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From 湘南茅ヶ崎。 イコピコのひとりごと
とんぼお姉さま。頑張れ頑張れ!私はいつも祈っていますよ!(笑)

書庫日本の心

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もういい加減、民主党にはうんざりしている。
 
彼らが政権をだまし取って以来、我が日本はロクなこと
 
がないではないか?
 
尖閣問題で、郷土の恥と私が認定した、
 
かの仙谷くんが、果たして
 
今どこにくすぶっているのか調べてみた。
 
ええっ?くすぶるのは「火」とか「炎」でしょ。
 
そう問いたくなるのは当然でしょう。
 
しかし、わが郷土徳島の方言では
 
人目を逃れ、日陰に隠れている状態も「くすぶる」
 
と云うのです。(笑)
 
ええ〜っと。久しぶりにWIKIで調べてみよう。
 
「仙の谷と書いて・・・っと。」
 
「仙谷由人」
 


仙谷由人

 

靖国神社参拝問題 [編集]

2001年8月、「小泉首相靖国参拝反対の集い」の呼びかけ人となる。開催の挨拶で仙谷は「私は毎年8月15日には韓国の大邱に行き、中蘇(サハリン)離散家族会総会に出席し、サハリンに強制連行された[脚注 4][脚注 5]遺族の方の哀号と糾弾の叫びをききながら一日を過ごすことにしている。その経験から言うと、21世紀になって小泉さんが靖国にどうしても行くというのは、すっとんきょうで、とんちんかんで、訳の分からない行為。日本のためにも相手のためにも、おやめいただかなければならない。」と述べた[31]

 

「勃起」セクハラ報道  [編集]
日本のタブロイド紙である2011年1月6日発売の「週刊新潮」と「週刊文春」(1月13日号)によると、日本経済新聞社の女性記者Mに対して、背中に肩から手をまわした上、自身の陰部が勃起する旨の不適切な発言を繰り返したと報道された。本件について日本経済新聞社は、事実ならば厳正に対処すると回答している。1月17日、仙谷は「一方的に誤った事実を掲載され、読者に対して誤った認識を抱かせた」として、発行元の文芸春秋と新潮社にそれぞれ1千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め東京地裁に提訴した[70]
2012年6月12日、東京地裁は「セクハラと受け取られかねない発言であり、記事は真実と言える」との判断を示し、仙谷の請求を棄却、仙谷は敗訴となった[71]
 
 


 
・・・・・・・・。
最近見んなぁと思ったら、
「セクハラで告訴されていた
んですね!」
いや〜。あなたらしくて、結構結構。。(笑)
本領を発揮され、自爆して頂いていたなんて
すっきりしましたよ。
「売国奴の最期はセクハラ
で、一件落着!」
二度とでてくるなよ!このドスケベ売国ペテン師!
 
と云うことで、雨が降るうっとおしい一日でしたが
すっきりいたしました。
神様はいらっしゃいますね!(感謝!)
 
 
国家の非常事態、だから団結しよう
立場の違いを超えて。

なのに、しっくりしないのはなぜなのだろうか?
なぜ内閣支持率は3割「しか」ないのか?



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地震で家が壊れ、
津波で家族を流され、
行政も警察もなくなっても、
助け合っている国 「日本」
その根源には 「ナガサキ」 の哲学がある


相手へのいたわり
相手への共感
相手への思いやり
相手が先
相手の幸せが先

本来であれば、
この国難を一身に背負っているはずの
宰相、菅直人に対して
我々は「ナガサキ」を発揮し、
そこに気持ちをたくして、
被災者に「ナガサキ」するところなのだ。

なぜだ
なぜ、この叡智が働かないのだろうか。

いや、それだけではない。
悲惨な被災者の境遇に共感しつつ、
時に聞こえてくる
「こんな所に住めるか」
「いつまで非常食なんだ」
などという言葉に嫌悪感を感じるのはどうしてだろうか。


結論を先に言うと、

相手が、もし、
「ナガサキ」の逆
「ワガサキ」である時、
我々は「ナガサキ」をなしてはならない。

エゴエゴのやつらには、
気持ちを託してはいけない。
エゴエゴのやつらとは、
一線を画さねばならない。

これが、この国に古来より流れる道理であるようだ。


そして、そんなヤカラが宰相とその周辺を固めている。
我々は、そこに気持ちを託すことはできず、
またそんなヤカラから発せられる指示はことごとく外したものだからこそ、
現場は大混乱をきたしているのである。


大震災の発生以来、
世界は我が国にどうやら3度驚いている。

1度目は、大自然の力に。
うち崩れる、近代文明の姿に。

2度目は、近代文明が消滅した被災地で、
人々が当然のように助け合い、
前向きに復旧が始まった事に。

3度目は、そんな日本なのに、
政治はマヒしており、
危機管理能力を喪失しているようである事に。

とり分け、人々が当然のように助け合っているのに、
どうして、政治がマヒするのかが、
世界からすれば謎であるのは当然の事だろう。

もちろん、自衛隊は生命をかけ、懸命にやっている。
消防士も、警官も、アメリカ軍も、いうまでもない。

しかし、世論調査においても、政権の支持率は、
震災前に20%程度だったのが、
30%程度に「微増」したに過ぎない。

ネットでは、「30%”も”あるのか」との声が圧倒的だ。
でも、私はそうは思わない。
本来であれば、全国民がこの国難に心をくだいているから、
内閣支持率は、最低でも、60%、70%ないとウソなのだ。
大災害は国民のこころをひとつにするから、
90%あっても、驚かない。

それなのに、この体たらくなのだ。
ただただ、時間がだらだら過ぎていく。
国民全体の追悼の日を設けることもなく、
宰相は防災服を平服に着替え、
いまさら現地視察するものの震災翌日に乗り込んだ原発は素通り

被災地にあった「赤いランドセル」を見て、
「なんとか直人がくれたのかと思った」とジョークを飛ばした、
という。

繰り返しになるので簡単にのみ振り返るが
  • 震災を政権浮揚のネタにしようと、反対を押し切って現地視察パフォーマンス
  • この軽率で原発震災を発生させ、その後東電・自衛隊・消防・警察に責任転嫁
  • 支持獲得のチャンスだと、枝野がテレビにでずっぱり、レンホー・辻元を起用
  • 自衛隊を暴力装置とバカにした仙谷を官房副長官に復帰させ、放射能へ突入
  • 被災地の物流は滞ったままで、餓死者・凍死者が続出しているが無視
  • 累積放射能を無視して「健康に影響はない」と無責任に言い続け
  • 低放射能被曝が確定している福島(会津若松除く)・茨城の放射能地域を放置
  • 原発作業員に対し、最悪の事態に備えた「造血幹細胞採取は不要」との通達
  • 遺体収容も終らず物流も滅茶苦茶な被災地に「大きな夢の復興」といいのけ
  • 復興財源に、マニフェスト放棄はつゆ考えず、国債の日銀引き受けと増税で
こんなことが、連日連夜繰り出されている。

ここから言える、いや、見えることは

政権にとって、被災者支援というのはどうやら「建前」に過ぎず
政権浮揚、あるいは、復興利権を握ること自体が「本音」であろう

ということである。
政治家の事であるから、聖人ではないから、
自分の事を考えるな、
とは言わない。
しかし、これは常軌を逸している

私利私欲を、公益の名のもとになしているだけ

である。


この国には、古来の根本哲学「ナガサキ」があると述べた。

「ナガサキ」とは、

「ナ」・・・あなた、なんぢ、即ち、「相手」ということ
「ガ」・・・我が家の「が」と同じ、即ち、助詞の「が」あるいは「の」のこと
「サ」・・・さち、幸せ、即ち、「関わりあう皆が幸せ」ということ
「キ」・・・来た、きざす、即ち、「来る」ということ

「あなたの幸せが来た」

もっと単純にいえば

「あなの幸せが”先”」

と言う事である。

困っている、ものがない。
でも、相手に使ってね、先にどうぞ
という心遣いが「ナガサキ」である。

哀しい、虚しい。
でも、大丈夫、私は後でいい
という心遣いが「ナガサキ」である。

思いやり、譲り合い、助け合い

これらはみな「ナガサキ」の表れである。

「ナガサキ」というのは、
相手のこころに手を差し伸べよう
という心づかいである。

相手が困っているなら 助ける。
相手が喜んでいるなら 一緒に喜ぶ。
相手が望んでいるものに 応える。

言いかえれば、

相手が困っているのに 付け込まない。
相手の喜びを 減らさない。
相手が嫌がるものを 与えない。

と言う事だ。


こんな心づかいは弱点にもなりうる。
どういう事かというと、
「相手を使ってやろう、食い物にしてやろう」
というようなヨコシマな人間からすれば、
カモがネギをしょってやってくるようなものだからだ。

金くれ、といえば、金をくれる
ほめてくれ、といえば、ほめてくれる
オレの変わりに物を盗れ、といえば、盗ってくれる

当然こういうのでは身が持たない。
しかし、つい最近こういう外交問題が起こった事を覚えておられることだろう。

謝ってくれ、といわれれば、謝罪してあげる
宝物をよこせ、といわれれば、引き渡してあげる
島は俺のものだ、といわれれば、不起訴処分で許してあげる

いくらなんでもおかしい、と大多数の国民は怒った。
あるいは、弱者保護ということで正当化されている社会保障なども

分不相応な贅沢をさせろ、それに応えてあげるのが生活保護
会社がどうなろうと知った事ではない、それを正当化するのが労働組合
俺らが金稼いで何が悪いんや、それに黙り込むのがパチンコ黙認

こんなのはどれも、弱者?のエゴエゴを正当化しているだけだ。
だから、なんとなく臭うのだ。
胡散臭いのだ。

戦後社会で大書されている
「個性」「人権」「平等」「民主」「平和」
こういうのも煎じつめるとエゴエゴ礼賛であるのではなかろうか。
言いすぎであれば、お許しいただきたい。


「ナガサキ」には、
例外
がある。

相手が 「ナガサキ」な人でない 時は
相手が 「自分の事しか考えていない」人の 時は
相手が 「ウソ偽りで、ナガサキのふりしかしていない」 時は、

こんな時は、我々は一線を画し、
決して「ナガサキ」してはならない。
すれば「身を滅ぼす」ことになる。


振り返ってみてほしい、
例の外交問題の相手国を、
あの国々は、果たして我々に「ナガサキ」しているだろうか?
せいぜい、「ナガサキ」のふり、だけではないのか?

そして、今のこの国の政権を担っている
あのヤカラどもを。
あのヤカラは、果たして被災者に「ナガサキ」しているだろうか?
せいぜい、「ナガサキ」のふり、だけではないのか?


もし、我々善良な(といっても当たり前のレベルでしかないが)国民が、
政権にこころを委ねれば、
何が起こるであろうか。
隣国にこころを委ねれば、
何が起こるであろうか。

我々国民が食い物にされ、
被災者は食い物にされ、
ヤカラだけが肥え太る

自明だ。

善良な国民は、だからこそ、
相手のこころを見極めなければならない。
相手のうわべの言葉ではなく、
その奥にある本音を見極めなければならない。

そして、相手がエゴエゴであれば、
その話の到着点がエゴエゴでしかないなら、
みんなの事より自分の事が先で、
そんなの万人みな同じだ と開き直っているのなら

躊躇なく、
距離をとり、対峙せねばならない。
「おもいやり」を発揮しないことこそが、
本当の「おもいやり」になる事を知らねばならない。
こちらに力がないなら、その場を去らねばならない。


相手が「ナガサキ」の逆
自分の事しか考えない
自分の事を先に考える

そんな「ワガサキ」の時は、
「ナガサキ」してはならない


と言う事だ。
この道理に基づいて、

我々は、菅・民主党政権を拒絶する。


国家の非常事態、だから団結しよう
立場の違いを超えて。
なのに、しっくりしないのはなぜなのだろうか?
なぜ内閣支持率は3割「しか」ないのか?

それはあの内閣は「ワガサキ」だから。

指導者であるにも関わらず、
私を去る事、我利我欲を捨てる事ができないから。



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転載元転載元: オノコロ こころ定めて

 
 
 平成23年3月11日。東日本大震災に見舞われ、
大切な家族を失われ、今なお復興再建を導なき状況下において、悶々たる日々を過ごされていらっしゃる方々へ、まずは深く哀悼の意を表したいと思います。
 
 仕事で自らどうしても、PCを使って作業しなければならない環境下に置かれた私は、1年数か月前よりブログを立ち上げ、諸先輩方のご指導の下、今では各種書類作成はもとより、表計算や写真添付、或いはEメール等もできるようになりました。
 
 ブログを通じて多くの方とお知り合いになり、こころを通わせながら、多くのことを学び、また若輩ながら、自己のご都合主義で余計なことを言動してきたことを後悔もし、もっと勉学に勤しみ、文章を書く以上は、読者に有益な情報を厳選すべきであって、さらには文章作成能力の研讃にも奮闘努力すべきであると、反省した上で、
今日は「日本人としての矜持(誇り)」について書き遺しておこうと思います。
 
 私は高校時代に郷土の山上において「不思議な光」を観測して以来、「日本は神國である」という、全人類にとって重要な事柄について感得した結果、齢五十路を迎える今日に至るまで、ずっと「神」を探し訪ねる人生を
過ごしてきたのでございます。
 
 結婚し、子供たちに恵まれると、妻が始めた「聖書研究」に触発され、自らも聖書を紐解くようになりました。
妻はもはや子供らに「戦いを学ばせたくはない」といい、
私は、空手、柔道、剣道について有段者でありながら、
妻の意見に従ったのです。
 
 しかし、不思議なことに、夫婦ともども、クリスチャンになることはありませんでした。私たちにとって、聖書はひとつの「預言の書」であり、理解の助けになる重要な参考書なのです。
 
 私は兼ねてから「君が代」の音律と言葉の神秘性について、理解を越えるものがあると考えていました。そして
そのことが「聖書」にあることを知った時、鳥肌が立ったものです。さらには、この「君が代」は、ヘブライ語(ヘブル語)でそのまま理解できるものだったのです。
 
 この度のような大惨事に見舞われながら、我々日本人は、いったいどのように対処し、やり過ぎ越そうとしたでしょうか?
 普段は欧米化が進み、生活様式においても西洋人のように過ごしてはいますが、何かが起きた時に、日本人の特質が浮き彫りになってくるのです。
 一枚の毛布を八人で使い、ひとつのパンを3人で分け
凌ぐ。自らの家族の死を知りながら、そのことには口を噤み、生存者の救済に回った陸前高田の消防団の方達。 その他多くの逸話が、1年を距てて明らかになってきました。
 
 自衛隊の若い隊員たちが、被災地での第一線で、自らのなかにインプットされた「臣民」たる心の発露を感じ、自己犠牲を払って、「被災者第一」の信念で活躍されました。当時のことを思い出し、涙ながらに語った若い隊員の言葉に胸が熱くなりました。
 
 日本人は神を愛し、また神に愛される資格を持つ臣民なのです。
 万世一系の天皇陛下の下、喜びと矜持(誇り)をもって
これからの一層大きな変化を迎える世界で、世界中の人々の模範になるよう生活して行きたいものです。
 
 私事ながら、歳の初めに息子たちと共に英霊の祀られる「靖國神社」に参拝できることを、何より替え難い喜びと矜持(誇り)にしております。
 國を守る自衛隊の報道を、メールしてくれる長男。次男は大きな船の操船を目指しております。
 
 3・11。
 日本人が忘れてはならない日。多くの孤児の将来に愛と希望の光があるように、今なお復興に尽力されておられる人々の自己犠牲の努力の上に、不思議なチカラが働いて達成感に喜べる日がくるように、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、皆でチカラを合わせてこの艱難をなんとか過ぎ越し、国民が「こころひとつ」になって、喜びの涙を流せる日がくることを切に願ってやみません。
 
 
 
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復興のシンボル「天神の大杉」
 
 
今朝の産経新聞に参議院議員 山谷えり子さんの記事「奪われてもなお生きる国民の情操」があり、しばらく目にとまりました。以下、その全文を掲載いたします。
 
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参院議員・山谷えり子 奪われてなお生きる国民の情操
本日、私は福島県相馬市で東日本大震災物故者の慰霊祭及び復興祈願祭に参列し、明日(311日)は政府主催の東日本大震災1周年追悼式に参列する。いまなお厳しい被災地のため、心を合わせて復興を図らねば亡くなられた方々にも申し訳がたたない。
 
震災後、私は水も電気もない沿岸部の避難所に泊まりながら被災地を回った。そこには大変な状況でも思いやりにあふれ秩序正しく理性的に行動する見事な人々の姿があった。
世界のメディアが称賛した日本人の和合の力、先祖より伝えられてきた力の確かさを感じたものである。その際に訪ねた陸前高田の“奇跡の一本松”は報道により有名になったが、実はそのそばの今泉天満宮の境内には樹齢800年といわれる一本杉が津波に耐えて立っている。
社殿は悲しいことに津波に押し流されてしまったが、復興のシンボル「天神の大杉」のもとには現在、子供図書館がつくられ、約2600冊の蔵書とともに子供たちの居場所となっている。
 
天満宮宮司の娘さんの荒木奏子さんがお世話をされており「親を亡くした子供たちが多い地区もあります。休日には遠くからも祖父母や親たちが子供たちを連れて絵本を選びに来られます。夜眠る前に本を読んでやりたいといわれるのです」と祈りを込めた声で語られるのを聞きながら、民俗学者の柳田國男の「先祖の話」の一節を思い出した。
昭和20年4月に戦後の混乱を意識して書き始めたという「先祖の話」には、日本人は死んだら終わりと考えず死後は魂となって故郷の山々から子孫の生業を見守り、幸せと繁栄を祈り続けてくださると考える、と記されている。
 
来月4月28日は、連合国軍総司令部(GHQ)の占領から日本が主権を回復して60年目にあたる。占領時代、日本は国史、地理、道徳(修身)教育が禁じられ、書道、武道も教えられなくなり国語教育は骨抜きとなった。国旗掲揚が許されたのは昭和24年であった。
リンカーンは、国民は記憶の糸で繋がっていると言ったが、日本は6年8カ月の占領政策により国民としての記憶を奪われ、道を求める日本文化を断絶させられた。そして教育内容においては主権回復後も日本人としてのアイデンティティー教育に不熱心な状況が今日まで続いてきたのではないだろうか。いまだに国旗国歌に敬意を払うことができない教育現場があるのは異様なことである。
しかしそうではあっても家庭や地域の中では、周囲の幸福をまず考える礼節あふれる特質は伝えられ続け教育の場では誠実な教師たちの力により“仰げば尊し我が師の恩”の情操は細くはあっても保たれている。
 
今年は古事記編纂(へんさん)1300年でもある。
古事記を読めば日本人がいかに優れた自然観、宇宙観を持ち、清明心と創造性、許し譲り合う和の心を持っていたかがわかる。日本の建国の精神は平和と徳の心であり、国の成り立ちは敬い合う姿にあった
世界最古の美しい統一国家にして先進国家に住むことの恵みを年配者は次世代へもっと伝えなければもったいない。「上から目線」などという表現にひるむことはない。それを言うならまことに「上から目線」であった占領政策による記憶喪失症から早く回復しなければ、今後断絶は修復できぬほどになるだろう。進級、進学の喜びは故郷の先人への“仰げば尊し”の恩と共にある。
---------------------
 
昨年の東日本大震災から1年が経ちます。
連日テレビ等で報道されており、特に被災地の方々には様々な思いがあることと存じます。
昨年3月11日、北関東の海岸近くにある我が地域も震度6強の地震が連続で襲いかかり、津波による被害もでました。その直後から携帯は通じず、電気、ガス、水道も止まり、コンビニ、スーパー、ガソリンスタンドも開店出来る状況ではなく、当日の夜、信号も消えた道路には夜中までかなりの渋滞の列が続き、真っ暗な街には次々と余震が続いていました。数日間はテレビも繋がらず、一切の情報がわかりませんでした。
 
建設業の私どもの会社では翌日、早朝から会社で復旧作業に当たりました。道路は寸断され、部分的に陥没し、道路自体が波にさらわれてなくなっていた場所もあり、巨大地震と津波の恐ろしさを目の当たりにしました。下請け業者とともに必死の作業、しかも危険な現場の最前線、さらに大きな余震が続く中、水も食料もない中でただただ作業に当たっていた。
そんな中、震災2日後に静岡から物資の支援にかけつてくれた同志がいました。携帯が通じない中、メールだけは通じたので「・・たどりつけるかどうかわかりませんが・・」とありましたが、福島の敬天愛人(ブログ名)さん経由で物資を届けてくれました。さらには三重からも物資や燃料を運んでくれた同志がいます。また神奈川からも物資を送って下さったり、他、多くの同志が物資支援を名乗り出てくれました。本当にありがたいことです。しかもこの同志はみなブログで知り合った方々です。日本人として何とかしなければという使命感と日本人の精神を感じさせて下さいました。
 
また、よく言われるように震災直後から秩序正しく、互いに譲り合う姿があちこちで見られました。
普段は我先にと自分勝手な振る舞いが目に余る昨今の日本人が、互いに譲り合い、お互いに助け合う姿がありました。子供たちは少ない食料を互いに分け合い、捨てることなく、「もったいない」と言って少量でも次の日の分としてきちんと残しておく。そこには自分一人だけが食べらればいいとか、他人を差し置いて自分だけが助かろうとか、そういう自己中心の姿は見ることはありませんでした。
水がなく、連日役所には限られた水を配給するために、長蛇の列が出来ていましたが、その最後尾で6時間待ちです。しかし列は整然として順番に並んでいるのです。他国では考えられない姿がそこにあったのは事実です。
 
しかし、今、被災地では自分勝手な振る舞いが多くみられるようにもなり、一部、被災者だからという甘えも出てきています。この甘えこそは自立を阻むものであります。被災者であるからといって決して甘やかしてはいけないでしょう。ある程度になれば今までの支援に感謝して、生かされた自分の足でこれからは歩かねばいけません。もちろんあてにならない国をよそ目に自ら立ちあがっている人も多くいます。
 
昨年、震災直後に石原都知事が「天罰」といった発言がありました。
私もライフラインを遮断され、食料もない暗く寒い中で現代日本人への天罰なのかと感じていました。
しかし、これが亡くなった方々に対してとんでもない発言であると言われました。
これを聞いて、今の日本人はどうしてそのようにしか取れないのかと悲しくなりました。
これは亡くなった方々に言ったものではなく、現代を生きる日本人に警告する発言と受け取れないのか、そして自分を省みて反省することをしない日本人は他人を悪くいうことしかできないのかとも。
 
日本の建国の精神は平和と徳の心であり、国の成り立ちは敬い合う姿にあった。
豊かになり過ぎた現代の日本人に、自分さえよければ他人は関係ないというような昨今の行き過ぎた個人主義の蔓延、お国のために命を捧げた先人に敬意も感謝も示さず、豊かさが当然となり、慢心して強欲になり過ぎた日本人に対し、大震災は反省を即している気がしました。言葉だけの平和ではなく真の平和とは何か、最近は聞かれない徳の心を忘れていないか、日本人としての矜持を忘れてはいないか・・。
 
日本人は死んだら終わりと考えず、死後は魂となって故郷の山々から子孫の生業を見守り、幸せと繁栄を祈り続けてくださると考える。
今、この言葉をしっかり受け止め、御先祖様を敬い、自分があるのは誰のお陰であるのかを肝に銘じて、先人に恥じないように今の日本国をお互いによくしていこうではないか。
そう考えれば瓦礫だって気持ちよく受け入れることができるではないか。
 
 
 
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