対し、少しお答えできそうなのでお話しいたしましょう。 
 この話は、もう故人になられました「聖域剣山の番人・新居熊太氏」との会話のなかと、丸石避難小屋での神秘体験から、推察していただければと思います。
 
 昭和51年、徳島市立高校に進学した私は、新田次郎の著書「孤高の人」に感銘を受け、単独登山にどっぷりつかり、ほぼ毎週のように、剣山登山をするうちに、剣山修験の方とも知り合い、「虚空蔵菩薩求聞持聡明法」や真言密教の「月輪観」「入我我入観」なるものの御指導も受け、それこそ、誰もいない剣山から三嶺の間の何処かに、必ず毎週土曜日の夜は居るといえるくらい、熱狂的に通ったのです。
 
 或る日、ヒュッテの脇を通る時、熊太さんに声をかけられました。「あんた。毎週見るような気がするなあ。お茶でも飲んでから行き。」とお茶をご馳走になりました。
 いろいろ話しをするうちに、モノイフ石」が、次郎笈(じろうぎゅう)にあるのは知っているか?と聞かれたので、
知らないし、関心がないことを告げました。すると、行を積むと、むこうから来るらしい」と聞いたのです。
 石がむこうから来るという意味がわからなまま、自分の興味の外だったので、気にも留めていなかったのです。
 或る夜、本当は三嶺まで月明かりで歩くという計画を立てた日、不意の暴風雨から逃れるために、丸石山頂の避難小屋を利用した夜のことです。
 気象通報をラジオで聴きながら、等圧線や風力と方向を記入しつつ、ひとりお茶を飲んでいると、ひとりの老人が入って来ました。
 老人は息も切らさず、満面の笑顔で、ほんとうに達観したような爺さんです。服装は修験の出で立ちと微妙に違っていました。少し世間話のあと、コッフェルのお湯が沸いたので、お茶を勧めました。するとふいに、「あんた。モノイフ石を知ってるか?」と、また熊太さんと同じように聞くので、ほかでも聞いたけど関心ないことを告げました。ただ、一宇や祖谷のひとの訛りではなく、何処となく上品な響きがあったので「京都からですか?」と質問したのです。すると「君は若いのによくわかるなあ。」と笑いながら頭をなでてくれました。そして「あんたのお祖母さんは、家の寺にいらっしゃるからおいで。」といわれたのです。そういうと、雨もあがったなと外を見ていたのですが、気がつくと何時のまにか居なくなっていました。結局どちら側の稜線にも姿をみつけることはできませんでした。ただお茶を勧めた時、「南無阿弥陀佛・・・」と小さい声で唱えていらっしゃったのを覚えていました。
 帰って父にこの話をすると、祖母は父を産んで父が2歳の時亡くなり、京都の知恩寺に納骨してあるのだと聞きました。私は初めて父が語らぬ事柄を全て理解したのです。それにしても、あの爺さんはやっぱりお寺の住職だったのか、何者だったのか、今でも謎なのですが。
 唯、そんなことがあってからというもの、神秘体験は続いたのです。剣山山域で、聴こえるはずのない声や、不思議体験の序章だったのです。
 
 
 
 
 おはようございます。伊古彦のひとりごとです。さて昨日から、お隣の朝鮮半島はキナ臭いムードが立ち始めた。早朝より、マスコミは、我が国のことのように各社報道合戦を開始。だが、日本はこのムードにどう対応すべきなのか?
 結論からいうと、同調して騒ぐべきではない。この騒ぎの川上は、陰で操作している組織によるものだからである。彼らの計画は、これに留まらない。やがてこの火種はアメリカ合衆国を動かし、連動してイスラエルが動き始める。イスラエルはイランにターゲットを絞る。
 こう言った情勢をよそに、高見の見物をし、急に景気が良くなる地域がある。ヨーロッパである。
 さて、それでは日本はこれを機に何をすべきか?
 憲法改正である。第9条の全面改正である。戦える軍事力をもたねばならない。チャンスである。核を装備しなければならない。その上、地下都市を構築すべきである。これは、有事によって汚染された地上から、一定期間凌ぐことのできるシェルターを意味する。これからしばら断続的に続くこのムードを利用して、少なくとも他の国の軍事力に頼ることの無い、強固な防衛力を構築しなければならない。何故なら、他の國とは役割が違うからである。
 日本は神國である。聖書世界でいう「約束の地」なのである。遠い昔、大きな地球規模の変化があった。私たちの祖先は、遠くアラビア半島から神の導きによって極東の小島、日本に辿りついたのである。
 天皇を頂き、神國として存続し、また未来永劫に至るまで、この地を守らねばならない。
 
 さて、日本人は東洋人だが、それでもアラビア半島からきたと言えるのか?言えるのである。
 イエスキリストは、もともとはユダヤ人で、ノアの三兄弟の、 セム(黄色人種)・ハム(黒色人種)・ヤフェト(白色人種) の内のセムの子孫で、モンゴロイドなのである。
 それでは、イエスは、「古事記」のなかでは誰れなのか?については、また次の機会にお話ししましょう。
 
 モーセが「天」より授かった「十戒」は、シナイ山に比定されているが、本当はこのシナイ山は四国山地の剣山(1955m)の西方に聳える「三嶺(みうね)」である。
 ええっ?マジ?ついに血迷ったか伊古彦?という声が聴こえてくる。嘲笑さえ聴こえてくる。だが、私はひるみはしない。言うべき時に言うように拝命しているからである。
 歴史上の聖人は、ひとりの例外もなく、日本に来ている。来てみて日本が何かを「感じる」のである。日本人よ。誇りを取り戻せ!封印を解く日が来た。このような地の果ての小国に、我々の祖先は艱難辛苦の果てに、
星に導かれ辿りついたのである。失われた10部族と2部族。合わせて12部族。それから数に数えられることの無かったレヴィ族を含めた13部族すべてが日本に生存しているのである。
 忌部(いんべ)。これは神とスメラミコトに関わる祭祀を司る血筋だが、13番目の数に数えられない部族を13(いみ)部族と言ったのである。レヴィである。
 やがて世界は混沌のなかに入っていくが、我々は神國日本の誇りを取り戻し、世界の王として立ち上がらねばならない。
 みなさん。おはようございます。伊古彦のひとりごとです。今日は、聖書の不思議について少しお話ししてみたいと思います。
 ええっ?ピコちゃんはクリスチャンなの?という声が聴こえるようです。マジか?と云う声も。いいえ。私はクリスチャンではありません。ピコチャンではありますが・・。
 しばらく中断していた、阿波古代史を、少しずつではありますが、また始めようと思ったからです。
 さて、今日は旧約聖書に登場する、あのモーセについて、少しお話ししてみたいと思います。
 それでは、このモーセはどんなことをした人物なのでしょうか?WIKIを見てみましょう。


『旧約聖書』におけるモーセ [編集]
  『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人レビ族の父アムラムと母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた[1]。当時、イスラエル人はエジプトで奴隷として使役されていたが、モーセは数々の妨害を打破して、彼らをエジプトから連れ出すことに成功した。シナイ山(あるいはホレブ山)でから十戒を授かってイスラエル人に与えたので、立法者と呼ばれている。モーセとイスラエルの民は、40年もの間シナイ半島の荒野をさまよい、約束の地カナンにたどり着くが、モーセ自身はカナンを目前にして120歳で没したという。『出エジプト記』はモーセの誕生に筆を起こし、エジプト脱出と十戒および律法の制定に終わっている。
 『出エジプト記』によれば、モーセが生まれた当時、イスラエル人が増えすぎることを懸念したファラオはイスラエル人の男児を殺すよう命令した。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、葦舟に乗せてナイル川に流された。そこへファラオの王女(一説にはハトシェプストとも言われる)が通りかかって彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ひきあげる)から「モーセ」と名づけた。
 成長したモーセは同胞であるイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見てエジプト人を殺害。ファラオの手を逃れてミディアンの地(現在のアラビア半島)に住んだ。ミディアンでツィポラという女性と結婚し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日燃える柴のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在のパレスチナ周辺)へ導く使命を受ける。こうして彼の預言者としての活動が始まる。
 エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会い、イスラエル人退去の許しを求めたが、ファラオは拒絶し、なかなか許そうとしなかった。そのため十の災いがエジプトにくだり、ようやくイスラエル人たちはエジプトから出ることができた。それでもファラオは心変わりして軍勢を差し向けるが、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができたが、ファラオの軍勢は海に沈んだ(『出エジプト記』14章)。その後、モーセはシナイ山で神(大天使ミカエルと言う説あり)から石版2枚の十戒を受けた。
 『出エジプト記』に続く『レビ記』『民数記』『申命記』はその後のモーセの生涯と律法の内容について記している。モーセはイスラエル人を導いて荒野を通って友好的だった土地の王たちとも戦い女子供を含む大量殺りくを行いつつ、カナンの地へ至った。しかし、カナンを前に民が神とモーセに不平を言ったため、神はさらに40年の放浪をイスラエル人たちに課す[2]
 モーセもまたメリバの泉で、神の命令に従わなかった(岩を杖で二度打った)ことにより、カナンの地へ入ることを許されなかった。40年の期間が満ちたとき、モーセは民に別れのことばを残した[3]。そののちモーセはピスガの山頂で約束の地カナンを目にしながら世を去った。その墓所は伝わっていないとされている。没年齢は120歳[4]


 残念です。どこにも日本に来たとは書いていません。
でも、もし来ていたら・・・。
 彼はあの超大作「十戒」で、チャールトン・ヘストンが演じていた主役であり、エジプトからイスラエル人を連れ出したリーダーであります。
 
 さて、日本の歴史を考えるのに、「古事記」という書籍がありますが、これは史実を洞察するのに、有効なので
多くのひとによって、ああでもないこうでもないと、調べる対象となっております。
 
 ところが、この「古事記」と「旧約聖書」には、多くの似たようなことが書かれているのです。
 先に、イスラエル人と云う表現を用いていますが、
この表現について、またユダヤ、ヘブル、ヘブライといった表現についても、あらかじめご説明しておく必要があると思えるので、次回はこれらのことについてお話しすることに致しましょう。それでは、お楽しみに。(笑)
 

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 みなさま。連休の日曜日の午後のひととき、いかがお過ごしでしょうか?ぴ・こちゃんです。(笑)
 
 あまりおもしろくないのか、反響も少なく、何をしょうもないことを、平気な顔して(本当は泣きながら書いてます。うぐっ。)よく書く奴だ!って笑って許して頂ければいいんですけど。。
 
 さて、弘法大師は天才でした。というお話を少々。
 いっぱい書くと書ききれないので、最近の話題の事柄に関して・・・。
 
 私は四国八十八カ所のなかで、動かし難い寺社は・・
・・・「八カ寺」でした。そうです。もともと真言宗じゃない
寺社も交じってます。そして残りが「八十カ寺」。・・・・・。
 
 88−8=80
 
即ち、「全体」−「重要ポイント」=「人で賑わう巷」
 
 これから、宗教法人でもはじめて、ひと儲け考えてるそこのあなた!「数理」にも長け、土木工学・天文学・
あらゆる学問を「虚空蔵求聞持聡明法」によって脳を
全開で使えるようになった天才の経営哲学から、多くを学ぶことができるかもしれませんよ。次世代以降、自分のエネルギーによって、後継者が存続できるために、必要な「食いぶち」を得るためには、やっぱり信者で賑わうことが大切だということですね。
 
 「信者」と書いて「儲かる」ですから。・・・・ネ!(笑)
 
 いや〜。YEAR〜。祖谷〜。目が覚めてみると、私は祖谷にいました。いや、疲れるっちゅうもんじゃないね。
 
 悠久の歴史の河を遡る旅。しかも、「にっぽん」の歴史の源に向かって遡るのですから、トレーサビィリティーは
かなり困難を極めることは、「百」も承知でございます。
 
 さて、「邪馬台国」を比定するといっても、その比定地は百をくだらない。
 
 『古事記』をもとに調査するにしても、これがようやく完成をみたのは、西暦712年。ということは、この『古事記』以降に使用された言語が「古語」であり、それ以前となると、それからさらに遡ること、四世紀半。『魏志倭人伝』で使用されている言語に至っては、「倭語」であり、
現代人が立証するには、困難すぎるのです。
 
 阿波の人なら、こう言いますね。「こんなん、困難とちゃいますか?」・・・・むむ。一層困難。
 
 で、ミュージシャンとして(誰がミュージシャンだ?の声)、誰が何と言おうとも、言葉の響きを重視してみたいのです。
 
 例えば、私たちは「1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」を
「いち・にい・さん・し・ご・ろく・しち・はち・く・じゅう」と数えますが、「ひぃ・ふぅ・みぃ・よぅ・いつ・むぅ・なな・やぁ・ここの・とぅ」と数えた方が、より古い数え方なのです。
 
 そこで、再びこの「祖谷(いや)」。
 
 やっぱり、怪しいですね。とっても。私は日本大好き人間ですから「彌榮(いやさか)」と、最後に唱えます。
 
 ご存じない方々にご紹介いたしますが、これは日本神道最初の「呪(しゅ)」でございます。一番最初に使用されたのは、イザナギ、イザナミご両神が国生みの際、
ご使用になられました。
 
 畏くも尊い、御言葉でありますので、神々の賛美と栄光を祈る時にのみ、ご使用ください。
 
 さて、「イヤ」ですが、わたしはどうも、やっぱり気になるのでございます。
 
 伊邪那岐神(伊弉諾神)と伊邪那美神(伊弉冉神)。
 
「イヤナキ」神と「イヤナビ」神と読めませんか?多分イザナギノミコトにあらせられましては、きっと、「嫌な気(いやなき)」しないと思いますけど。。続きます。。

 

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