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そんなに暇でもないイコピコのひとりごとです。(笑)
先ほど拙ブログのお客人の「挽き物屋さま」の愛車と、
私の愛車が「ドッペルゲンガー」。それも同じ「黄色」。
一瞬あははって笑った私でしたが、この「ドッペルゲンガー」、実はドイツ語でふたつ。英語でいうDOUBLE。
つまり「分身」という意味があるんです。さらに、もっと深い意味があるので、しばらく調べることの無かった、ウィキペディアを調べてみましょう。ふふふっ。今夜もお客様がいっぱい遊びに来てくれるかなあ。(笑)
概要 [編集]以上の意味から、自分の姿を第三者が違うところで見る、または自分で違う自分を見る現象のことである。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながらそのような例が数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。
ドッペルゲンガーの特徴として、
等があげられる。
死期が近い人物がドッペルゲンガーを見るという事から、「ドッペルゲンガーを見ると死期が近い」という民間伝承が生まれたとも考えられる。また、自分のドッペルゲンガーを見た人はそのドッペルゲンガーによって殺されるという言い伝えもあるかもしれない[誰?]。
なお、もしも運悪くドッペルゲンガーに遭遇してしまった場合は、どういう言葉でもいいので、そのドッペルゲンガーを罵倒すれば助かるというが、詳細は不明。
アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンや芥川龍之介、帝政ロシアのエカテリーナ2世等の著名人が、自身のドッペルゲンガーを見たという記録も残されている。19世紀のフランス人のエミリー・サジェもドッペルゲンガーの実例として知られ、同時に40人以上もの人々によってドッペルゲンガーが目撃されたといわれる[2][3]。
自己像幻視 [編集]医学においては、Autoscopy[4](AS 自己像幻視)といい、例えばスイス・チューリッヒ大学のピーター・ブルッガー博士などの研究によると、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域(側頭頭頂接合部)に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いという。この脳の領域は、ボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚することがあると言われている。
カナダ・マギル大学のワイルダー・ペンフィールド博士がおこなった実験によって、正常な人でも、ボディーイメージを司る脳の領域に刺激を与えると、肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するように感じられることが確認されている。ドイツ・アーヘン大学のクラウス・ポドル博士は、自己像幻視は脳腫瘍に限らず、偏頭痛が発生する原因となる脳内の血流の変動による脳の機能の低下によっても引き起こされるとしている。
しかし、「第三者によって目撃されるドッペルゲンガー」の事例は、上述の脳の機能障害では説明できないケースである。 第三者の錯覚の可能性や「うりふたつ」の人物を目撃した可能性なども考えられるが、いずれにしろ、しばしばオカルト的な捉え方をされる場合もある。
日本における歴史と事例 [編集]その内容は北勇治という人が外から帰って来て、居間の戸を開くと、机に向かっている人がいる。自分の留守の間に誰だろうと見ると、髪の結いよう、衣類、帯に至るまで、自分が常に着ているものと同じである。自分の後姿を見た事はないが、寸分違いないと思われたので、顔を見ようと歩いていくと、向こうを向いたまま障子の細く開いた所から縁先に出てしまい、後を追ったが、もう姿は見えなかった。家族にその話をすると、母親はものもいわず、顔をひそめていたが、それから勇治は病気となり、その年の内に死んでしまった。実は勇治の祖父・父共に、この影の病により亡くなっており、余りに忌しき事ゆえに、母や家来はその事を言えずにいた。結果として、3代ともこの影の病にて病没してしまった。
親子共にドッペルゲンガーを経験した例としては、『奇跡体験アンビリーバボー』にて紹介された海外のドッペルゲンガーの事例があり、その親子は母と娘で、現象があったあとも問題なく生きていたとされる。
前述のように、日本におけるドッペルゲンガーの認知は、前近代の頃より離魂病の一つと見られてきたが、現代創作物においても、そうした認知が脈々と継承されており、特撮ドラマで言えば、『ウルトラQ』第25話に登場する悪魔ッ子リリーの話は、肉体を離れ、精神体が悪事をするという内容であり、漫画で言えば、『地獄先生ぬ〜べ〜』の郷子の話が例として挙げられる。これらは、解釈に差異はあれど、肉体と魂が分離した結果、その者の命が危機にさらされ、最後に一体化してハッピーエンドとなる流れで、これらの話は、中国の『唐代伝奇集』の中の、遠くに離れた2人の娘の話で、紆余曲折の末、寝たきりとなった娘(こちらが肉体とされる)が、遠くで暮らすもう1人の自分の話を聞き、起き出して、最後に一体化してハッピーエンドとなるという、離魂した娘の話の類型である。
吉村貞司は『スサノヲの悪竜退治 - 原神話の回復の試み -』(1977年)において、「味耜高彦根命は死者(アメノワカヒコ)のドッペルゲンガーと見ていい」と書いているように、神話上においても、ドッペルゲンガーと近似する記述は古代から見られ、ドッペルゲンガーと関連するものと見て、記述する研究者もいる。・・・・・・・
いや〜。この「ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger 自己像幻視)」。恐い話を知ってるんです。
母がまだ若い頃・・・って「無縁坂」の歌いだしですが、
子供の頃の話です。
家族の人数が多かった母は、隣家のお風呂に入りによく行っていたそうです。折角沸かしたお湯がもったいないですものね。
で、或る夏の日の夜のこと。玄関先に縁台が置かれ、夕涼みにちょうど良い、昔の夏の風景ですね。
で、その隣家の玄関先の縁台に、そこのおじさんが座っているのを見ながら、玄関のなかへ・・・。
「こんばんは〜。お風呂よばれにきたけんなぁ・・・。」と、
座敷の中を見てみると、さっき外で涼んでいたおじさんも、おばさんもお茶をすすりながら座っているではないか?
不審に思い、気丈な母は、
「おじさん、今カドの台にすわっとれへなんだで?」と質問すると、
「何をど気色の悪いこと云うんで。○○ちゃんよ。わし〜はずっと、ここえすわっとんでえなあ。」
と、おばさんに同意を求めるではないか?するとさっき見たおじさんは、一体・・・・・誰。
狸(たぬき)で有名な阿波ではあるし、また旧ドイツ兵の捕虜収容所もあった土地でもあるので、狸(たぬき)か「ドッペルゲンガー」のいずれかでしょうね。
当然、その後母は恐れをなし、玄関先を通らずに、垣根を越え、折角さっぱりした湯上りの肌を、藪蚊に刺されつつ必死で帰ったそうです。(笑)
で、笑い話で済めば良かったのですが、このおじさん、次の朝亡くなったそうです。
柳田国男の『山の人生』みたいな逸話です。(恐)
ちなみに私のドッペルゲンガーは・・・・・・AMAZONで購入いたしました。ま・まさか、またドッペルゲンガー?
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