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最近読んだ本から 「日本はなぜ世界でいちばん人気が あるのか」 (1) この本のタイトルを見て、何か むやみやたらの 「日本賛美」 の本、と思われる方も おられるかもしれません。 実は、私も本屋さんでこの本を見かけて、そう思いました。 本の著者は 竹田 恒泰氏。 旧皇族の生まれで、明治天皇の玄孫にあたられます。 私は、本屋さんで、この本の著者を見て、「あ、きっと日本賛美なんだ」 と思いました。 しかし、本を読み進めてみて、ちょっと違っていたことがわかりました。 何か…、この本を書いた志というか、そういうものが 読んでいるうちに、 読み手の私に 「カチン」 と当たるのです。 「こういうつもりで書いたのです」 と。 実は、竹田さんは、ご自身のHPでも書かれていますが、 旧皇族でありながら、とても活発な方で、 大学時代には、世界各地へ 旅してまわられた経験ももっておられるとのこと。 http://www.takenoma.com/ ですから、本を書くとき、考えたそうです。 「アメリカ人は アメリカを愛しています。 韓国人も 韓国を愛しています。 でも、日本人は、なんだかそうではない。 自分の国を愛せなくなっている人、自分の国をよく知らない人が 増えている気がします。 僕はそれが悲しくて、日本人に 『日本はこんなに誇れる国だ』 と分かってほしくて、 だからこの本を書きました」 外国に行って、日本のことを話せるかなあと、ふと思いました。 こんな歴史があって、それはこんなことが背景だったんです。 日本には、こんな文化で、こんな特徴があるんですよ。 あれ、話せないかもしれない・・・、私も ふと思いました。 そんなわけで、この本を通じて、竹田先生が伝えたかった、日本の 「いいところなんだよ」の部分を 知って行こうと思います。 これから ご紹介するのは、そのごくごく一部分。 でも、「へ〜!」 と思ったりしたので、お時間があれば、ぜひお付き合いください。 http://www.ritouki-aichi.com/21seiki/21seiki_080520_0451.jpg
http://www.ritouki-aichi.com/21seiki/080520_21seiki_keizaikonwakai.html 竹田 恒泰氏 著書 『日本はなぜ世界いちばん人気があるのか』 より
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書) 「日本の歴史に驚嘆する」 と語ったイラク人
日本人は、日本人が思っている以上に異邦人に愛されている。これまで行われてきた各種調査でも 日本人は常に 好感度上位に入っている。しかし、これも先述の旅券同様、日本人がお金や技術を持っているからではない。 (ブログ主 注: この前の章 「高い値段で闇取引される日本パスポート」 で、日本のパスポートは世界各国で高い値段で取引される人気商品であることを、竹田氏は言及されている) 筆者がイラク戦争直前にしばらくイラクのバグダットにいたとき、地元の大学生とこんな会話をしたことを今でも克明に覚えている。私のことを日本人だと思って近くに寄ってきた地元のある大学生は、私に英語で 「I love Japan」 といった。 興味があったので 「Why?」 と問いかけると、その学生から思いもかけない答えが返ってきた。 トヨタやソニーといった異国で有名なブランド名が出てくると思っていたところ、彼が日本好きな第一の理由は 「Meiji revolution」 (明治維新)だという。 多くのアラブやアジアの国々が列強に国を破壊され、植民地にされたなか、日本だけは独自の力で近代化を達成して国を守り、有色人種の国で唯一列強に加わることができたことを その学生は強調した。 昨今の日本の大学生ですら明治維新の意義を知らない者が多い。 イラクの大学生の口から明治維新という言葉が出てくること自体、驚きだった。 私はその学生が特別な知識を持っていたのではないかと思い、後で数人の別の学生に問うてみたところ、やはり全員が明治維新を知っていた。 私が感心していると、その学生は続けて 日露戦争について語りはじめた。アラブ世界の人々にとって小国日本が巨大なロシア帝国に戦争を挑み、世界最強といわれたバルチック艦隊を撃破したことは、狂喜乱舞するほどの喜びであり、その感覚はいまだに若い世代にも語り継がれているというのだ。 衝撃を受けて立ちつくしている私に対し、その青年は次のように語りつづけた。 これまでの歴史において、イラクを含め、米国に攻め込まれた国はたくさんある。 しかし、あの米国に攻め込んだのは、後にも先にも日本だけだった。 結果は残念だったが、その後わずか数年で国際社会に復帰し、東京オリンピック、高度経済成長を経て、屈指の経済大国にのし上がった。 日本の国の歴史は驚嘆に値する、と語ってくれたのである。 その青年は、日本人が天皇の下に1つに結束する姿が美しく、そして うらやましいという。 天皇は歴史的に日本国を統合する機能を発揮してきた。 よく天皇は扇の要に譬 (たと) えられる。 要は外れるとバラバラになってしまうように、天皇がなくなったら、日本はバラバラになってしまうことだろう。 天皇を中心に国が1つにまとまっている状況こそ、和の精神を体現した究極的な姿なのかもしれない。 http://ec2.images-amazon.com/images/I/51jJoQNoOcL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_.jpg
最初もっていた偏見みたいなものが、いつの間にか、消えて 「なるほど」 という感じになりました。 日本って、世界でいちばん 「好感」をもたれているんですね。 そういえば、竹田氏が 日本のどこが人気があるのか、というと 「日本って人気があるんだよ。 知ってる?」 と言ったときの日本人の反応 「あれ? そうなの。 どこが?」 なのだそうです。 あまり、好かれようと思っておらず、しかも 過度の自国賛美がない。 しかし、困っている人がいれば、すぐに助けようとする。 親切である。 私も、そんなに 日本が愛されているとは 思っていませんでした。 これも、戦後の 自虐教育の成果なのかもしれませんが、 でも 「あ、そう?」 という ところが愛されているなら、 よい点も少しはあったのかな、と思ったりしています。 ^^ もし、お時間があれば、ぜひ読んでみてください。 かなり 「うふふ」 な本です。 success
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頑張れ!ニッポン!
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コメント(9)
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先週は夜勤をいたしました。大体夜勤すると、体力が劣っているのか、病気になる傾向がはっきりしてきましたね。
日曜の夜から、喉が痛く、我慢しても咳が出るようになり、腹痛と下痢、発熱を発現するようになりました。「風邪」をひいたようです。
発熱を伴う症状を発現すると、出社できない「会社の掟」があります。ですから電話で報告。主治医のいる大学附属総合病院へ。前立腺ガンの検査結果も出て、まあ、しばらくは薬を飲みながら、老い始めた身体を騙しだまし生きるより他ないようで。
ついでに、消炎剤と鎮咳去痰薬を処方してもらいました。あとはひたすら寝て免疫をつくるのみ。
今朝になっても症状が芳しくなかったので、欠勤の連絡をし、薬を飲んで先ほどトイレに起きました。
痰が激しく排出されると、喉の痛みもだいぶ楽になりました。腹痛下痢は若干残ってますが。
鬼の霍乱(かくらん)ですね。昔はよくそう云われてきました。人一倍健康そうな肢体を持ち、病気になんぞなる分けがないというふうに見られがちだったので、鬼の霍乱(かくらん)だと云われてきたのです。
現在においては、あまり適切ではないような気がするのですが・・・・。
神の霍乱(かくらん)とか、仏の霍乱(かくらん)とか、仙人の・・・・・。
やっぱり罰当たりで性懲りもない私です。
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親日感情が強いウズベキスタンは
3月11日の震災直後の14日には救助隊員や救援物資の申し入れをしてくれました。
・・・・・
大東亜戦争の終戦時、
60万人以上の日本人がシベリアに抑留され強制労働に服しました。
そのうちウズベキスタンに強制移送された日本人2万5千人中、
約800人以上が帰国することが出来ず、異国の地で亡くなりました。
その多くは水力発電所や運河、道路などの建設にあたらされていました。
中山恭子元駐ウズベク大使は在任中に、
今も国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督に会いました。
この元現場監督は、まじめに懸命に汗を流していた日本人抑留者たちの思い出を
涙ながらにこう語ったそうです。
「捕虜の境遇にあっても、勤勉に働く日本人抑留者たちは、
当時の地元民に心から敬意を表されていた」
現地の人はボロボロになった日本兵に「絶対に帰れる」と励ました。
ある少年はソ連警備兵の目を盗んでこっそりと収容所の隙間から
日本人捕虜の傷だらけの手に黒パンや果物を握らせました。
彼ら少年も食べて生きていくのが大変な時期だったはずです。
しかし次の日にはそこに粗末な温かみのある日本兵の手造りのおもちゃが置いてありました。
ウズベキスタン共和国の首都タシケントにある国立ナボイ劇場は、
レンガ造りの三階建て観客席1400の建物で市の中心の代表建造物として
今もその威容を誇っています。
これは約500人の日本人抑留者が2年がかりで建設した遺産です。
レンガ製造から館内の装飾、彫刻まで日本人抑留者が行いました。
抑留兵士の中にいた建築技術者がこの国に地震が多い事を知り、
丁寧に手を抜かずに造ったといいます。
1966年、タシケントで大地震が発生しました。
多くの建造物が倒壊していたのに、この劇場はビクともせず、誇り高く建っていた。
「日本人の建物は堅固だ」
「日本人の建築技術は高い」という評価を得ました。
この劇場正面には
1945年から46年にかけて
極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、
その完成に貢献した
とウズベク語、日本語、英語で表記されています。
これはカリモフ大統領が
「決して日本人捕虜と表記するな。 日本とウズベキスタンは一度も戦争していない」
と厳命したといいます。
1991年に旧ソ連から独立して新国家建設を進めたウズベキスタンは、
カリモフ大統領をはじめに日本の明治維新や戦後復興をモデルとして
「日本に見習え」を合言葉にしました。
2万人の抑留者のうち800人以上が現地で死亡し、
そのまま土をかぶせられた土まんじゅうでした。
見捨てられたままのその土まんじゅうの墓は荒れ放題となっていました。
しかし元抑留者たちが中心となって募金活動を行いウズベキスタン政府の協力も得て、
その後、日本人墓地が整備されました。
「日本に帰ってもう一度、花見がしたかった」
と言い残して亡くなった多くの日本兵たちのために、
日本からは桜の苗木1300本が贈られました。
・・・・
東日本大震災を受けて、
「こちらでは様々な人がさまざまな形で震災の被害に対し気遣いを示して下さっています」
とあり、タシケントの日本語を習っている児童が
「私たちの心は日本といっしょに」
という絵を書いてあるというブログ記事がありました。
東日本大震災で亡くなられた多くの同胞の方々は、
さくらの季節を前に亡くなられました。
きっと満開のさくらで花見したかったのではと思います。
東北の復興には、ぜひともたくさんのさくらを植樹して頂きたいと思います。
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神奈川県足柄上郡箱根町にある、駒ケ岳(標高1356M)の火山活動が活発化、噴火しそうになってる・・らしい。
私は山麓の町に住んでいる為、もう逃げ場がありません。もし、相模湾で地下30Km未満で地震が発生し、ついでに箱根の駒ケ岳が噴火すると・・・・・。
いくおさんの云っている九頭龍が復活、人間では手に負えない・・・・・。
まあ、生きているうちは、できるだけブログを更新いたします。
私は、山へ逃げろと最近云っていますが、噴火しそうな山域には入山しないでくださいね。
詳しい、公的な情報が入手でき次第、またご報告いたします。
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