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シラベ Abies Veitchii マツ科
オオシラビソ Abies mariesii
社会に出て最初の研究
私には苦い経験がある。大学四年生になり就職を考えなければならない年となった。卒業研究の面白さから、研究の延長上で仕事をしたい、出来れば試験研究機関で働きたいと思った。大学院も考えたが、当時は大学院に入るには、東大など旧帝大の博士過程に入ることであり、遠い世界に思えた。森林林業の研究というと、手っ取り早いのは、地方公務員になり試験場に入ることだった。某県の上級職を受けた。一次試験が受かり、私の恩師・船引浩三先生は、わざわざその県に行き、県庁と試験場にいって頭を下げてくれた。しかし、にもかかわらず最終結果は、「不採用」との通知を受け取った。船引先生から大目玉をくらった。「君は何を面接で話したのだ。普段から口数の少ない君だが、きちんと受け答えが出来なかったのか!・・・」と。すっかりまいってしまった。落ちたことより、先生の怒りにあったのがショックであった。落ち込んだ私を見かねた研究室の山田昌一教授は部屋に呼んでくれ、小さなデミタスカップで本物のコーヒーをご馳走してくれた。先生は言葉少なく「人生は思い通りにならない。・・・・しかし人生には無駄がないのだよ!」そういって慰めてくれた。その言葉はずっと忘れられず、その場面が脳裏に焼き付いている。「人生には無駄がない!」、その言葉の意味がこの頃ようやく納得できる様になった。私はそのことを、子供たちに講演する機会があると、いつも、「人生には無駄がない。」、「すべて時宜にかなうように・・すべて時にかなって美しい。」と、体験をもとに話している。
さて当時、そのことから大学に研究生として残りたいとお願いしたが、「早く社会に出なさい。」ということで、富士吉田にあった山梨県林業試験場(現在の森林総合研究所富士吉田試験園)を紹介され、二二条職員として採用された。このことは私の望んでいた仕事が可能になった一歩であった。
本当に良き先輩に恵まれ、良く訓練された。途中から国の研究機関に転出し、育種研究、育種事業、海外協力で活躍された古越隆信博士(インドネシアでも一緒に仕事をさせていただいた)、古越さんには育種の実践研究の手ほどきを受けたと思っている。 アイディアいっぱいで仕事熱心の故長田十九三氏、長田さんからは、「良く学び、良く遊べ」と、よく言われた。仕事を精一杯する、そのかわり、ストレス解消も忘れるなということだったと思う。そして苗畑で育苗、交配、さし木、接ぎ木など実践を指導受してくれた故広瀬弘江氏、この三人が私の試験研究の礎だったと感謝している。床造り、タネまき、交配、増殖、種子採取、富士山の植生調査などよく外を飛び回った。
この三人からは仕事だけでなく、お酒も教わった。先輩からテーマが与えられた。「亜高山樹種としてモミ属は重要である。特にシラベ(AbiesVeitchii)は亜高山地帯の重要な造林樹種なので、シラベに関する遺伝育種研究をやってはどうか?」。
そこで始めての研究テーマとして、シラベをとりあげた。シラベの的確な種子採取時期を把握するため、富士山に調査木を定めて雌花から球果に発達する過程で、形態の成長、色、比重、含水率、胚の成長、発芽率を時系的に調べていった。その結果、九月中旬が採取適期という結論をえた。これがはじめて学会で発表した仕事であった。その後の研究では、人工交配するため、雄花、雌花の開花時期を、シラベ、ウラジロモミ(Abies homolepis)で調べ、花粉の採取時期、花粉の採取方法等をも調べたのは懐かしい思い出である。
また、一九六八年の夏、国の試験研究機関の前田禎三先生(後宇都宮大学教授)と土壌研究室の宮川 清氏のお手伝いで、シラベ、オオシラビソ(Abies mariesii) 林の植生を調べるため野呂川に入山した。お二人とも本当に熱心で、連日地面に這いつくばって夜暗くなるまで芽生えや稚樹の数を数えたことは忘れがたい。その時は野呂川の事業所に寝泊まりしていたのだが、前田先生の同級生が県庁の総務部長であったせいか、お酒の差し入れが毎日あった。大酒飲みの前田先生と、一口で赤くなる宮川さんの組み合わせで夕食をとるのが、おかしかった。先生は朝早く目を覚まし、戸を開けはなち外を眺めながら、昨晩の飲み残しの冷めた徳利のお酒を飲んでいた姿が、なつかしい。
その時の仕事は、亜高山林の植生タイプ、カニコウモリ型、コケ型で種組成、後継樹の数がどうちがうのかを調査した。コケ型では、稚樹の本数は、ヘクタール一〇〇,〇〇〇本から一二〇,〇〇〇本という数で、一方、カニコウモリ型では少なくなり、二,〇〇〇本前後、倒木更新はコケ型で多いことがわかった。
山梨のシラベの人工林は一一六〇五ヘクタール、蓄積二〇一三立方メートルにおよぶ。富士山麓では天然林の伐採の後、カラマツとシラベの列状混植林も多く見られ、時間の経過とともに、シラベがカラマツの樹高を追い越した林分も多い。
シラベの枯れで有名なのは、縞に枯れている北八ヶ岳の縞枯山がある。約一〇〇mの間隔を持った立ち枯れ帯は、年当たり一〜二mのスピードで山頂へ動くことが知られている。これは波状更新(wave regeneration)と外国ではよばれている。なぜ、縞状に立ち枯れるのか、その原因とでき方は、ずっと謎のままであった。大きな原因は、諏訪側から吹き上げる南西の偏向風と台風などの強い風と、それに火山噴出物の岩石におおわれた腐植土の浅い土地が、シラビソの成長を抑えているという立地条件にある。樹木の成長と枯死が風上側に存在する樹木の高さに強く依存するといった簡単な条件を設けることで,ランダムな初期状態から縞状のパターンが自動的に生成されることが格子モデルを用いた理論的研究によって明らかにされている。格子モデルでは、まず山の切断面に添っての樹木のパターンを一次元格子空間として考える。各格子点はほぼ年齢と高さの等しい樹木個体群が占めており、その状態はそれら個体群の平均樹高とする。ある格子点の樹木がひとつ風上側の樹木よりもある閾値より高い場合には,恒常風の影響によって根の浅いシラベの蒸散が過剰になり立ち枯れる。そうでなければ枯死せずに一定速度で成長する。そうすると、ランダムな初期状態から出発して、鋸歯状のパターンに自動的に収束することが示される。いったん鋸歯状のパターンができあがると,その後は形を変えずに一定の速度で風下に向かってこのパターンが移動するわけである。
立ち枯れの縞は、上の方へと移動して行く。木の寿命はおよそ七〇年〜九〇年くらいと分っている。縞枯山の北東斜面の林では、縞枯れ現象が見られないばかりか、太いシラビソ・細いシラビソ・ダケカンバ等いろいろの植物が生えていて、亜高山帯の普通の森林を形成している。偏向風はないので立派な森林になっている。また、縞枯れ現象は奥父部でも小規模でおこっている。この奥父部のシラベ林の枯損原因を、環境悪化の影響・酸性雨説と新聞に投稿していた方がいたが、それは残念ながら当たらないと思う。
話は逸れるが、筑波の学園都市にある国立森林総合研究所に、遺伝分析手法を学ぶため、三ヶ月間の短期研修に行った。研修には二〇代・三〇代の研究員が行くのが通例であるが、私が行ったのは四〇後半になって行った。受け入れてくれた生態遺伝研究室の当時のメンバーは山本千秋室長、北村系子氏、関 剛氏。歳をとって行ったため、自分で好きにやるように言われ、本当に充実した三ヶ月であった。多くの研究者に出会い、また、さまざまな新しい情報の収集が出来るなど触発されることが多かった。この間インドネシアの研修生とも同室でインドネシア語を教えてもらったり、また時折仕事のあと部屋で飲み会があったり、また北村さんや仲間で結成した「テルフォレスター」というテレマークスキーのメンバーになり、休みにスキーへ行ったり、レースに出たりで、それは変化に富んだ楽しい研修期間であった。
その時にやった仕事がシラベの遺伝子分析である。当時はまだシラベの遺伝子分析はみあたらず、シラベの遺伝変異、繁殖構造の解析を行うには先ず遺伝子マーカーの探索が必要だった。ここで確認できたシラベのアイソザイム標識遺伝子は七酵素種七遺伝子座一四対立遺伝子であった。
このときのテクニックが、翌年派遣されたインドネシア林木育種研究所のプロジェクトでの技術移転に役立つことになった。
話をもどす。オオシラビソは青森県八甲田山から南アルプスの加賀白山までの亜高山帯に生育する常緑針葉樹である。緩やかな傾斜地では樹高は三〇m、直径五〇〜八〇cm近くになる。葉は長さ一〜二cmで先端に向かって幅は広くなり、先端は円い。オオシラビソはシラベのような左右対象の葉の間から馬のたてがみのような葉が出、葉の裏は白色であり、葉が立ち気味なので、横から見ると白さがめだつ。球果は黒紫色であり、シラベ同様に樹冠上部の枝に直立してつき、長さ六〜一〇cm、直径四〜五cmでシラベより大きい。
オオシラビソは湿潤多雪地帯によく純林を形成するが、積雪量の少ない太平洋側にシラベ林が形成され分布する。脊梁地帯では両種が混生している。山梨県の亜高山帯でも混在しているところもみられるが、微地形的にみると、凹地形ではオオシラビソが凸地ではシラベが発達している。
歴史的過程で説明すると、氷河期に温度が低下することにより、より低い標高に分布は移動する。最終氷河期以降・約六〇〇〇年前に、現在よりも高い気候の時期があり、逆に高標高域に分布は移動し、低い山では絶滅がおこった。これを「追い出し効果」といい、温度が再度下がった現在でも針葉樹林が回復しない場合が多い。また、一方では日本海側が多雪気候になったのは最終氷河期以降で、多雪に弱いシラベは絶滅し、比較的雪に強いオオシラビソのみがいくつかの山で残った、とする説もある。
集団遺伝学的にはシラベは北海道のトドマツと近縁関係にありアジア分布域にはいるが、オオシラビソとは近縁ではなく、オオシラビソは北米太平洋岸分布種と近縁であることが明らかにされた。それはモミ属の中でもオオシラビソは古く分化したものが日本列島に遺存した種と考えられている。
シラベは富士山北麓にずいぶん造林されているが、困ったことが起きている。それはニホンジカの樹皮食い被害が増えていることである。一九九三年頃から被害が発生し一九九九年には急増している。被害に遭うのはシラベがほとんどで、ウラジロモミ、ヒノキにも被害はでているが、多くはない。八ヶ岳地域ではカラマツに被害がみられ、しかし富士山麓ではカラマツの樹皮食い被害がほとんど無いのも特徴である。なぜシラベを食べ,カラマツを食べないのか、恐らくニホンジカの母親の集団の違いによるものと思われる。それは個体群の遺伝的違いを明らかにすればよい。現在DNAのマイクロサテライト分析により遺伝的多様性を明らかにし地域個体群の違い、個体交流の範囲・頻度が明らかにされつつある。
また病虫害では富士山麓のシラベ人工林においてトウヒツズヒハマキによる被害が一〇〇ヘクタールにもおよび、多くの枯死が生じていて、これも今後の更新がどうなるか問題でもある。皮肉にも単一樹種一斉造林の弊害を示す展示場となった。
花言葉は「高尚」。
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