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〔4〕失われた光・・・(1)
ヘンディーに電話をかけようと思ったのは、確か函館の街に初雪が舞い落ちた12月の中頃だった。
四国の徳島から18歳で上京し、新宿の楽器店で仕事をしていたのだが、ミュージシャンになることもなく、もっと別な生き方もあったんじゃないかと考えていた頃、楽器店の先輩が、
「郁ちゃん。気分転換に旅行にでも行ってきなよ。近場でもいいからさ。心にいいよ。本当だよ。私なんかさ。親のすねっかじりでさ。音大まで行かせてもらったくせに、プロにも成れず、こうして楽器売って、自分のスタイルみたいなのを辛うじて持ち堪えてるけど、部屋代払って、普通にお昼食べて。毎月給料日前には、強制的自動的ダイエットでなんとか持ち堪えて・・。恥ずかしい話だけど、今でも時々苦しいときに、仕送りしてもらう時があるんだ。これってダメ女だよねえ?」
美穂先輩は自分より2歳年上のファゴット吹きだ。目指していた芸大を諦めて、私立音大を卒業し、楽器店に入社した。若干鼻が悪いらしく、いつも鼻声だけど、一番やさしい先輩だった。
函館で育った美穂先輩の部屋に招待されたとき、郷里の親から沢山のジャガイモと一緒に、毛ガニが届けられていた。それを一匹まるごと郁雄に食べさせてくれたのだ。
そんな美穂先輩が、正月休みに郁雄を函館に招待してくれた。毛ガニにいくら、タラバにアブラ蟹。ラーメンも美味い店がある。郁雄は函館が好きになってしまったのだった。・・・でも、ほかにも好きになる理由があった。函館山と郷里徳島の眉山が、兄弟のように思えることだったのだ。麓にあるのが教会とお寺の違いはあったけど。
その後、しばらく東京で楽器を売っていたが、函館が気に入り思い切って引っ越した。函館で半年ほど暮らしていたのだが、まだしばらくは東京にしがみついていたい気持ちになった時、あの手渡された箸袋を思い出したのだった。
住所はふたつ記されていた。その一方に、
『東京都福生市大字福生・・・・』
と書かれていたのだ。何となく不幸せな自分が、幸せになれるような「約束の地」のような文字の力。福が生まれる・・・・か。30分程心を落ち着かせてから、福生のヘンディーに電話した。
函館の五稜郭のそばにある、バーガーショップから、初雪の便りとともに、電話したのだった。
「こんばんは。神岡郁雄です。その折はビールをひっくり返してご迷惑お掛けした、函館の男です」
郁雄は、寂しさや悩みを見破られまいとして、凛とした口調で話しかけた。すると、
「おっ。郁ちゃん。元気?かかってくるの待ってたよ。で、いつ帰って来る?マイ・ホームタウン・フッサへ」
郁雄はウッと声を出した後、急に泣き出してしまった。 受話器の向こうでヘンディーが静かに聴いてくれてるのが伝わってくる。やっとのことで、落ち着いた頃、
「郁ちゃん。福生(ふっさ)良いとこ一度はおいで〜だよ」
と、笑いながら話してくれる。お金が無いなら送るよ。働いて返してくれればいいし・・・・。住む場所も仕事もあるから、福生に帰っておいで。と言ってくれるのだった。
一週間後、郁雄は再び東京の地を踏むことになる。
以前と比べると、東京の片田舎ではあるけれど、日本人の少なさが異常に感じられる街だ。
初めてJR福生駅に降り立ち、東口のロータリー前のバーガーショップで、ヘンディーとの再会の時を待った。
軍服に階級章を付けた体格のいい米軍兵が店に入って来る。ふとカウンターの上を見上げると、天井から、
『TAX FREE』の文字が吊り下がっている。
店員の女の子が、普通に英語で会話している。ブロークンだが、音はネイティヴだ。郁雄は、今日からここで暮らすのかと思うと、きっと今まで自分が知らなかった世界がここにはあると思えるのだった。
人影まばらな駅前のロータリーを出入りする、自動車のナンバープレートは、平仮名の部分にアルファベットの『Y』の文字が入った、米軍基地関係者の運転する自動車だけだった。
手持無沙汰に、2杯目のコーヒーを注文しにカウンターへ行くと、さっきは日本人の女の子が応対してくれたのに、今度は明らかに『外人顔』の、ミーシャ・パリス似の褐色のキュートな女の子がこちらに向き、立っている。 郁雄は、一瞬英語の表現を組み立ててから、彼女の前に進み出た。
「Coffee please. One cup . The size is small.」
完全にブロークンな即席英語だ。すると、彼女が
「大丈夫ですよ。日本語でも。ここは日本ですから」
と、流暢な日本語で応対してくれた。
・・・・福生は不思議な街だ。・・・・・・
よくよく考えてみれば、彼女の言ってることが真実であり、ここは日本の東京都の一部なのだ。日本人が相手の見かけで英語をしゃべる必要はない。彼らこそ日本語を勉強して話すべきであり、モノオジすること等ないのである。
そう考えると、幾分気持ちが楽になる。コーヒーを受け取ると、さっきの窓際の座席に腰を下ろした。
すると、眼の前のガラス越しに、1台のフォルクスワーゲンが停車した。1957年前後のヴィンテージもののビートルだ。それがわかるのも、郁雄はビートルが好きだからだ。最近めっきり減ったクルマではあるが、存在感のある愛らしいカタチが、いまでも名車の雰囲気を保っている。
と、運転席から降り立った男は、間違いなくヘンディーだった。ヘンディーはすぐ郁雄に気がつくと、左手の親指を得意げに立て笑い、素早いフットワークで店内にはいって来た。
「郁ちゃん。久しぶり。疲れたんじゃない?」
本当に懐かしそうな、人なつっこい笑顔でヘンディーが話しかける。
「いや。そうでもないです。なんかここの雰囲気に飲まれちゃって」
郁雄は、まるで無人島にいるところを、顔見しりの漁師に、奇跡的に見つけ出された遭難者のような気持ちで、ヘンディーの眼を見つめながら話した。
「そう。でもさ。夜になるともっとディープな福生がわかるよ」
自慢げに、ヘンディーが嬉しそうな表情でそう話す。
自然に左手をあごの下に運び、親指と人差し指であごの先端のひげの剃り残しを確かめるような仕草をみつめてハッとした。
函館で出逢った時は気付かなかったが、左手の薬指に指輪をしているのだった。
郁雄は空かさず、
「ねえ。ヘンディー。奥さんいるの?」
するとヘンディーの表情は突然暗くなり、フッとひと息入れてから話し始めた。
「郁ちゃんと函館で逢ったでしょ?あの日は49日の翌日だった。友達たちが亡くなった女房のお別れ会をしてくれたんだ。女房は函館出身でさ。彼女の実家で法要を済ませ、その翌日君の勤める居酒屋に招待された。」
ヘンディーの寂しそうな顔を初めてみた。それまで郁雄は、ヘンディーは、そんな悲しい陰のようなものを引きずってる男には見えなかったから、意外であった。
左手の指輪を右手で触りながら、
「急だったんだ。身近で大切な人間が、突然いなくなることは、本当に堪えられないことだよ」
きっとそうだろう。郁雄は思わずもらい泣きしてしまった。
「よし。じゃあ今日から君の住むところと任せる店を案内しよう」
無理やり笑顔を作り直すと、頭を右に傾け、さあ行くぜってジェスチャーで合図する。『外人顔』だとこういったシチュエーションの時、得だなあと思う。カッコいいもの。
まるで映画のワンシーンのように、サマになる彼とサマにならない自分。いつか彼のように、陰りあるカッコイイ男になりたいと思う。
ビートルはオリジナルのコンディションを保ったオフホワイトの外装とは対照的に、内装はエキゾチックなワインカラーに変更されている。助手席は左側だからヤナセが輸入したものかもしれない。いずれにせよ、古き良き時代と日本人が魅力的に感じるエキゾチックな『外からのもの』が、ほどよく溶け合ったコーディネートだ。
「ここが「赤線」だよ。昔、ここから生まれた『生命』が、実はたくさんあるんだよ。いつの時代もこの世は男と女しかいないわけだけど、その出会いがどんな風であれ、最終的に選択する権利を女性が持っているわけだ。女は怖いよ。郁ちゃん。気を付けなよ」
ステアリングをゆっくり左に切りながら、狭い路地にクルマは入っていく。道幅が狭くなると同時に、ビートルの独特な水平対向4気筒エンジンの、小気味の良い排気音が腹に響いてくる。ところ狭しと道路を覆うように、色とりどりの袖看板が、歪んで張り出している。
間もなくクルマは一軒の店の前で停まった。看板には黒地に白抜きの文字で『SOL ソル』を書かれていた。(つづく) |

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