悩めるNo.2 塾講師パットワンチャイのブログ

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国家の品格

まだ「人気店の〜」の方が途中なんですが、この本が今日返さなきゃいけなかったので、感想を。

内容のまとめ

《欧米型の論理的・合理的手法の限界》

ルネッサンス・宗教改革・科学革命・産業革命がヨーロッパに起こり、近代合理主義をかざしてヨーロッパが、そしてその後継者であるアメリカが世界のグローバルスタンダードを作り上げているが、現代の様々な問題を鑑みるに、その方法が万能であるとはもはや言えない。

たとえ論理的思考が絶対的に正しいとしても、その思考には出発点が必ず必要であり、その出発点が異なれば全く違う結論を導く。従って、欧米型の手法が論理的思考にそって進められているとしても、その出発点が正しいかどうかは疑問である。その出発点とは自由・平等・民主主義の精神であり、それは絶対的なものではない。(自由と平等はそもそも相対する考え方であり、民主主義によって戦争を行ってきた例は昔も今もある)そして、実は最も重要なことは論理では説明できず、「ダメなものはダメ!」と言うしかない。


《日本伝統の「情緒」の重要性》

日本人にはすばらしい「情緒」がある。
「情緒」とは、自然を敬い、自然に跪(ひざまず)き、自然とともに生きる、また、儚いもののあり方に美しさや共感・連帯を感じる心(もののあわれ)であり、懐かしさという感覚もまた日本人は強く持っている。家族愛も日本的なよさの一つで、まず家族愛がなければ、郷土愛を持てないし、さらには祖国愛にもつながっていかない。「愛国心」という言葉は良い意味と悪い意味を持っており、「ナショナリズム」(自分の国さえよければ的考え)ではなく、人々は「パトリオティズム」(祖国を愛する気持ち)を持つことだ。

《武士道を生かす》

そこで見直すべきは、日本古来の「武士道精神」だ。武士道には慈愛・誠実・忍耐・正義・勇気・惻隠(そくいん:弱者を憐れむ心)・名誉と恥など、日本的で重要な精神がつまっている。例えばいじめ問題でも、みんな仲良く、などという実現不可能なスローガンを掲げるよりは「卑怯」という、力の強いものが弱いものを倒すのはいけないことだというのを教えればよい。


《国家の品格》

品格を持った国である条件は3つ。
「美の存在」 自然や建築、文化など、美しいものに囲まれていること。事実、インドのある地方には歴史上の天才を何人も生み出した美しい環境がある。
「跪(ひざまず)く心」 自然や先祖、神仏など、何かに深く頭を下げる気持ち
「精神性を尊ぶ風土」 お金や物質を重んじるのではなく、精神的なものを大切にする気持ち
日本にはこの条件がそろっており、品格ある国民たり得る。品格のある国家とはその経済力ではなく、その精神性と高い道徳によって他国から尊敬される国であり、日本がその武士道精神によりこれから世界で認められ、世界をリードしていく使命を持つ。


と、こんな感じ。まとめ、といいながら内容が変わっていたり、私の主観が入っていることをお許しください。

去年のベストセラーなので、「おお〜」という感じもするが、「あ、そう」という感じもある。
論理的な手法の限界や日本の伝統的精神の見直し、という部分は共感できるし、勇気も持てる。今まで何となく、「こういうのって、筋は通っているけど嫌だなあ」という感覚を持つことがあったが、それは自分の中で日本式と欧米式が戦っていたということだろう。生徒や保護者に、仕事としてドライにならなければならない部分と、情をもってのぞみたいという部分や、利益を追求する一方で、子供たちのために利益を度外視してやってやることなどがそれだ。

また個人的には日本大好きなので、少し肩身の狭い思いをしていた自分を恥じ、自分や日本人が培ってきたものに自信を持っていきたい。虫の音をノイズだという外国人に感じられないものを日本人は持っているということに誇りを持つとか。

自由・平等・民主主義も、その生まれをたどれば、人間の思想の高みでではなく、あくまで何らかの権力や束縛に対抗する力として生まれたものであり、いじめ問題などを考える意味でも、平等や自由が悪い影響を与えているのでは、という示唆にもなった。

同僚と時々話すのだが、同じことをしても、生徒によって怒られたり怒られなかったり、先生によって対応が違う、というのは当たり前なのではないか、と。もちろん、それをたてに好き放題やっていいということにはならないし、えこひいきが過ぎるのは程度を見て防ぐべきだが、先生たちでその基準を揃えましょう、なんてことはナンセンスかもしれない。私もよく、「こいつはいいの!」と言って誰かをかばったり、「他の子はそれでいいけど、お前はそれではいけないだろう」と異なる対応をすることがある。

ただ、だからと言って、この筆者のように、日本的な精神が正しく欧米的な手法が誤りだ、という偏った考えにはどうしても賛同できない。日本的なものの良さには弱点も内包されているし、欧米的なものによって悪くなったものとともに数え切れないほどの良いものも我々は手にしておきながら全て否定するという姿勢はよくない。最近の日本人があまりに欧米側に傾きすぎていたから、そのシーソーを日本寄りに戻してやろう、という気持ちでよい(筆者もそこまで激しく言うくらいしないとそうはならないかと思って、そういう論調になったのかもしれないが)。

今の教育や子供の世界で起こっている問題の原因は、日本的にせよ、欧米的にせよ、軸のない教育なのかもしれない。そもそも、教育に絶対はない。絶対に正しい思想・絶対に必要な能力・普遍的な学習などなく、あくまで、教育をする側(集団・個人)の価値観に基づくものだ。じゃあそれで偏った悪い人間になるかというとそうではなく、ある軸によって教育を受ければ、その軸を太くしたり、伸ばしてみたり、または色の違う軸に移ってみたりと、自分が元々いた軸を起点にまたその人間ならではの軸を作り上げていく。

日本人ならそれは日本古来の人々が受け継いだ価値観による軸であってしかるべきで、日本人でいながら欧米人のそれを身につけるのは不自然だ。親が望んでそうさせるのは構わないが。古来から受け継がれたもの、伝統というのは、ある意味、時代や流行によって左右されない、その文化ならではの太い軸だと言える。成長して、自分の中でそれを守るか捨てるかどんな形に変えるかは別として、教える側は堂々と、日本的なものを伝えていくべきだろう。こっちが勝ってる、負けてる、ではなく、我々日本人はずっとそれでやってきて、他の国にはない精神や文化を作り上げています、と。生まれた国で、その国の文化・伝統・精神を教える。当たり前のことだ。

日本人としてのきちんとした軸を持ち、外に出てもそれを隠したり大きく形を変えたりすることなく、他のそれぞれの軸を必要以上に高く低く見ずにそのまま受け入れて、場合によっては自分の軸を修正しながら、いろいろな人とうまくやっていく、それが世界で認められる品格ある人間なのかもしれない。もともとそれは国単位でなく、人と人でも軸が違っていて、それをぶつけあいながら大きくなっていくんだし。

私は日本ラブですが、それは日本に生まれ育ったからで、多分違う国に生まれていたらまたその国が一番だ、と思っているはず。そういう意味では、うどん屋さんに一生懸命ラーメンの作り方習ってないで、(日本人から欧米的なものを学ばないで)まずは最高のうどんを作れるように(日本人の年配の方がしっかりと身につけている精神なり文化なりを持てるように)なりましょうよ、ってことだろうか。


長くなりましたが、皆さんのお考えをお聞かせください。読み返すと何か危ない思想のように受け取られたりするかもしれないな、と思ったりもします。でも、大声で、「日本大好き!」と言うと「あいつ危ないやつ」と思われる風土ってどんなものかと。「日本チャチャチャ!」ならいいんですか。「愛国心」はいけないけど、ワールドカップでブラジルに勝ってほしいと思うのは最低なんですか。「自由」は良いことで「身勝手」は悪いことですか。山は死にますか〜川はどうですか〜


すいません。熱くなりました。何か世間で騒いでることにやるせなさを感じて、、、、


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