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「使命 国を守ること 君を守ること」 挫けはしない この熱い想いがあるから 守りたいものがある 何よりも大切なものがある 熱いあなたたちのその志が 切り開く日本の未来明日 ありがとう ありがとう がんばれ 遠い戦場(ばしょ)で戦う君の為に 今、僕たちは何ができるだろう 無事を祈るだけじゃなく 誇らしく 君を讃えよう これからもいつまでも 無事に帰る その時には笑顔で 君に伝えよう 心から「ありがとう」 穏やかな日々は当たり前じゃない あなたがいるから 平和がここにある -
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美しい日本を取り戻そう!
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詳細
自衛隊の皆が頑張ってる、自衛隊かっこいいコピペを紹介広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉 市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」 市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから 自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」 そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う 自衛隊員「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」 文芸春秋で自衛隊の面白い話が載ってた 自衛隊員A(以下A)「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」 自衛隊員B(いry「うえ、この間アブグレイブでイラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」 A「それが、どうも支援デモらしいぞ」 B「は? 支援デモ? 私怨じゃなくて? そんなデモ聞いたことね?よ」 A「俺もね?よ。ま、一応、本当に応援だった時の為に飲み物とアイスでも用意しておこや。暑いし」 デモ隊参上 彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」 B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」 デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。 自衛隊員見かねてゴミを拾う、すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。 そんなこんなで後日 米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」 自衛隊「あれ?」 米&英「あれだよあれ、支援デモ」 自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」 米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」 自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」 と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。 小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw 神戸JR三宮駅前の震災と復興の記録を展示しているフェニックス館には、 多くの写真や資料が展示されているが、自衛隊員が写っている写真は一枚も存在しない 記録も自治体、警察、消防、ボランティア等がほとんどで、 自衛隊に関する記述は僅かに災害の状況を示す時程表に「自衛隊災害派遣」の1行しか 認められなかった 信じられないが、神戸市はあの震災で自衛隊がほとんど何もしなかったことにしたいようだ 今回の地震ではこんなことなく 危険な場所でがんばっている彼らの働きが正当に評価されることを望みます これは文藝春秋2000年11月号に掲載された阿川弘之氏の文を要約したものです。 2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、 世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結した。 翌日の5日に英国の豪華客船「クイーンエリザベス号」が入港してきたのだが、 折悪しくも2ノット半の急流となっていたハドソン河の流れに押された 巨大な客船は、あれよあれよと言う間もなく、 係留中の我が海上自衛隊の自衛艦「かしま」の船首部分に接触してしまったのである。 着岸した「QE」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と 一等航海士が謝罪にやってきた。 相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。 「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。 それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」 これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、 ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって 「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし 日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを評価する声が高かったそうである。 「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐の対応の見事さは勲章ものではないでしょうか。 数年前、息子から学校から帰るなり 「お父さんは人を殺す訓練しよる人なん?」と聞かれた。 どういうことなのか、意味が分からなくて聞いたら 学校の先生に○×君(息子)のお父さんは自衛官だから、人を殺したり戦争をする為の 仕事をしてる、それは間違ってる、と言うような意味のことを言われたらしい。 俺は何も言わなかった、うまく言えなくて、自分にもガッカリした。 戦争が悪いことなのは分かってる、だけど戦争の準備はする必要があると言えなかった。 けど、どうも嫁が何かを言ったらしい<息子に 何を言ったのか知らない。でも、確実に嫁が何かを息子に言ったのは分る。 次の日、息子が言ってくれた。 「僕も自衛隊に入りたい、お父さんになりたい」って、早口で言って早足で逃げていった。 あいつがどんな将来を選ぼうと構わない。ただ一瞬でも俺を目指そうとしてくれた、 その瞬間があることが幸せだと思った。 防衛大学の生みの親である吉田茂氏が防大生に送った言葉の一節 「・・・・君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり歓迎されることなく 自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。 ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは 外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が 混乱に直面しているときなのだ。 言葉をかえれば、君たちが『日陰者』であるときの 方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい。・・・・・・・」 自衛隊の基地が近くにある田舎なんだが、自衛隊は毎年山で訓練してる。 ある日、下の方の茶畑で知り合いの爺ちゃんの軽トラが 道寄せ駐車する際に、側溝に嵌って脱輪。 俺は茶摘みの手を止めて救助に行った。 爺ちゃんは怪我はしてなかったけど、見事にタイヤが側溝にはまって脱出不可能。 何とか側溝から出せないか木の棒を突っ込んでいた時「手伝いましょうか?」声を掛けられた。 振り向いたら迷彩服とリュックを持った男の人が一人。 あ、上の方の訓練地から来た自衛官の人だと思って「すみません。お願いします」って言った。 そしたらその角刈りのお兄さんが大声で「集合!」ドドドドドド (茶畑の横の獣道からゾロゾロと自衛官が出てくる)「整列!」ビシッ! 総勢15名の隊員達が現れた。 マジであれはビビった。まさか山の上から出てくるとは思ってなかったし、 全員すげぇ装備担いでるし、さらに模擬銃?を担いでたからテンぱったわwww 爺ちゃんも「おぉぅ...」とか言ってたしw 「5分、脱輪解除。始め!」 キーを渡して4分で軽トラ脱出www すんげぇ早業で、自衛隊の凄さを思い知ったわ。 こういう訓練もしてるというのにも驚いた。 脱出した後は車両点検してくれて、爺ちゃんが何度も頭を下げてた。 隊長っぽい角刈りの兄ちゃんは「これも我々の任務です」とサラリ その後は敬礼して農道を下って行った。 自衛隊の凄さと"任務"に感動したわ。 震災企画「あの日があるから」(1)自衛隊員になった少年「命の恩人に憧れて」 (1/2ページ) 「良平! 」「大丈夫か! 」。自分を呼ぶ声が遠くで聞こえ、目を覚ました。 なぜ呼ばれたのか、どこにいるのか、 何も分からなかった。辺りはただ真っ暗。身動きができなかった。 「ここにおるよ! 」。力いっぱい叫んだが、相手に 届いたのかどうか。すぐに意識を失った。 平成7年1月17日午前5時46分。 当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の安藤良平 陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。 自宅のあった3階建てのマンションは全壊。 中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。 ビニールシートと木材で校庭に建てられた 仮の住まいで約3カ月間、避難生活を送った。その間、相手をして くれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。 隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。 来るのは昼過ぎの給水時間。生活再建の悩みなどで 重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。 そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、 約2年後の小学5年生のころ。半日以上も意識が戻らなかった 息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。 (略) 苦しい時に手を差し伸べてくれる頼もしい人−。避難所の優しいお兄ちゃんと 命の恩人がひとつに重なったとき、安藤さんは自衛隊員になると誓った。 シリア政府は自衛隊を歓迎した。アサド大統領は隊長である本松敬史三等陸佐(当時)を呼び、 「日本の自衛隊は決して事件に巻き込まれることはない」と約束をしてくれた。 大統領は、シリア軍に対して、その支配下にあったイスラム原理主義組織ハマスとヒズボラが 日の丸と自衛隊に対して一発でも銃弾を撃ち込んだら、全面攻撃を加える旨の命令を出していた。 地下鉄サリン事件時、 築地駅の除染に出動した101化学防護隊+32普連の混成部隊「築地中隊」。 最先任だったK.M一尉(当時)は、完全防護の部下と共にサリンの除染を完了した。 しかし史上初の¨化学兵器成分の除染¨。完全に排除できたかどうか?には疑問がつきまとった。 空気中に除染しきれなかった、気化した残存成分が残っているかもしれず それを恐れて、駅員からの「もう安全ですか?中に入れますか?」との質問に答えあぐねていた。 空気中の気化物質を測定するには、専用の警報機が必要。しかし警視庁に優先貸与してしまい 手元にあるのは、液体しか測定できない「検知紙」しかなかった。 …K一尉は、決断した。 『私が、行きます』 近くにいた、防護服を来た消防隊員を二名指名し 「協力願います。もし自分が倒れたら、すぐに担いで外へ出してください」と要請。 除染が済んだ地下鉄のホームへ再び下りていった。 Kはホームに立ち、防護マスクの首の部分を瞬間的に開いて再び閉じ マスク内で深呼吸した。…異常はない!。 Kは最後の勇気を振り絞り、マスクを脱ぎさった。 そして、さらに深く深呼吸する。 完全防護の消防隊員は、防護マスク越しにKを見つめる。 そして、Kの笑顔を見て安堵の笑みを漏らし、三人は頷きあった。 K一尉の「もう大丈夫です!」の叫び声ののち、 周囲からは一斉に歓声があがり、拍手の渦となった。 という記述のある本が新潮文庫から出てますが(氏名は当方で伏字に) …本当に、自衛隊の皆様。ご苦労さまですっ
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皆さん。こんばんは。伊古彦のひとりごとです。
最初に、被災され、家族の消息もわからず、悲しみの中にいらっしゃる方々へ。どうかあなたの御家族が、ご無事でありますように・・・・・。家族を失い、希望も夢も失われてしまった方々へ。どうかあなたの悲しみが、癒される日がきますように・・・・・。寒さのなかにいて、なお食べることにさえ満ち足りることなく、光の見えない方々へ。救いの手は、すぐそこまできていますよ・・・・・・。
私たち日本人は、ここほんの数日のうちに、未曾有の大災害に遭遇し、國民みんなが、悲しみのどん底に突き落とされました。かつて阪神で味わった苦痛のうえに
、大津波と原子力発電所事故という、絶望的な不幸のまっただ中に立たされることになりました。
神は我々に何を教えようとされているのでしょうか?
ひとつは、与えられた自然環境との共存のあり方、もうひとつは、自然界に存在しないものを創造することのリスクをもう一度考えること・・・、かもしれないと思えるようになったのです。
我々日本人は神代の頃より、子々孫々、栄え続けてきたわけですが、ここ何十年かの間に、大切なものをたくさん失ったような気がするのです。
確かにあの大東亜戦争より復興し、世界が驚くほどの繁栄をみせたことは、日本人の特質の勤勉さや誠実さの結果だったといえますが、祖先から受け継いだ、もっと大切なことが沢山あるような気がするのです。
繁栄と引き換えに失ったものを思い出し、取り戻し、また育てることを誓い、さらに子々孫々へと伝承すべきものがあるはずです。
今日からそれらが、どういったものだったか、思い起こしてみることにします。こころの旅です。・・・・いろいろと
思いめぐらし、反省してみます。
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東日本大震災、羽田空港は韓国人「脱出ラッシュ」
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/03/13/0200000000AJP20110313000300882.HTML 2011/03/13 10:27聯合ニュース 【東京12日聯合ニュース】東日本大震災の発生から2日目を迎えた12日、東京の羽田空港は日本から「脱出」しようとする韓国人で大混雑した。
同日午後6時ごろ、大韓航空発券カウンター前では、韓国人20人余りと航空会社社員とのいざこざがあった。2時間後にソウルの金浦空港に向け出発する最終便に乗ろうと早朝からキャンセル待ちで待機していたが、結局チケットを手にすることができなかった人たちが抗議をしていた。 取材陣も声をかけづらいほど興奮していた人々の表情には、生まれて初めて経験した大地震に対する不安と恐怖感がそのまま表れていた。出張で訪日したという40代の男性は「それでも今は抗議が収まったほうだ。午後2時ごろには50人の乗客が発券ブースに集まったが、韓国に向かえたのは15人だけだった」と固い表情で話した。 羽田空港内では、韓国人をはじめとする外国人200人余りが、空港側が支給した毛布に身を包み、いつになるか分からない帰国の便を待っていた。
地震が発生したときに都庁の近くにいたという50代の韓国人男性は、「全身が凍るような感じだった」と、当時の状況を伝えた。さらに驚いたのは、不思議なほど落ち着いて対応する日本人の行動だったという。「会社から配ったとみられる救護物資を背負い、走らず、歩いて帰宅していた」と舌を巻く。 帰国便の相次ぐ欠航で、空港で待機している乗客らは一様に、航空会社に対する不満を吐露した。この日午後に帰国する予定だった30代の韓国人男性は「状況が状況だけに、航空会社が特別機を用意してくれれば。そういう点がとても残念だ」と不満を漏らした。
大地震に恐れをなした在日中国人が成田空港に長蛇の列、日本脱出を図る―日本Record China 3月14日(月)7時20分配信
2011年3月13日、東日本を襲った大震災の影響で、成田空港には祖国に逃げ帰るために長蛇の列を作る在日中国人や留学生の姿が多く見られた。華字紙・日本新華僑報(電子版)が伝えた。【その他の写真】 記事によると、震災後、成田空港には日本脱出を図る在日中国人が長蛇の列を作った。中には中国行きの航空券が手に入らないことが分かると、「どこの国でもよいから売ってくれ。日本から出られればどこでも構わない」と詰め寄る人も。 無事に12日の中国東方航空(MU)522便で成田空港から上海への帰国を果たした中国人は「余震の影響で出発が1時間ほど遅れた」と話した。また、日本国内を観光中だった中国からのツアー団も急きょ帰国の途についたが、いまだに北海道に足止めされたままの観光客も大勢いるという。(翻訳・編集/NN) そのまま帰ってくるな!! こいつらがどうゆう人種かつくづくよく分かる まあ、外国の方は、帰るお国があるのなら、帰られた方が良いでしょう。 正直、税金免除といった利権は享受するけど こういった災害時には一目散に国外脱出する輩には やはり選挙権などの政治へ参加する資格は与えなくても良いと思う。 日本の助けになるような事一つもせずに逃げ出す位なら、 初めから参政権とか抜かすなよ… 韓国政府は在日を引き取れや! 日本国民が迷惑してるだろうが! それが日本国民に対する一番の援助だ!! ( ゚Д゚)ヴォケ!! 支那も同様!! 自国民を早々に助けてやれ!! 糞支那!!
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