八ヶ岳にある薬草・樹木 と 男の腕まくり

園内の四季折々を紹介+男料理にまつわること+思い出の木

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サルトリイバラ ユリ科

 ガーデンキーパーさんは20日で御用収め、今日は静まり返った園内を霜柱を踏みしめな

がら回りました。アーチにしてあるサルトリイバラがあまりにも見事な紅玉でしたので写

真をとりました。つる性の植物、葉は革質で3-5本のはっきりした平行脈が走っています。

つるにはまばらな棘があり、巻きひげで絡みつく。緑の茎は節でジグザグに曲がって面白い。

 この実は赤く冴えて実にうつくしい!まさしくジグザグの茎にかんざしをつけたようで

す。 薬用植物としては 薬用部位:根茎 薬効:利尿、下痢止め。解毒・解熱

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シラベ

シラベ Abies Veitchii                マツ科
オオシラビソ Abies mariesii
社会に出て最初の研究

私には苦い経験がある。大学四年生になり就職を考えなければならない年となった。卒業研究の面白さから、研究の延長上で仕事をしたい、出来れば試験研究機関で働きたいと思った。大学院も考えたが、当時は大学院に入るには、東大など旧帝大の博士過程に入ることであり、遠い世界に思えた。森林林業の研究というと、手っ取り早いのは、地方公務員になり試験場に入ることだった。某県の上級職を受けた。一次試験が受かり、私の恩師・船引浩三先生は、わざわざその県に行き、県庁と試験場にいって頭を下げてくれた。しかし、にもかかわらず最終結果は、「不採用」との通知を受け取った。船引先生から大目玉をくらった。「君は何を面接で話したのだ。普段から口数の少ない君だが、きちんと受け答えが出来なかったのか!・・・」と。すっかりまいってしまった。落ちたことより、先生の怒りにあったのがショックであった。落ち込んだ私を見かねた研究室の山田昌一教授は部屋に呼んでくれ、小さなデミタスカップで本物のコーヒーをご馳走してくれた。先生は言葉少なく「人生は思い通りにならない。・・・・しかし人生には無駄がないのだよ!」そういって慰めてくれた。その言葉はずっと忘れられず、その場面が脳裏に焼き付いている。「人生には無駄がない!」、その言葉の意味がこの頃ようやく納得できる様になった。私はそのことを、子供たちに講演する機会があると、いつも、「人生には無駄がない。」、「すべて時宜にかなうように・・すべて時にかなって美しい。」と、体験をもとに話している。
さて当時、そのことから大学に研究生として残りたいとお願いしたが、「早く社会に出なさい。」ということで、富士吉田にあった山梨県林業試験場(現在の森林総合研究所富士吉田試験園)を紹介され、二二条職員として採用された。このことは私の望んでいた仕事が可能になった一歩であった。
本当に良き先輩に恵まれ、良く訓練された。途中から国の研究機関に転出し、育種研究、育種事業、海外協力で活躍された古越隆信博士(インドネシアでも一緒に仕事をさせていただいた)、古越さんには育種の実践研究の手ほどきを受けたと思っている。 アイディアいっぱいで仕事熱心の故長田十九三氏、長田さんからは、「良く学び、良く遊べ」と、よく言われた。仕事を精一杯する、そのかわり、ストレス解消も忘れるなということだったと思う。そして苗畑で育苗、交配、さし木、接ぎ木など実践を指導受してくれた故広瀬弘江氏、この三人が私の試験研究の礎だったと感謝している。床造り、タネまき、交配、増殖、種子採取、富士山の植生調査などよく外を飛び回った。
この三人からは仕事だけでなく、お酒も教わった。全くアルコールが駄目だった私が日本酒を飲めるようになったのは、この三人に鍛えられたからである。毎日夕方になると、「おい、清藤君、刺身のブツを買ってこい」、近くの魚屋へ行くのが私の夕方の仕事で、酒屋から研究室に一升ビンが届けられて、一升を空けるまで飲むのが日課であった。

先輩からテーマが与えられた。「亜高山樹種としてモミ属は重要である。特にシラベ(AbiesVeitchii)は亜高山地帯の重要な造林樹種なので、シラベに関する遺伝育種研究をやってはどうか?」。
 そこで始めての研究テーマとして、シラベをとりあげた。シラベの的確な種子採取時期を把握するため、富士山に調査木を定めて雌花から球果に発達する過程で、形態の成長、色、比重、含水率、胚の成長、発芽率を時系的に調べていった。その結果、九月中旬が採取適期という結論をえた。これがはじめて学会で発表した仕事であった。その後の研究では、人工交配するため、雄花、雌花の開花時期を、シラベ、ウラジロモミ(Abies homolepis)で調べ、花粉の採取時期、花粉の採取方法等をも調べたのは懐かしい思い出である。
また、一九六八年の夏、国の試験研究機関の前田禎三先生(後宇都宮大学教授)と土壌研究室の宮川 清氏のお手伝いで、シラベ、オオシラビソ(Abies mariesii) 林の植生を調べるため野呂川に入山した。お二人とも本当に熱心で、連日地面に這いつくばって夜暗くなるまで芽生えや稚樹の数を数えたことは忘れがたい。その時は野呂川の事業所に寝泊まりしていたのだが、前田先生の同級生が県庁の総務部長であったせいか、お酒の差し入れが毎日あった。大酒飲みの前田先生と、一口で赤くなる宮川さんの組み合わせで夕食をとるのが、おかしかった。先生は朝早く目を覚まし、戸を開けはなち外を眺めながら、昨晩の飲み残しの冷めた徳利のお酒を飲んでいた姿が、なつかしい。
その時の仕事は、亜高山林の植生タイプ、カニコウモリ型、コケ型で種組成、後継樹の数がどうちがうのかを調査した。コケ型では、稚樹の本数は、ヘクタール一〇〇,〇〇〇本から一二〇,〇〇〇本という数で、一方、カニコウモリ型では少なくなり、二,〇〇〇本前後、倒木更新はコケ型で多いことがわかった。
我々林学屋は、シラベと呼ぶが、生物屋さんは、シラビソと呼ぶ方が多い。どちらも和名としては間違いではない。シラビソは、「白桧」で、白いヒノキの意味、シラベが本来ヒノキの代用とされたといい、しかもその樹肌がヒノキに比べていちじるしく白いので、これをシラビソと称した。このシラビソが、シラビと略され、それがなまってシラベになったようである。オオシラビソは球果が大きいシラベが由来である。
さてシラベとはどんな木であろう。クリスマスシーズンに園芸店で売り出されるモミの木を想像していただければよい。北海道ではトドマツかもしれないが、本州・少なくても山梨ではシラベがモミの木として売られている。シラベの分布は本州・福島県から和歌山県、四国の亜高山地帯に分布し、県内では富士山、南アルプス、八ヶ岳、関東山地の標高一六〇〇m〜二五〇〇mの亜高山帯に生育している。、亜高山帯を代表する樹木の一つである。一般的に樹高は二〇〜三〇m、幹の直径は三〇〜五〇cmになる。純林を形成するときには林の下はとても暗くなり、下草はコケの仲間で覆われていることが多くなる。コケ地帯では倒木更新が実にうまく行なわれている。 亜高山帯には本樹に似たオオシラビソ(アオモリトドマツ)が自生しているが、シラベは小枝につく細長い葉は枝に対して左右対象的につくが、オオシラビソはシラベのような左右対象の葉の間から馬のたてがみのような葉がでるのが特徴である。球果は青紫色であり、長さ五〜六cm、直径二cmで樹冠上部の枝に直立してつく。
山梨のシラベの人工林は一一六〇五ヘクタール、蓄積二〇一三立方メートルにおよぶ。富士山麓では天然林の伐採の後、カラマツとシラベの列状混植林も多く見られ、時間の経過とともに、シラベがカラマツの樹高を追い越した林分も多い。
 筑波の学園都市にある国立森林総合研究所に、遺伝分析手法を学ぶため、三ヶ月間の短期研修に行った。研修には二〇代・三〇代の研究員が行くのが通例であるが、私が行ったのは四〇後半になって行った。受け入れてくれた生態遺伝研究室の当時のメンバーは山本千秋室長、北村系子氏、関 剛氏。歳をとって行ったため、自分で好きにやるように言われ、本当に充実した三ヶ月であった。多くの研究者に出会い、また、さまざまな新しい情報の収集が出来るなど触発されることが多かった。この間インドネシアの研修生とも同室でインドネシア語を教えてもらったり、また時折仕事のあと部屋で飲み会があったり、また北村さんや仲間で結成した「テルフォレスター」というテレマークスキーのメンバーになり、休みにスキーへ行ったり、レースに出たりで、それは変化に富んだ楽しい研修期間であった。
その時にやった仕事がシラベの遺伝子分析である。当時はまだシラベの遺伝子分析はみあたらず、シラベの遺伝変異、繁殖構造の解析を行うには先ず遺伝子マーカーの探索が必要だった。ここで確認できたシラベのアイソザイム標識遺伝子は七酵素種七遺伝子座一四対立遺伝子であった。
このときのテクニックが、翌年派遣されたインドネシア林木育種研究所のプロジェクトでの技術移転に役立つことになった。
話をもどす。オオシラビソは青森県八甲田山から南アルプスの加賀白山までの亜高山帯に生育する常緑針葉樹である。緩やかな傾斜地では樹高は三〇m、直径五〇〜八〇cm近くになる。葉は長さ一〜二cmで先端に向かって幅は広くなり、先端は円い。オオシラビソはシラベのような左右対象の葉の間から馬のたてがみのような葉が出、葉の裏は白色であり、葉が立ち気味なので、横から見ると白さがめだつ。球果は黒紫色であり、シラベ同様に樹冠上部の枝に直立してつき、長さ六〜一〇cm、直径四〜五cmでシラベより大きい。
オオシラビソは湿潤多雪地帯によく純林を形成するが、積雪量の少ない太平洋側にシラベ林が形成され分布する。脊梁地帯では両種が混生している。山梨県の亜高山帯でも混在しているところもみられるが、微地形的にみると、凹地形ではオオシラビソが凸地ではシラベが発達している。
歴史的過程で説明すると、氷河期に温度が低下することにより、より低い標高に分布は移動する。最終氷河期以降・約六〇〇〇年前に、現在よりも高い気候の時期があり、逆に高標高域に分布は移動し、低い山では絶滅がおこった。これを「追い出し効果」といい、温度が再度下がった現在でも針葉樹林が回復しない場合が多い。また、一方では日本海側が多雪気候になったのは最終氷河期以降で、多雪に弱いシラベは絶滅し、比較的雪に強いオオシラビソのみがいくつかの山で残った、とする説もある。
集団遺伝学的にはシラベは北海道のトドマツと近縁関係にありアジア分布域にはいるが、オオシラビソとは近縁ではなく、オオシラビソは北米太平洋岸分布種と近縁であることが明らかにされた。それはモミ属の中でもオオシラビソは古く分化したものが日本列島に遺存した種と考えられている。
シラベは富士山北麓にずいぶん造林されているが、困ったことが起きている。それはニホンジカの樹皮食い被害が増えていることである。一九九三年頃から被害が発生し一九九九年には急増している。被害に遭うのはシラベがほとんどで、ウラジロモミ、ヒノキにも被害はでているが、多くはない。八ヶ岳地域ではカラマツに被害がみられ、しかし富士山麓ではカラマツの樹皮食い被害がほとんど無いのも特徴である。なぜシラベを食べ,カラマツを食べないのか、恐らくニホンジカの母親の集団の違いによるものと思われる。それは個体群の遺伝的違いを明らかにすればよい。現在DNAのマイクロサテライト分析により遺伝的多様性を明らかにし地域個体群の違い、個体交流の範囲・頻度が明らかにされつつある。
また病虫害では富士山麓のシラベ人工林においてトウヒツズヒハマキによる被害が一〇〇ヘクタールにもおよび、多くの枯死が生じていて、これも今後の更新がどうなるか問題でもある。皮肉にも単一樹種一斉造林の弊害を示す展示場となった。
花言葉は「高尚」。

冬空のアクセサリー

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ツルウメモドキ・マユミ(ニシキギ科)

 園内はすっかり冬支度。コナラ属の木だけが葉がすっかり枯死状態になっても名残惜し

いのか枝にしがみついております。この現象もおもしろいですね。普通は離層が出来て落

葉するのですが。この寒空に輝いている果実はこの2種でしょうか?どちらもニシキギ科、

ちょっとユーモラスでもありしかも、美人に出あったそんなときめきも覚えます。

モミ  ウラジロモミのお話し      

 クリスマスの歌にもなっているモミの木だが、子供の頃見ていたクリスマスツリーは、トドマツだったかもしれない。また大学時代に過ごした新潟にはモミはなかった。モミの天然分布を調べてみると、やはり北海道、北裏日本にはほとんど無い。
山本周五郎の時代小説に有名な「樅の木は残った」がある。伊達騒動の中心人物である原田甲斐が、江戸の寺に仙台からモミの木を移植した。その木に伊達家の命脈を託して象徴的に表現したものである。小説の中で、原田甲斐に「樅の木は北国の風雪に強い木で,江戸では暖かすぎて良く育たない」と言わせている。でもこれはおかしいと思う。周五郎の思い違いで、もしかしたらアオモリトドマツ(Abies mariesii)であろう。もしモミの木というなら、北国の木という表現は当たらない。仙台が北限でそれより以南、四国、九州、屋久島に達する日本固有種である。温帯下部によくツガと混交している。モミは常緑の針葉樹。成長は早く、大木になる。神社の境内や社叢などに生育していることが多いが、近年は各地の二次林にも稚樹が生育しているのが認められるようになった。マツ枯れの後に侵入したものと思われる。本来の生育地は夏緑広葉樹林と照葉樹林の境界域を中心とした地域であり、それを指して中間針葉樹林帯と呼ばれることもある。地形としては尾根筋や斜面上部などの急傾斜地であることが多い。アカマツと同様に、発芽・定着には腐植質が地表を覆っていないことが必要であり、斜面崩壊や表面侵食などによって鉱物質土壌が表面に裸出しやすい立地に生育する。
 神社では、神様がおりてくる際に目印となるような樹木が好まれる。先端の尖ったスギやモミなどの針葉樹が最適のようであり、このような役割を持った樹木を「当て木」(あてぎ)という。神社に生育しているものには、当て木として植栽されたり、積極的に残されたものも多いものと思われる。
 山梨県では、集団でまとまっているモミ林といえば韮崎の旭・甘利山へ向かう道を途中左におりて林道旭山線に入った苗敷山にあるモミ林で、樹齢九〇年を越す見事な林である。ここは穂見神社の入り口で、まさしく当て木として神の降りてくる目印の意味をなしていたと思われる。モミがあったから神社をそこに建てたのか、それとも自然に生えてきたのか不明であるが。ここからモミの葉のサンプルを採取し、九州大学の白石 進教授に送ったことがある。 九大ではモミ属の遺伝的変異をDNAマーカーで調べているが、結果はどうなったか聞いてない。 モミは材木としては良材ではなく、棺桶ぐらいにしかならないとの話も聞く。あまり利用されなかったために残った側面もあるのかもしれない。

モミに似た樹種にウラジロモミ(Abies homolepis・一名ダケモミ・ニッコウモミ)がある。山梨にきて初めて担当した仕事は苗畑担当であった。当時は富士吉田の現山梨県森林総合研究所富士吉田試験園の苗畑でこのウラジロモミも育苗した。モミ属の中でも比較的生育がよい樹種である。天然分布は福島・栃木以南の本州中部山岳地方を中心に、紀伊山地と四国山地の山地地帯から亜高山帯に分布するこちらも日本固有種である。
名前から葉の裏が白いことでウラジロモミと言われるが、モミの葉裏面にも白色の縦線があり、葉先の色では区別がつかない場合も多い。どこで見分けるか、一番は一年生枝を見て有毛で葉の先が二尖形を呈するので痛いのがモミ、一年生枝は太く、浅い溝が著しく無毛で光沢があるのがウラジロモミである。モミに比べウラジロモミの樹皮は赤みが強い。 モミの球果は円筒状で灰緑色であり、ウラジロモミは円筒状で農紫色である。
吉田の試験場勤務時代、ウラジロモミの球果採取で富士吉田市の浅間神社のウラジロモミの木に登って球果を採取したら緑色であった。これは新しい品種か、と国の試験場に送って調べてもらった。それはミツミネモミ(Abies×umbellata)ということであった。ミツミネモミとは本州中部のモミとウラジロモミが接する地帯で見られる交雑種で、両種は自然交雑種が生じやすいということをその時知った。
山梨県ではウラジロモミの人工林が富士山麓を中心に1912ha、蓄積262立方メートルである。天然林では大菩薩にある長兵衛山荘南側標高1600mにある学術参考林が立派である。

さて、クリスマスツリーはモミの木となっている。歌では「オー、タネンバウム、オー、タネンバウム〜、」ドイツ語でタンネンバウムはモミの木、本当にモミなのか?本場ドイツでは元々はヨーロッパモミ(Abies alba)だったと思うが、現在はほとんどなく、クリスマスツリーとして使われているのは大抵ドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)(Picea abies)である。
では日本ではどうか?私がクリスマスシーズンに売られているのを見た限りでは、モミ属(Abies)とトウヒ属(Picea)で、シラベ(Abies veitchii)、ウラジロモミ、ヨーロッパトウ(Picea Abies)である。北海道ではトドマツ(Abies sachalinencis)、エゾマツ(Picea jezoensis)が一般的に使われる。モミは痛くて扱いにくく、上記のモミ属、トウヒ属の樹種は栽培しやすことから、普及するようになったのであろう。山梨の花屋さんの店先では、したがってクリスマスの「モミの木」というのも、正確にはシラベ、ウラジロモミ、ドイツトウヒで違うということになる。アメリカ産の組み立て式のクリスマスツリーを見たことがあるが、これはホワイトパイン(Pinus storobus)を模っていた。
このクリスマスシーズンになれば、あちこちで見かけるクリスマスツリー、その由来はなんであろうか。イエスキリスト誕生の地イスラエルの地には、モミは無い。もしその地の常緑樹ではじまったとするならば、レバノンシーダー(スギ)(Cedrus libani)、イトスギ(Cupressus senpervirens)とかでなければならない。そうなると、さしずめ日本ではヒマラヤスギ(Cedrus deodro)とかにるはずである。
そんな疑問からなぜモミになったのか調べたことがある。
この由来は八世紀のやはりドイツにさかのぼると言われている。当時のドイツには、ドルイド教団(キリスト教に改宗する以前の古代ケルト族の僧・妖術師・詩人・裁判官など)と呼ばれる人たちがいた。彼らはオーク(木)を崇拝し、幼児犠牲を捧げていた。伝説によると、イングランドからの伝道者であるボニファティウスが、それを止めさせようとしてオークを切り倒した時、一本のモミの若木に変わる奇跡が起こった。それを記念するためドイツではモミの木をクリスマスに植えるようになったということである。また、一六世紀のこと、有名な宗教改革者マルチン・ルターがクリスマスイブ礼拝の帰り道、森の中で常緑樹の枝の合間にまばゆく輝く無数の星を見、その美しさに打たれたルターは、それを子供たちのために再現しようと、家の中に木を持ち込み、火を灯したろうそくを枝にくくりつけたそうである。それから、ドイツではクリスマスツリーが一般的になり、次第に色々なオーナメントが飾り付けられるようになってきということである。クリスマスツリーの習慣は、ドイツからの移民たちによって一九世紀初頭にはアメリカへと伝えられた言い伝えがある。
 また、イギリスでは1841年、ビクトリア女王の夫君であるアルバート公がウィンザー宮殿でクリスマスツリーを飾り付けたのが始まりとされている。ツリーには必ず常緑樹を使う。この「常緑」、つまり強い生命力をもって一年中葉を茂らせる緑の姿は永遠をあらわし、さらに神の永遠の愛や、イエス・キリストが与える永遠の命を象徴している。
永遠の命の木の生命力にあやかろう、祝おうという習俗は、実に無数にある。古代ローマの時代から、ローマ人達は季節ごとに月桂樹の枝を戸口に飾っていた。また、クリスマスが近付くと、時代が経つにつれ、クリスマスの間にモミの若枝を天井からぶら下げて飾るようになってきた。今でいう「クリスマスのリース」であろう。これが今から300年程前頃には、現代のような、木の枝に林檎やお菓子を下げ、蝋燭を点けたものになっていたようである。木に吊るされる玉は本来リンゴ、つまり生命の果実である。吊るされる人形は、古い異教の信仰の「木に吊るされた生け贄」の代用からはじまったという説もある。
 世界的に見れば、木を運び込んで飾り付け、祀るのは、しばしば見られる。西欧の「五月柱(メイ・ポール)」、日本にも同様のものはある。例えば七夕の笹。地方によっては、小正月(旧暦の正月)には木の枝(ミズキ)に、紅白の小餅を花のようにくっつけて飾り付ける。
ツリーの先端に飾られる星は、三人の博士を幼子キリストの元へ導いた”ベツレヘムの星”を表している。
ちなみにクリスマスにはヒイラギ(Osmanthus heterophyllus)のリースも持ちいられる。この意味は、やはりイエスキリストに関わることで、イエスキリストが十字架につけられる前にいばらの冠をかぶらされた。刺(とげ)のようなヒイラギの葉は、そのいばらの冠を象徴している。また、赤い実をつけるが、その赤い実は私たちの救いのためにイエスキリストが流した血を、そして緑の葉はやはり永遠の命をあらわしている。クリスマスはイエスキリストの誕生を祝うお祭りと考えるが、信仰的にはキリストの十字架の死と復活まで意識したお祭りなのである。
花言葉は「高尚、時、昇進」
  

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シラベ(シラビソ)Abies veitchiii モミ属                マツ科

 クリスマスツリーはモミの木となっている。歌では「オー、タネンバウム、オー、タネンバウム〜、」ドイツ語でタンネンバウムはモミの木、本当にモミなのか?本場ドイツでは元々はヨーロッパモミ(Abies alba)だったと思うが、現在はほとんどなく、クリスマスツリーとして使われているのは大抵ドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)(Picea abies)である。
では日本ではどうか?私がクリスマスシーズンに売られているのを見た限りでは、モミ属(Abies)とトウヒ属(Picea)で、このリースに用いたシラベ(Abies veitchii)か、ウラジロモミ、ヨーロッパトウ(Picea Abies)である。北海道ではトドマツ(Abies sachalinencis)、エゾマツ(Picea jezoensis)が一般的に使われる。モミは痛くて扱いにくく、上記のモミ属、トウヒ属の樹種は栽培しやすことから、普及するようになったのであろう。山梨の花屋さんの店先では、したがってクリスマスの「モミの木」というのも、正確にはシラベ、ウラジロモミ、ドイツトウヒで違うということになる。アメリカ産の組み立て式のクリスマスツリーを見たことがあるが、これはホワイトパイン(Pinus storobus)を模っていた。
このクリスマスシーズンになれば、あちこちで見かけるクリスマスツリー、その由来はなんであろうか。イエスキリスト誕生の地イスラエルの地には、モミは無い。もしその地の常緑樹ではじまったとするならば、レバノンシーダー(スギ)(Cedrus libani)、イトスギ(Cupressus senpervirens)とかでなければならない。そうなると、さしずめ日本ではヒマラヤスギ(Cedrus deodro)とかにるはずである。
そんな疑問からなぜモミになったのか調べたことがある。
この由来は八世紀のやはりドイツにさかのぼると言われている。当時のドイツには、ドルイド教団(キリスト教に改宗する以前の古代ケルト族の僧・妖術師・詩人・裁判官など)と呼ばれる人たちがいた。彼らはオーク(木)を崇拝し、幼児犠牲を捧げていた。伝説によると、イングランドからの伝道者であるボニファティウスが、それを止めさせようとしてオークを切り倒した時、一本のモミの若木に変わる奇跡が起こった。それを記念するためドイツではモミの木をクリスマスに植えるようになったということである。また、一六世紀のこと、有名な宗教改革者マルチン・ルターがクリスマスイブ礼拝の帰り道、森の中で常緑樹の枝の合間にまばゆく輝く無数の星を見、その美しさに打たれたルターは、それを子供たちのために再現しようと、家の中に木を持ち込み、火を灯したろうそくを枝にくくりつけたそうである。それから、ドイツではクリスマスツリーが一般的になり、次第に色々なオーナメントが飾り付けられるようになってきということである。クリスマスツリーの習慣は、ドイツからの移民たちによって一九世紀初頭にはアメリカへと伝えられた言い伝えがある。
 また、イギリスでは1841年、ビクトリア女王の夫君であるアルバート公がウィンザー宮殿でクリスマスツリーを飾り付けたのが始まりとされている。ツリーには必ず常緑樹を使う。この「常緑」、つまり強い生命力をもって一年中葉を茂らせる緑の姿は永遠をあらわし、さらに神の永遠の愛や、イエス・キリストが与える永遠の命を象徴している。
永遠の命の木の生命力にあやかろう、祝おうという習俗は、実に無数にある。古代ローマの時代から、ローマ人達は季節ごとに月桂樹の枝を戸口に飾っていた。また、クリスマスが近付くと、時代が経つにつれ、クリスマスの間にモミの若枝を天井からぶら下げて飾るようになってきた。今でいう「クリスマスのリース」であろう。これが今から300年程前頃には、現代のような、木の枝に林檎やお菓子を下げ、蝋燭を点けたものになっていたようである。木に吊るされる玉は本来リンゴ、つまり生命の果実である。吊るされる人形は、古い異教の信仰の「木に吊るされた生け贄」の代用からはじまったという説もある。
 世界的に見れば、木を運び込んで飾り付け、祀るのは、しばしば見られる。西欧の「五月柱(メイ・ポール)」、日本にも同様のものはある。例えば七夕の笹。地方によっては、小正月(旧暦の正月)には木の枝(ミズキ)に、紅白の小餅を花のようにくっつけて飾り付ける。
ツリーの先端に飾られる星は、三人の博士を幼子キリストの元へ導いた”ベツレヘムの星”を表している。
ちなみにクリスマスにはヒイラギ(Osmanthus heterophyllus)のリースも持ちいられる。この意味は、やはりイエスキリストに関わることで、イエスキリストが十字架につけられる前にいばらの冠をかぶらされた。刺(とげ)のようなヒイラギの葉は、そのいばらの冠を象徴している。また、赤い実をつけるが、その赤い実は私たちの救いのためにイエスキリストが流した血を、そして緑の葉はやはり永遠の命をあらわしている。クリスマスはイエスキリストの誕生を祝うお祭りと考えるが、信仰的にはキリストの十字架の死と復活まで意識したお祭りなのである。
花言葉は「高尚、時、昇進」


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