八ヶ岳にある薬草・樹木 と 男の腕まくり

園内の四季折々を紹介+男料理にまつわること+思い出の木

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ソメイヨシノ Prunus yedoensis              バラ科
五稜郭公園の桜

日本の象徴、サクラ。奈良時代の日本は、中国の影響を受け、花といえば「梅」であった。それが平安時代になると「桜」に変わっている。この桜という語源も、いろいろな説がある。「さくや・咲耶」、「さきうら・咲麗」、「さきはや・咲映」などがあるが、すべて花が咲くということに由来し、桜の花が咲くことを愛でることが重要だったことがうかがえる。
子供の頃のアルバムに、家族と、両親の親しくしていたご夫婦とで、お花見にいった時の思い出の写真がある。鍔のある学生帽をかぶって、正装をし、おすましをしている。サクラの木の下にゴザをしき、ジュースを飲んだり、手作りの海苔巻き、稲荷すし、卵焼きなどのご馳走を食べた。父は酒もタバコも駄目だったが、周りでは、カラオケこそなかったけれど、飲めや歌えの大騒ぎの宴が繰り広げられ、酔っ払いも多かった。花見は当時、数少ない娯楽のひとつだった。その場所は、函館の五稜郭公園である。函館には、この五稜郭と、石川啄木の歌「函館の青柳町こそ悲しけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」の碑のある函館公園が、桜の名所だった。
話しを戻すが、五稜郭公園は、城郭が五角の星形をなし、江戸末期に造られた我が国初の洋式城郭。明治維新の際、榎本武揚(たけあき)が官軍に抵抗した舞台として広く知られている。堀の内外には、桜が約二六〇〇本咲く。約八割はソメイヨシノで、二割は八重咲きの関山(かんざん)や普賢象(ふげんぞう)、鬱金(うこん)などのサトザクラである。ここの桜は、大正二年(一九一三年)に函館毎日新聞社が一万号発行記念として約五〇〇〇本を植樹したのが始まりだという。確かに太い堂々としたサクラだったと思うので大正時代に植えられたとすれば当時四〇年は経っていたのかもしれない。花見はゴールデンウイークの五月に入ってからだった。したがって、甲府のソメイヨシノの開花と比較すれば一ヶ月はずれている。
山梨にきて初めての花見をしたのは、山中湖にある東京大学の演習林の庭であった。東大の山中湖演習林とは共同で仕事をしていたので、演習林を管理していた方々も加わって行われた。
ここでのサクラは、自生しているフジザクラ( Prunus insisa)が多いが、富士山麓一帯にこのフジザクラが分布している。別名マメザクラといい、樹高もせいぜい五・六m前後で花も小さい。直径二cm前後の花が散形状に横向き下向きに咲く。ここ山中湖での花見は、五月に入ってからだと思う。そんな意味で、函館生まれの私には、山中湖に同じ季節観を感じ、うれしかった。
開花の仕組みはどうなっているのであろう。桜は前年の夏に花の元になる花芽をつくる。そのまま休眠し、秋から冬の低温に一定期間さらされると休眠から目覚めるいわゆる休眠打破が起こる。休眠打破は一度以下では起きず、二度〜一二度の気温が打破を促進する。目覚めた花芽は春の気温の上昇に伴い。生長し開花することになる。
したがってソメイヨシノの開花は気象温度でも予測することができる。一般に一日の平均気温が一二―一三℃になると開花し始めると言われている。しかし雪国と言われる地方では一〇℃、開花から満開になるのにかかる日数はおよそ七―八日間、東北地方では五日間で寒冷地になるほど開花から満開までの日数が短くなるといわれている。これもあくまでも目安で、木の個体差も大きい。咲いた花は一週間で散る。 
サクラの開花は、八分咲きのまだ若いときもよし、満開の一瞬もよし、さらに花びらが舞散ってゆく姿もまたよい。日本に生まれ育った我々は、そうした移り変わりを愛でる情緒風流があることに優越感を覚える。
サクラは日本の国花であり、山梨県ではフジザクラが県花となっているのがうれしい。ソメイヨシノはオオシマザクラ(関東地方や伊豆七島に多い)とエドヒガン(他のサクラより早く開花する)との雑種である。木の生長が早く、春、葉に先立って開花する。花は淡い紅色の五弁の花びらを持ち、萼(ガク)や花柄、葉などには軟らかい毛が多く生えている。江戸時代末期に、江戸染井の植木屋さんから売り出されたのでソメイヨシノの名前がついたといわれている。
フジザクラは、 花の直径は二センチほどで,小さいことからマメザクラという名前になった。木の高さも 三 〜 八メートルとあまり大きくならず,桜の中では最も葉が小さく、枝も細い。日当たりの良い山地の、比較的若い林や、風当たりの強い土地にも生える。
 分布範囲は狭いが、富士火山帯地域、箱根山地では、比較的多く見られ、花時は可憐で目立つ。
インドネシアで仕事をしていた時、ジャカルタから車で一時間半ほど南へ走ったところのプンチャック峠に、ボゴール植物園の分園、チボダス植物園があり、そこを訪ねたことがある。この地域は標高も結構高くなっており、雨の日などは肌寒いほどである。気温の急激な変化を利用してか、お茶畑が山の斜面に広がっており、そうした気象条件であるので避暑地・別荘地ともなっている。この植物園は別名「花の植物園」ともいわれ、亜熱帯植物を集めている。インドネシアにきて、はじめてサクラを見たのはここである。ヒマラヤザクラ(Prunus cerasoides )の表示板があった。日本のサクラよりも色が濃く花びらは重ならず一枚一枚でソメイヨシノとは、すこし異なるが、やはりサクラをみると日本人であることを意識する。日本のサクラの故郷はネパールのヒマラヤ地帯という説もある。ヒマラヤザクラは、ヒマラヤ山脈の標高一一〇〇〜二三〇〇mの暖温帯に分布している。日本には、ネパールのビレンドラ国王が日本留学中に熱海市に寄贈された種子から育てられた三本が知られている。毎年一一月下旬から一二月にかけてピンク色の見事な花を咲かせ、正月には若葉が青々として人々の目を楽しませていると聞いた。最近、二酸化窒素の吸収同化能力が優れていることがわかり(ソメイヨシノの五倍)、地球温暖化に一役かうサクラとして注目されてきた。
サクラの開花時期でないのにサクラが咲いているとのマスコミの問い合わせが、秋以降に毎年ある。
本来開花する時期に咲かないで、季節外れにサクラなどの花が咲くことを「狂い咲き」と言うが、この現象はどうして起きるのであろうか。
開花について「成長抑制ホルモン」の視点からみると、サクラなど落葉樹の場合、花芽分化から開花するまでのメカニズムは、花芽ができた後で、各葉に「成長抑制ホルモン」が作られ、これが花芽に移動する。そして葉は役目を終えて落葉する(休眠)。花芽は例え季節外れの暖かさがやってきても、「成長抑制ホルモン」の効果から、そのまま冬を越す。そしてこの「成長抑制ホルモン」は冬の寒さによって壊される(休眠打破)。この「成長抑制ホルモン」が壊されてから、春を迎えて暖かくなると、グングン成長し、ちょうど良い時期に開花するのが通常の姿である。ところが、各葉で作られた「成長抑制ホルモン」が花芽に移動する前に、大型台風、異常乾燥などによって、大事な葉が早く切り取られると、「成長抑制ホルモン」が花芽に届かないでしまう。それでも異常な暖かさがやって来なければ、花芽はそのまま冬を越すので、「狂い咲き」は起きない。問題は、台風などで「成長抑制ホルモン」が花芽に届かない場合で、かつ異常な暖かさがやってきた時に、もう春が来たのかと勘違いさせられ開花してしまう。つまり、「成長抑制ホルモン」が花芽に届かない場合で、異常な暖かさがやってきたという二つの条件が重なった時に、「狂い咲き」と言われる現象が起きる。「狂い咲き」というとなにやらロマンチックな響きがあるが、なんのことはない、桜は素で間違えているのである。
職場の近くの大法師公園で毎年桜祭りが盛大におこなわれている。その開催期間をいつにするか本当にその予測が大変のようだ。二〇〇二年の春は、桜が平年よりも二週間あまり早く咲いた、このため種々の影響がでた。
生物季節は、桜の開花や満開など、温暖化の影響を直接受ける感度の高い指標とみることもできる。甲府では一週間ほど早まっている。今後、こうした生物季節現象や植物の生長を注意深くみていくことにより、温暖化の影響の発現をいち早く検出できるので、影響を緩和するべく適応策の検討も容易になると考えられる。花言葉は「優れた美人」。

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