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今日、かなり克明に書き込んだ記事は、あろうことか時空の隙間に滑り込み、二度と読むことができなくなった。したがって、消えない程度のことから書くより他は無い。
石切(いしきり)。第1話でご紹介した神社では、ニギハヤヒは、石切さんと呼ばれていらっしゃるようである。
しかし、この石切(いしきり)さん。石屋さんとは関係無さそうで、こぶやでき物を治してくれるそうである。
石切(いしきり)。イーシキリー。
例によって、「響き」を大切に考察する私には、二人の神仏のみ名が思い浮かぶ・・・・。
おひとりは、イエス・キリスト。そしてもうおひとりは、キリーから、キリーク。阿弥陀如来である。
今から33年前に目撃した光は、UFOなどと云うものでは無くて、神々しさに満ち溢れていた。神光と呼べるものである。ふたつに分裂し、ゆっくりと飛び去ったのと、分裂の際、細胞分裂のように分離した。
私は同じようなものが目撃・撮影されていないか、数々の動画を検索したけれども、同じようなものを、ついぞ発見することはできなかった。
ニギハヤヒと云えば鳥見山(トビザン)が関係してくるのだが、私が目撃した光が、ふたつの方向を持つベクトルと考えるなら、縦・横のクロスであり、十字を現わしたと云えるかもしれない。それに眉山(ビザン)。
合わせて十眉山(トビザン)。
しかも、この眉山には神武天皇の像が祀られているのである。不思議だ。・・・・・・私は、霊的に、神武天皇とニギハヤヒは、一身同体であると考えている。ということは、やはりあの神々しい光は、ニギハヤヒと関係していたのだろうか・・・。
さらに次の絵をご覧頂こう。
上の2枚は神武天皇であり、その次は阿弥陀如来である。・・・・・・妙に似てはいないだろうか?
我が國、日本という國は、あらゆる文化の始めを生み出しもし、また様々な土地と民衆の中で育まれた文化をも、ものの見事に咀嚼し、吸収し、別の高次元のものも生みだしてしまう。
神々のお姿など、実は眼に見える存在ではなく、ぎりぎりどうにか表現するならば、上に掲げたように、眩しい神光を放射し、眼には眩しく、また直接見てはいけないものかもしれない。
祖父は、天皇陛下を、絶対直接拝見してはいけないと教えた。眼がつぶれると。
神秘の國、日本。その神秘が、未だ解き明かされずにいるのが、四国であり、さらに阿波の國である。らしい。
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