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我が家のオリーブの木 あるテレビ番組の放送記念に視聴者へ、とてもすばらしい贈り物をしよう思いつき 小さなオリーブの木を何人かの視聴者へ自分たちの予算で やりくりできる範囲で贈り物として、発送したそうです。 ところが二週間後、今度は非難の手紙が殺到し、それは、視聴者の手にとどいた時には ほとんどが枯れてしまったということだった。 ただその中で、一通の手紙に心を打たれたといいます。 その受け取った方は、郵便配達人から小さな箱を受けとったとき 胸がゾクゾクと震え、とても興奮し、幸せだったと。 そして、そっと段ボールを開き、小さなプラスチックの箱の入った ビニール袋をとりだした。 ところが驚いたことに、枝は枯れてしまっていた。 しかし、どういうわけか捨ててしまう気にはなれなかったそうです。 そして、すかっり乾燥してしなび、葉が縮んでしまったオリーブの木を 植かえることにしたそうです。 こんなに一生懸命手入れするのは、多少ばかばかしい気がしないでもなかったそうです。 ところが、数日たつと葉が芽生え、小さな枝を太陽のほうへ向けていたそうです。 それでうれしいあまり、感謝の気持ちは、とても言葉では表せないが 手紙にこのオリーブの木を文字どおり「愛している」ことを伝えたという話しでした。 この話しを聞いて、しなびきった根にまだ生命が宿っているなんて、 ふつう信じられないですよね。 こう考えます。 あなたの人生には、もう希望はないのだろうか? 夢は消えてしまったのだろうか? 自尊の念は粉砕されてしまったのだろうか? たとえそうでも、投げやりになってはならないし まだあきらめてはならないのだと。 この「オリーブの木」のように根には依然、生命が宿っているからです。 その生命を引き出していきたいと願うし、その様な気持ちが大切だと。 自ら信じることによって、その生命を潤してもらえばと感じました。
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日記
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この画像はネットより頂きました。 こちらも一桁の温度で寒かった。 こんな寒い日には身体を少しでも動かして・・・と 仕事帰りにプールへ行った。 去年はあまり行けなかったので今年こそはとお正月から2回ほど(まだたったの2回だけれど) 順調に週1回は行っているので、まずまずの出だしである。 この寒さだと流石に来ている人も少ないだろうと思いきや、 結構皆同じこと思っているのかいつも静かなプールが賑わっていた。 というのも、ひとコースでは水泳クラスがあっていたからだろう。 4コースある内、両端のコースはウォーキング専用、 中二つが遠泳コースと普通のコースとなっている。 以前は遠泳で1キロは泳いでいたけれど、アレルギー治療を始めて 泳げなくなったので、もっぱら歩くコースで1時間歩くようにしている。 1時間だと丁度1.2から3キロは歩くので丁度いいようである。 ただ単に歩くだけでは良くないのではと思い、インストラクターに相談した。 インストラクターの方が、 どこを重点的に鍛えたいですか?と聞かれて 即、ウエストまわりですと。 足と手をクロスさせて歩きながら呼吸を整える。 横歩き、後ジャンプ、前走り、足を大きく踏み出して歩くなど いろいろとメニューを作ってくれて毎回同じことをする。 ひと月もすれば、お正月休みに寝ては食べてのグータラ生活でしっかり付いたお肉も取れて すっきり軽やかになるのでは??と期待して、頑張る私でございます。
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友がチケットを頂いたとかで私を誘ってくれたので行きました。 博多座へは今まで何度か歌舞伎や演劇を見に出かけていると言っても いつも誘っていただいてお供するだけ。 自分でチケットを買うことはないのでチケットが幾らするのかもよく知らなかった。 結構ないい値段でこの頃は申し訳ないなあと思いながらも誘っていただいて喜んで 付いて行くようになった。随分と現金なものである。 今回は谷崎潤一郎原作の「細雪」 随分前に岸恵子、佐久間良子、吉永小百合出演の映画を見たことがあり 京都の平安神宮、桜見物を4人姉妹が着物で歩く姿はそれは美しく ため息が出るような映像の数々を見たことを思い出した。 今回の劇場では大空真弓、山本陽子、紺野みさ子、南野陽子出演で四姉妹を演じている。 内容は、 昭和12年ごろの徳川時代から続く大阪船場の木綿問屋の四人姉妹の 喜びと悲しみ、支え合ってそれぞれの運命を生きてゆく姉妹の姿。 鮮やかに咲き誇る花もやがては散ってゆく・・・。 そんな四人姉妹のはかなさと美しさを描いている。 昭和の女性の生きかたや、着物の艶やかな美しさ、船場の言葉がなんともゆるりとやわらかい。 劇中で着物干のシーンは舞台一面豪華な着物が干されそれは綺麗なことだった。 たまには着物も着てみたいなと思ったことだった。
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初夢とは元旦又は2日の夜に見る夢のことなのだろうが。 普段でも夢はあまり見ないんだけれど、今年最初に見た夢だから初夢なのだろう。 それは母の夢だった。 母は65歳の命だった。 末期の胃がんで病院で見てもらってから2ヶ月で逝ってしまった。 まだ若かった私はどう母を看取ってやったらいいのかも分からずに時だけが過ぎて 素直に死というものに目を向けられず、母にも納得行く看病も自分の思いを伝える言葉もかけるこ とができずに母と別れることとなった。 それからずっと母の命日や事あるごとに何もしてやることのできなかった自分を責め, 悔やまれてならなかった。 母は家でできる仕事を持っていたので小さい頃は学校から帰っても いつも母が「お帰り」と迎えてくれ鞄を母の仕事場に置いたまま、 学校での出来事とか友達のことを気が済むまで話しては、 母が黙って聞いてくれることをいいことに仕事の邪魔ばかりしていた。 それでも母は「なあに、どうしたの?」と私の顔色を見ながら聞くのが口癖で 夢の中の母も同じように仕事の片付けしながら、そう聞く姿だった。 その一瞬の映像が夢を見ている自分に問いかける。 これはもしかしたら夢なのかな?と。 そこに懐かしそうに母をみている自分がいた。 嬉しくて嬉しくて涙が頬を伝って流れていた。 母の暖かさが伝わってくるようで、母の笑顔を見て泣いている自分がいる。 目覚めた時、 母に出会えた喜びで泣きながら寝ている自分がおかしくもあったが。うれし涙がポロポロと。 ああ、やはり夢だった・・・。 でも、その日一日最高の幸せを感じていれた。 愛する人なら幽霊になってでも出てきてほしいとよくいうが、 こんな夢でまた元気で優しくあたたかな表情をした母に会えるのなら いつでも出てきてほしいと思った。 母に、「ありがとう」とそして、「またあいに来てね」とお願いした。
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やっと晴れ間が見え、気温もどうにか10度を越えました。 年末から寒波がおりて、寒い正月でしたが今日は平年並みに戻りました。 友を訪ねて近くの神社へ初詣に行きました。 此処は海の見える小高い丘の上に建つ小さな神社で普段は訪れる人も少なく静かです。 お正月の飾り付けをした神社で一年の安全と平和を祈りました。 今年はどんな年になるのだろう。 薪の火の前で暖をとりひと休みして心身共に暖かくなり 更なる一歩前進できるような良い年になることを願って帰ってきました。
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