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今は恵まれた時代なのだろうか? 藁をも掴む思いで生きている人は、少ないのだろうか? 食べるのがやっと、生きるのがやっとというような人はほとんどいないのだろうか? そんなに恵まれ幸福に満足している時代なのであろうか? 恵まれた者たちばかりでそういう時代だから信心を貫いていくことが大変だと捉える時代なのであろうか?? こういう思考が今の創価学会員の大半の意見なのであろうか? ならば、食べるのに、生きるのに大変な者は功徳を受けていない不届きものか? 師匠の弟子ではないのか? 現代の創価学会の潮流に乗っていないのか?? 藁をもつかむ思いでご本尊にすがりつき師匠の指導を日々胸に刻み 歯を食いしばり一歩一歩進んでいる者は現代の広宣流布には邪魔なのか? 非常に衝撃を受けた言葉を目にし怒りのままのこの記事を書いている。 現代の創価学会の信心は恵まれた人が信心を貫いていくのに 大変なために対応する宗教団体になってしまったのか? 功徳を受け切った父母の元、ご本尊の元、生まれてきた者たちは その長い人生の間に苦難は及ばないのか? ならば『そういう時代だから信心を貫いていくことが大変だと捉える時代』 というのも納得もするが、そんなバカな話はないハズだと思うが。(笑) 牧口先生と戸田先生の時代も、戸田先生と池田先生の時代も そして今も時代が変わっても師弟不二の精神は何一つ変わっていないと思っている私は 大きく間違っているのか?? 師弟不二というものは時代が変わろうと変わらない根本精神のはずだ。 そしてもう一つ、自分が恵まれているからと大多数がそうだ、ほとんどがそうだ それが当たり前の時代なのだなどと考えそういうことへ対応を第一とする宗教団体が 世界宗教へと成長できるのか? 声なき声を、歯を食いしばり小さくなり、今日を必死に生きている者を最後の一人まで探し出してでも 救おうとするのが創価学会の信仰であり日蓮仏法であり師弟不二の精神ではないのか? 今の若者は、この恵まれた時代が恵まれた生活が当たり前だと考えているのか? あえて言おう! 創価学会は今偉大な師匠を保ちながら創設以来の最大の危機に陥っているのかもしれない。 今一度師匠と創価の母たちの声を聞くべきであろう!! 一閻浮提広宣流布を目指す創価学会の師弟不二だと弟子であると胸を張るものは 少なくとも知らねばならぬ。 まだ世界の各所で飲み水一つで死ぬ人々がいることを。 泥を食い生活している人々がいることを。 日々戦禍に怯えながら暮らしている人々がいることを。 そしてこの日本にも、自ら命を落とすほどに追い込まれて 日々苦しみながら何とか生きている人々が多数いることを。 そのような人々の声なき声を聞こえなくなった弟子は、 形だけのそして名聞名利に自分と気の合う仲間だけで 師匠の名前を利用し自分をよく見せようと虚栄心になびいた 師匠違背の信心に落ちていくことを知らねばいけない。 「師弟」「師弟」と口では、いくらでも言える。表面を取り繕い、ごまかすこともできる。 ※特定の誰かへの抗議のつもりもないのでお間違いなく。 |

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内緒さん>それはあなたの宿業でもあり、またあなたが望んで生まれてきて乗り越えようとしている過程だからです。
御書との通りです。
そしてそれを乗り越えたところにあなたの人間革命が、宿命転換があるからです。自分で自分を成長させようと進んでいるところです。
だからこそ宿業に流されてはダメですよ。今こそ題目で歯を食いしばり突き進むときです。
行き着いたところには必ず春が待っています。
迷いそうになったときには題目を深々と上げぬき御書を開き、そして師匠の声を聞きましょう。
あなたのために下記の師匠の指導を贈らせていただきます。
2010/7/29(木) 午後 10:47 [ seigi552007 ]
『題目だね。一切題目だ。百万言の指導より、百万冊の哲学書より題目です。
題目をうんとあげなさい。祈りなさい。願いなさい。
全部そのとおりになって、戦いは開いてゆく。
君自身がどれだけ題目をあげたかということでしょう。
題目をあげれば自然に教学が必要となります。
題目をあげれば自然にその仕事が充実します。
苦しいことだってある。悲しいことだってある。涙にむせぶ夜もある。
ひどい心の傷を受けた日だって、そんな時はぼくの心の扉をノックしてごらん。
ぼくの心は君のために開いている。
この耳だって、いつもどんな時だってきいてあげる。
この眼だって、ともに涙をいっぱいためてあげる。
うれしいことは云わなくてもよい。君の顔を見ればわかる。
辛く嫌なことはすべてぼくに話してごらん。
君の重苦しい身体を半分背負ってあげる。
そして一緒に歩いていこう。』
2010/7/29(木) 午後 10:48 [ seigi552007 ]
こんばんは
心の中で固まっていたのものを 優しく溶かしてくださるようです
猛省しました
「遠ざかりぬれば捨つる心あり」この御文が浮かびました
師匠の心から遠ざかった時点で退転と同じなのだと
「何のため」を忘れるな との御指導を 紙に書いて 仏前に置きました
2010/7/30(金) 午前 1:08
おぉ
聖教新聞のテキスト化をしていたときに
こちらを発見しました。 ばっちりグーです。
ちょうどこの長野での指導は今月の座談会御書の「学会指導」としても取り上げられていましたね( 10/5付け )
本来師を求める心っていうのは、やはり行動に移っていなければいけない事だとおもいます。
2010/10/28(木) 午後 5:38 [ あべひ ]
法戦の戦いって何ですか?
2010/11/4(木) 午前 3:34 [ まつ ]