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From 湘南茅ヶ崎。 イコピコのひとりごと
とんぼお姉さま。頑張れ頑張れ!私はいつも祈っていますよ!(笑)

書庫美しい日本を取り戻そう!

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 折角の休みでもあるし、お天気でもあるので、近所の自然を満喫しに、今日はいつも海に出かけていたのですが、山に行こうと思いました。
 (海がええんかぁ。山がええんかぁ。今日は山が・・・)
 
 早速、川沿い(渓流沿い)の道を遡ることにします。
 と、一羽のカモが・・・。
 
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 今、地震が・・。午後5時53分。やっぱり来るのか?
 きれいなカモです。くつろいでいます。多分。(笑)
 
 
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 ほらっ。顔洗ったりしてるでしょ。(笑)かわいい〜。
 
 
 さらに遡上を続けます。すると・・・・・。また一羽。
 
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 先ほどのオスの彼女か奥さん?子供がいないから分かりません。(笑)
 さらにもう一羽。鷺でしょうか?
 
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 天気がいいので、こちらもくつろいでいます。
 さらに登ると・・・。足柄茶。茶畑には、美味しそうなお茶の葉が、青々と育っているのに・・・・。
 
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              残念です。
 で、さらに登っていきますと、お地蔵さまが・・・・。
 村のはずれの「六地蔵」でしょうか?
 
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  六地蔵かと思ったのですが。よく見ると・・・・・。
 
 
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 いっぱいいらっしゃいました。(笑)はははっ!(笑)
 真言は、オン・カカカ・ビ・サンマエイ・ソワカ・・・・。
 「カカカ」はそのまま笑い声の「はははっ!」です。
・・
・・
・・
 さらに・・・・・上をめざします。キツクなってきました。
 見下ろすと。
 
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 相模湾が見晴るかすくらい、知らない間に高度を稼いでいました。(笑)
 でも、急にペダルをこぐ脚が止まります。眼の前の坂を見ると・・・。
 
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 見ため以上に、きつい坂。
 ♪誰かが登り坂といい  誰かが下り坂という
   僕にはどちらかわからない 僕にはわからない
   ここは・・・・坂道。
 
 で、押したりこいだりしながら、50男はさらに上を目指します。キツイ!
 
 
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 あの山の麓まで。頑張ろう!(笑)
 ちょっとした木漏れ日のあたる場所に来ると、沢風が心地よい。ちょっと休憩。
 
 
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 1分ほど休憩しました。(笑)風が心地よくて。
 さらに・・・・・行きます。
 
 
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 こんな風景や、
 
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 こんな風景を過ぎると、公園に到着です。(笑)
 すぐ、自販機に飲みモノを探し、ミネラルウォーターやお茶などもあったのですが、私が選択したのは・・。
 
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 コーラでしたぁ〜。こら〜っ!(笑)
 ベンチに腰掛け、風景を眺めます。風も空気も心地良い。自然への畏敬を感じます。
 
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 ハイキングかと思いきや、御夫婦でボルダリング。
 この山域は岩場に恵まれているため、首都圏の岩好きが、いつも岩にへばりついています。
 
 
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 陽も沈みそうになってきたので、そろそろ降りることにしましょう。
 
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 いかがでしたか?自転車の旅。(旅じゃないだろ!散歩だろ!の声が。) では、また次回をお楽しみに。
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 おはようございます。イコピコのひとりごとです。(笑)
 昨夜は疲れて、すぐ寝付いてしまいました。やりたいこともあったけど、この頃何となく疲れが・・・・。歳ですね。
 
 今朝はいつもより早く目覚めたので、近所の漁港に散歩に行って来ました。早朝から舟釣りや旅行で来ている人たち、或いは恋人たち・・・。
 
 何か素敵なものを求めてくる人たちの持ってる元気を
少しでも分けてもらえないか、そんなことも考えながら。
 
 多分みんな、相当メゲていたり、こころのなかに同じようなものを持ってるに違いない。そんなことも考えながら
の小さな旅。それが、朝の散歩。
 
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 穏やかな、何も無かったような、日曜日の朝の海の風景でした。

蓮舫はムカつくワ!

 蓮舫はむかつく。マジで。だいたい顔が嫌い。性格が悪そう。賢そうに話しをするのが嫌な感じ。
 眼を剥いて、噛みつくようなもののいい方すんな!
 大臣だろうが!島尻議員頑張れ!あの、いやらしい顔を、もっとクシャクシャにしてほしい。
 アタマに来て、傍らにいる女房に云った。
「蓮舫、ほんとにむかつくんですけど・・。」
 彼女は、ポツリとこうおっしゃった。
「だって、蓮舫でしょ。」
 そうでした。相手にした私が間違っていました。
 だいたい、すぐに変換できない名前が気に入らん。
 そしてまた・・・地震が。
 と、一匹の大きな(体長5,5cm)ゴキブリが何処からともなく登場する。いきなり女房が早く捕まえろと。
 手元に「ゴキブリホイホイ」が無かったので、仕方なく「ファブリーズ」(エイプリルフレッシュの香り)で撃退を試みる。透かさず女房が突っ込む。
「そんなので、やっつけられるの?」
「大丈夫だ。前にもやっつけた実績がある。お花の香りで、びしょぬれにしてしまえば、奴の天国への扉は、もうすぐ、そこだ。」
 自信たっぷりに私は云い切った。
 実はこの芳香剤。いつも私が掛けられている代物である。何処かって?仕事から帰って靴下を履いたまま、
脚も洗わずにいると、眼には見えないが、おびただしい害が、彼女を襲うらしい。
 私はいつも、直接脚に、シュッシュッされているのだ。
ゴキブリ扱いされているわけですね。
・・・・・で。奴は生命力を振り絞り、逃げ回った。部屋の照明を消し、奴の再登場を待つ。すると出てきた。空かさず、ELPA/DOP-017というCR123Aのリチューム電池1本で使用する、強力ライトで目くらましを食らわしながら、薬剤噴霧攻撃を実施。ところが、奴はイヤらしい奴だ。こともあろうに明日着るであろう女房のスーツの中に入っていった。隠れてるつもりだったのだろう。捕まえようとした時、私の手首に。当然、すぐに払いのけた。すると、今度は女房のスカートに着陸。
「ギャ〜。早く早く〜。」
 私は女房のこの声を聞くのが好きなのだ。いつもヤラレているからである。で、なんとか捕まえてめでたしめでたしでした。(笑)
 こんにちは。皆さん如何お過ごしでしょうか?(笑) 伊古彦のひとりごとです。
 最近は、めっきり体力の衰えを感じ、残された時間を、それこそ「精力善用」で、願わくばお國の為に、有効活用を願いつつ、どうすれば最も有効なエネルギーとして変換していけるのか・・・・等と、途方もない事を考えている今日この頃です。(笑)
 さて、今日から、昭和と云う時代がどんな時代だったか、大東亜戦争敗戦以降、目覚ましい復興をとげたその陰に、日本の土台を支え続けた國士を、おひと方ずつご紹介し、まさに今、我が國日本が必要としている人物像を、この未曾有の国難から、再び見事に復興するために尊い命を燃やした真の國士にスポットライトを当てることで、その人物像を思い浮かべてみたいと思います。
 
 本日は、陽明学者であり、漢学者でもあられ、戦後の復興の立役者でいらっしゃった「安岡正篤先生」をご紹介したいと思います。
 
 それでは、例によってWIKIを調べてみましょう。


 

安岡正篤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年明治31年)2月13日-1983年昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。

経歴 [編集]

現在の大阪市中央区生まれ。少年期、母、近所の神社のおじさんなどから、四書五経の素読を授かる。1922年(大正11年)に東京帝国大学の卒業記念として執筆され出版された『王陽明研究』が反響を呼ぶ。
大学卒業後に文部省に入省するも半年で辞し、「東洋思想研究所」を設立、当時の大正デモクラシーに対して伝統的日本主義を主張した。拓殖大学東洋思想講座講師をする傍ら『日本精神の研究』『天子論及官吏論』などの著作を発表し、一部華族軍人などに心酔者を出した。1927年に酒井忠正の援助により「金鶏学院」を設立し、1931年には三井や住友などの財閥の出資により埼玉県に「日本農士学校」創設し、教化運動に乗り出した。
金鶏学院は軍部や官界・財界に支持者を広げて行き、1932年には「日本主義に基づいた国政改革を目指す」として、酒井や後藤文夫近衛文麿らとともに「国維会」を設立し、新官僚の本山となった。同団体から、斉藤岡田両内閣に、後藤や吉田茂(後に首相になった吉田茂とは別人物)、廣田弘毅ら会員が入閣したことで、世間の注目も集まったが、一方で政界の黒幕的な見方も強まったため、2年後には解散に追い込まれる。
その間も金鶏学院などを通じた教化活動は続けられ、「二・二六事件の首謀者西田税らに影響を与えた一人」とも言われる。北一輝大川周明猶存社のメンバーでもあった。年上である八代六郎(元海軍大将)、山本五十六、更には中華民国総統の蒋介石などとも親交があり、第二次世界大戦中には大東亜省顧問として外交政策などに関わった。
敗戦後に、かつて安岡が創設した各団体や学校は連合国軍最高司令官総司令部により解散を命じられ財産は没収、安岡自身も大東亜省奉職を理由に公職追放される。1949年に「師友会」(後の全国師友協会)を結成、機関紙『師と友』の発行による次代の指導者の育成や、全国各地を巡っての講演、更にはラジオによる講話などを通じた東洋古典思想の普及活動を行った。
一方で政財界とのパイプは保ち続け、自民党政治家のアドバイザーとして主に東洋宰相学、帝王学を説き、彼らの「精神的指導者」「陰の御意見番」「首相指南役」の位置にあった他、1958年には安倍源基らとともに「新日本評議会」を結成、安保改定運動や改憲運動などに関わった。東洋古典の研究と人材育成に尽力する一方で、「体制派右翼」の長老としても政財官界に影響力を持ち続けた。また、「平成」の元号の発案者と言われている(1990年に竹下登が記者会見で示唆)。「全国師友協会」は遺言もあって解散したが、各地域の支部がそれぞれ独立した団体として活動を続け、その思想を継承している。
安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など多くの財界人をも指南していたとされる。
終戦時、天皇陛下自身によるラジオ放送の終戦の詔書(玉音放送)に加筆し原稿を完成させたのも安岡だったことから皇室からも厚い信頼を受けていた。
数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから「昭和最大の黒幕」と呼び声が高い。

主な事績・逸話等 [編集]

戦前にあっては血盟団事件に「金鶏学院」の関係者が多く連座したため安岡も一時関与を疑われた。井上日召は、「血盟団事件の検挙の発端は、金鶏学院への波及を恐れた安岡が当局に密告したため」と、戦後に証言している。また安岡が、五・一五事件二・二六事件の首謀者の一員とされる大川周明北一輝と東京帝国大学時代に親交があったことからこれらの事件への関与を指摘する向きもあるが、安岡自身はこのことについて何も語っておらず、現在ではこれらへの関与を否定する見方が一般的である。一方で特に海軍関係者との親交や大東亜省顧問としての活動が挙げられるが、具体的に何に何処まで関与したかはほとんど明らかにされていない。
戦後にあっては、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、「実践的人物学」、「活きた人間学」を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂池田勇人佐藤栄作福田赳夫大平正芳など多くの首相が挙げられる。また代議士になった弟子に林大幹がおり、回想記を出している。
  • 昭和20年8月15日の終戦の詔書玉音放送)の草案に対して、加筆し原稿を完成させたとされる。
  •  戦時中からすでに政治家や右翼活動家に影響力があったため、GHQより戦犯容疑がかかったが、中華民国の蒋介石が「ヤスオカほどの人物を戦犯にするのは間違いだ」とGHQを説得し逮捕されなかった。
  • 岸信介以降の歴代首相(田中角栄三木武夫を除く)に施政方針演説の推敲を依頼されていたと言われる。
  • 池田勇人の派閥研究会「宏池会」の命名者である。
  • 佐藤栄作の首相就任前の訪米時に応対辞令の極意を授け、このときのケネディ大統領との会談がケネディに沖縄返還交渉開始を決断させたと言われる。
  • GHQによる「3S政策」の存在の可能性を著書『運命を創る―人生訓―』(プレジデント社・1985年)中で唱えている。
  • 晩年陽明学に傾倒した三島由紀夫は、自決の数年前に安岡に長文の手紙を書いている[1]。安岡の著作を読み、その思想に共感を抱いていたといわれる。
  • 生前、「いつか昭和が終わったら次は平成というのはどうだろう?平和が成り立つのいう意味だ」と平成の元号を考案したと言われている。
  • 戦後の歴代総理に「日本の黒幕はだれか?」と聞けばほとんどの首相が安岡正篤の名前を挙げたという。
  • 安岡本人は「自分はただの教育者にすぎない」と考えていたため、「黒幕」と言われるのを嫌がった。しかし、自分自身が直接権力を持たない反面、権力者に対して絶大な発言力を持っていた。名のある大物ほど安岡の教えに心酔し、意見や講演を求め、本人の意思に反して各界に影響力を拡大していったためである。

年譜 [編集]


 
 凄い先生です。今、このような先生がいらっしゃるかどうか?右も左もありません。見事後に影響を受けた先人たちが、それこそ命懸けで、祖国日本を憂い、復興に寄与したのですから。
 人間臭さも魅力的で、愛嬌のあった方なのでしょう。
 今、安岡正篤先生がご存命であれば、なんとおっしゃるのでしょうか?
 多くの先人たちを奮い立たせたそのエネルギーたるや、半端なものではないことが、この私でさえ理解できます。
 次回は、単細胞人間の私に大きな影響を与えた言葉にスポットを当ててみます。乞うご期待!(笑)
 


ある国にゾーンと呼ばれる不可思議な地域があった。
ゾーンには鉄条網が張られ、警戒厳重な警備隊がゾーンを守っていた。
禁を犯してゾーンに侵入しようとする者たちが現われる。
彼らをゾーンに案内する者はストーカー(密猟者)と呼ばれた。

彼らはゾーンの境界地帯にいる警備兵の銃火をかいくぐり、軌道車に乗ってゾーンへ侵入する。
ゾーンはかっての文明の根幹、発電所の跡のようだが、いまでは緑がうっそうと茂る廃嘘でもある。

転載元転載元: バイクでなくっちゃダメなんだ!!

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