環境・正義・歴史の友達のブログ

なんでもこの目で見て、なんでも知って、世の中の役にたちたい

全返信表示

返信: 43件

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

[ 公徳心を高めよう ]

2018/12/23(日) 午後 6:45

顔アイコン

公徳心は,社会生活の中で守るべき正しい道としての公徳を大切にする心である。
この公徳を大切にする心が,一人一人の日常生活の中で具体的に生かされることで,住みよい社会が実現できる。また,社会生活においては,一人一人が共に手を携え,協力しだれもが安心して生活できる社会をつくっていこうとする社会連帯の自覚は欠かすことができない。

この社会のすべての人々が,自分も他人もともどもによりよく生きようとしていることを自覚することから,互いに助け合い励まし合うという社会連帯の自覚も出てくる。
社会全体に目を向けるとき,個人の向上と社会の発展とが,矛盾しないような在り方が求められ,よりよい社会の実現に向けた個々の努力が日々積み重ねられることが必要となる。

[ 世の中の傘 ]

2018/11/18(日) 午後 1:21

顔アイコン

市や患者らの実行委が「油症の経験を未来につなぐ集い」として主催した。認定患者2322人(3月末時点、故人含む)のうち、長崎県は964人。五島市はその約9割を占める。野口市太郎市長は「事件を知らない世代も増えてきた。被害の現状を認識する機会となることを願う」とあいさつした。

被害者が高齢化する中、現在まで有効な治療法はなく、一方で未認定の被害者や、患者の子・孫の救済など残された課題は多い。同市の患者団体の旭梶山英臣会長(68)は「一般に流通した油を食したという意味でどこでも起こり得る。未知の化学物質がまた(同様の事件を)引き起こすことを考えておかねばならない」と油症の教訓を訴えた。

来賓として出席した坂口力・元厚生労働相は「(ダイオキシン類の血中濃度の基準に偏重せず)症状の有無で認定をしてもいいのではないか。50年を節目にもう一度検討すべきだ」と、患者認定のあり方を見直すよう唱えた。

[ 世の中の傘 ]

2018/11/17(土) 午前 11:48

顔アイコン

長崎県五島市で17日にある、カネミ油症発覚から50年の式典には、坂口力・元厚生労働相(84)も出席する。患者認定の基準改定や被害者救済法の立法に携わり、油症問題に深く関わった。未曽有の被害への思いや、積み残した課題を聞いた。

――厚労相時代、認定基準にダイオキシン類を追加する見直しに答弁などで言及し、2004年に改定が実現した。発言にあたって省内のすり合わせがあったのか。

全くなかった。主原因がダイオキシン類だという研究は国内外であった。いろいろ言われるのが分かっていたので、官僚に相談せずに答弁した。ハレーションは大きかったが、事実を曲げるわけにはいかない。

[ 還暦からの正義感 ]

2018/11/4(日) 午後 2:56

顔アイコン

怨み屋

怨みをもつ人間に代わり、依頼を受けて金銭と引き換えに復讐を代行する者のこと。
怨み屋はまず恨みを持つ者の身辺調査を行い、その人物に「あなたの怨み晴らします。社会的抹殺・人探し・実質的殺害(価格応談)」と書かれた黒い名刺を渡す。連絡を受けると、直接依頼者と会い、復讐の動機、何をして欲しいか、そしてそれに応じた金銭の要求を行う。依頼人が依頼料が払えない場合は、怨み屋が指示する「別の方法」で金を作らせ、その金で報酬として支払わせる。なお、依頼人の好意による追加報酬も受け取っている。

仕事の内容は大きく分けて「実質的殺害」と「社会的抹殺」であり、何らかの理由で怨みの対象が分からない場合は別料金で「人探し」も行う[2]。標的の生活スタイルや心理を巧みに突きながら、毎回様々な手段を用いて仕事を行って標的を破滅させ、依頼者以外には怨み屋が関与したという認識すら残さない。
また、直接的暴力はなるべく使わず、頭脳によって抹殺を行うことをモットーとする。基本、被害者が受けた実害を標的に与えている。

[ 白フクロウの眼差し ]

2018/8/25(土) 午後 5:41

顔アイコン

コリャーク人は、ロシア連邦極東のカムチャツカ地方の先住民族で、ベーリング海沿岸地帯からアナディリ川流域南部およびチギリ村を南限とするカムチャツカ半島極北部にかけて居住している。
体つきや生活習慣などが極めて似ているチュクチ人と同系であるほか、カムチャツカ半島のイテリメン人とは遠い同系である。

コリャーク人は西にエヴェン人、東にケレック人、北にチュクチ人、南はカムチャツカ半島の最狭部でアレウト人領域に隣接している。

コリャーク人はおおまかに二つの集団がある。沿岸に生活する集団は定住して漁業を営んでいるため、「村人」を意味する Nemelan(またはNymylan)と呼ばれ、トナカイ遊牧を営む内陸のコリャーク人は、放浪がちの「トナカイ長者」を意味するChauchenと呼ばれる。

コリャーク語及びその近縁語イテリメン語は、言語学的にチュクチ語に非常に近く、チュクチ・カムチャツカ語族をなす。

[ 北海道にまた行きたいな ]

2018/8/25(土) 午後 5:12

顔アイコン

オホーツク文化は、3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化である。この文化の遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布していることから名付けられた。このうち、北海道に分布している遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推定されている。

海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送っていたオホーツク文化の担い手を、オホーツク文化人、また単にオホーツク人とも呼ぶ。オホーツク人は『日本書紀』に現れる粛慎と考える見方が有力であったが、近年行われた人骨の遺伝子調査から、ニヴフ人やコリヤーク人との近似性が示されている。
同時期の日本の北海道にあった続縄文文化や擦文文化とは異質の文化である。

なお、トビニタイ文化をオホーツク文化に含めるかどうかについては、現在のところ意見が分かれている。トビニタイ文化は9世紀から13世紀まで北海道東部にあり、擦文文化の影響を受け、海岸から離れた内陸部にも展開した。両者の継続性を認めてオホーツク文化の一部にする考えと、生活の違いを重視してオホーツク文化に含めない考えとがある。

[ 北海道にまた行きたいな ]

2018/7/22(日) 午後 1:12

顔アイコン

オホーツク文化は土器の特徴にもとづいて初期、前期、中期、後期、終末期の5期に区分される。オホーツク文化の発生地は樺太南西端と北海道北端で、初期は3世紀から4世紀までで、土器の形式からは先行する鈴谷文化を継承している。そこから拡大して北海道ではオホーツク海沿岸を覆い、樺太の南半分を占めた。この5世紀から6世紀を時期を十和田式土器に代表される前期とする。中期は7世紀から8世紀で、活動領域はさらに広く、オホーツク文化の痕跡は東は国後島、南は奥尻島、北は樺太全域に及んでいる。9世紀から10世紀の後期には、土器の様相が各地で異なる。終末期の11世紀から13世紀には土器の地域的な差違がさらに明確化する。

9世紀に北海道北部では擦文文化の影響が強まり、オホーツク文化は消滅した。同じ頃、北海道東部ではオホーツク文化を継承しながら擦文文化の影響を受けたトビニタイ文化が成立した。樺太ではオホーツク文化がなお続き、アイヌ文化の進出によって消えたと考えられるが、その様相ははっきりしていない。

[ 食品汚染がカネカ油症を生じた ]

2018/7/19(木) 午後 8:46

顔アイコン

黒水靺鞨は726年には、渤海の領土を通って唐へ使者を派遣し、軍事顧問としての唐の役人の派遣を要請した。
そこで渤海は、「必ず是、唐家と謀を通じ、腹背より我を攻めるなり」と危機感を増大させ、727年に日本へ遣使を行った。
これが日本と渤海の交流の始まりである。当時、日本と朝鮮半島の新羅の関係は悪くなっていたため、渤海は日本が新羅にプレッシャーをかけることを期待したのであろう。

しかし、当時、新羅と唐は関係が良好であったので、唐から新羅に渤海征討の命令が下る。
それを受けて新羅は733年渤海を攻撃するが、渤海の南境は山も高く険しく、雪も深かったため征討は失敗した。

その上、渤海が最も頼りにしていた遊牧民族の国家突厥は内部紛争が起こったのである。そのため渤海は735年、唐突に唐に謝罪して朝貢を再開する。

[ 公序良俗に反するカネカPCB ]

2018/7/19(木) 午後 8:44

顔アイコン

黒水靺鞨は726年には、渤海の領土を通って唐へ使者を派遣し、軍事顧問としての唐の役人の派遣を要請した。
そこで渤海は、「必ず是、唐家と謀を通じ、腹背より我を攻めるなり」と危機感を増大させ、727年に日本へ遣使を行った。
これが日本と渤海の交流の始まりである。当時、日本と朝鮮半島の新羅の関係は悪くなっていたため、渤海は日本が新羅にプレッシャーをかけることを期待したのであろう。

しかし、当時、新羅と唐は関係が良好であったので、唐から新羅に渤海征討の命令が下る。
それを受けて新羅は733年渤海を攻撃するが、渤海の南境は山も高く険しく、雪も深かったため征討は失敗した。

その上、渤海が最も頼りにしていた遊牧民族の国家突厥は内部紛争が起こったのである。そのため渤海は735年、唐突に唐に謝罪して朝貢を再開する。

[ 歴史&環境&公徳心ツアー ]

2018/7/7(土) 午後 2:24

顔アイコン

8世紀に能登国が成立すると、七尾に国衙(こくが=国の役所)がおかれ、国府としての街作りがはじまります。
国府の横には能登国総社がたてられました。能登国の国衙は未発見ですが、地名から古府町周辺に造られたと想定されています。
国衙の周りには様々な役所や蔵など、沢山の建物が建てられていたと思われます。
実際に、徳田町から古府町一帯にかけて、多くの古代遺跡が確認されており、このどこかに国衙と群衙が造られていたと推測されています。
全国の国衙の発掘調査から、中心の建物は瓦葺きであった可能性がある。古府遺跡や総社からは瓦が出土しています。場所は未だに確定できていないので、今後の発掘調査が待たれる。

また海岸では、国の港(国津)として香島津の整備されたことがわかる。というのは『延喜式』という書物の主税寮諸国運送漕雑物功賃条に、香島津から越前敦賀津までの雑物を運ぶ場合の船賃の記載があるので、国が管理していた国津とわかるのである。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
環境や正義の友達
環境や正義の友達
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新の画像つき記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

検索 検索
友だち(45)
  • まち美化ネットワーク
  • ブライダルって・・
  • 安全は大切ですね
  • 高砂でカネミ油症を考える
  • 歴史の真実を世紀ごと学ぶ
  • 建設環境は震災復興
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事