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さて
週刊文春2011年10月27日号に
師匠の病状なる記事が出ている。

がこれ真っ赤な偽物デマ記事だ!!(笑)

元看護師なる人物を登場させているがこれがデマの根源。

発言引用で
『現在、南元センターの五階にある特別な病室に入っているという。』
という記述がある。

どうぞグーグルストリートビューで
『東京都新宿区南元町7−6  南元センター』
を検索してもらいたい。

画像で分かるが
イメージ 1


正面から見ても2階建てだよね(笑)

坂の途中にあるのでまあ半地下部分を1階と見たとしても3階建てだ(笑)

記事の中では
南元センターは、創価学会の健康保険組合に所属する組合員が健康診断を行う医療施設である。一階から四階までは普通の病院と大差はないと、Aさんは説明する。
「おそらく南元センターで働いている職員の大半が、五階に池田先生がいらっしゃることを知らないと思います。下のフロアで勤務していた私も、まさか最上階に先生がいるとは夢にも思いませんでした」

とあるみたいだが、どこに4階、5階があるんだろうね??

どうぞ4階5階を示してみてくださいな
『週刊文春さんと元看護師Aさん!!』

相当の悪質虚偽デマ記事だ!!

バレないと思って、週刊誌はデマを垂れ流す!!

これ完全なる意図的デマ!
だって少し取材に足を運べば分かるような物を裏取りしていない(笑)

文春はこれにて5流以下の極悪週刊誌となり
そんなデマを用いて学会批判をしているアホな輩どもは
自らを嘘つきと証明しているようなものである!!

日顕宗一派もそんなデマにすがりつかないと
学会批判さえ出来ないほど
追い込まれ断末魔を上げているということだろう!

ということは奴ら日顕宗やアホ法華講の発言は
ことごとく嘘を撒き散らしている物であると言える!

本当は、日顕自体がヤバいんじゃないの??(((*≧艸≦)ププ…ッぷ

PS
さてさて早速クレームがついたので補足をしておく

イメージ 2


裏側に回れば正面建屋に連なっている新館みたいな建屋は画像通り
4階になっている。
しかしだ(笑)

イメージ 3

赤い矢印がある方が正面である。
この建屋は3階(半地下を入れて)までしかない。
それが一番上の画像の建屋だ。

で2番目の画像の建屋(裏側)には屋上に何もない。

イメージ 4


黄色い丸部分が正面建屋で3階
その手前が裏側建屋で4階だがご覧の通り屋上に何もなしだ。

さあ、矛盾してるのはどっちだ?(爆)

さらに言えば、池田名誉会長のいる場所は普段から豪華な。。。。
というのが学会批判者の常套句で有ったはずだ(爆)

重病なのにこんな屋上の変な建物内に病室として設置するか?(爆)

様々に矛盾だらけの嘘の撒き散らしが学会批判者である!!





【 onobusi 】さん


斧さん、

下記のブログをよーく噛みしめた方がいいですよ。





学会の凄い所は、憎まれ記事を書いても
なんとか救いたいと思ってくださる先輩が
こうやって現れてくださるところです。

もうそろそろ目を覚ました方がいい。

同志誹謗と組織批判は止めて
立ちあがって行動で示した方がいい。

今ならばまだ間に合う。。。。

遅くなりましたが、
明けまして
おめでとうございます。
本年も何卒宜しく
お願い致します。


年末よりパソコンが再びクラッシュし未だ故障中の為、
ケイタイより失礼します。


元気でやっておりますが
色々忙しいです。



一つ取り急ぎの報告を!

さる1月2日に未入会だった
我が父が晴れて入会致しました。

渋々ではありますが本人も納得しての入会です。

同居のため御本尊授与はなく入会だけなのですが、
会館で入会勤行会も組織皆さんにやって戴きました。


ネットにおいても様々な形で常日頃から応援・激励いただいている皆様のおかげでもございます。
本当に有り難うございます。
皆様にも、この福運は届いていくことだと思います。


後日、入会の記念写真を限定記事になるかと思いますがアップさせていただき改めてご報告させて頂きます。

取り急ぎこの記事にて報告をと思います。


本年も皆様と共々に大勝利の一年としてまいりたいと思います。

報恩抄の
『時のしからしむる耳』
を強く実感しております
m(_ _)m

非暴力主義とは。。。


あるブログで学会員を名乗るお方が、
本気で専守防衛論を容認するような記事を書いていて
今議論になっている(笑)

ある種、僕もある掲示板を通して、批判を繰り広げている(笑)

師匠池田先生の主張の一旦をここに引用したいと思います。



【 人生問答 】(松下幸之助/池田大作)

第10章 <日本の進路>
・ 安全と生存を守る道 (単行本 下巻 221P〜)


松下  日本国憲法では、その前文に『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・・』とあります。 しかし、戦争で国中が焼土と化した終戦直後はともかく、今日、経済大国といわれるまでに成長した日本が、一国にとって最も大切な安全とか生存を、基本的に他国まかせにしておくことが、日本自身にとって、また世界諸国との共存共栄という観点からみて真に好ましいことなのでしょうか。理想はともかくとして現実に即して考えた場合どうお考えでしょうか。

池田  日本の安全とか生存を他国まかせにしておくことが好ましいかどうかというご質問には、日本が日米安全保障条約にもとづいてアメリカの軍事力によって国を守られていることへの是非の問題が含まれていると思います。そしてもし、経済大国になったのだから、それに見合う自衛力をもつべきだというご意見ならば賛同しかねます
 自国の “ 安全・生存 ” を確保するために武力をたくわえるという志向は、国際政治の勢力関係をパワー・ポリティクスに即して判断したもので、これは一見、現実的であるかのようにみえますが、けっして現代という時代の動向を見据えた最善の策とはいえないと思います。「他国まかせ」ということについていえば、憲法が謳っていることのなかには、アメリカの軍事力に守ってもらいたいという意味は全くありません。あえてここで他国まかせといえば「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するということになりましょう。
 たしかに、第二次世界大戦直後の各国にみられた「平和を愛する」真摯な気持ちから比べると、今日の世界の諸国民はそうした純粋な「平和を愛する」心を失っているといえるかもしれません。しかし、核兵器の開発によって、逆に戦争はもはや自他ともの破滅しかもたらさないことが認識され、戦争ができなくなってきていることも事実です。したがって「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することのできないにしても、戦争は避けなければならないという気持ちは、いずれの国民にも共通のものとして信頼できるのではないでしょうか。
 とくに日本は、過去に侵略戦争にまつわる暗い思い出を傷跡深く残しているとともに、世界で唯一の原爆をこうむったという忘れられない痛恨事をもっています。この二つの歴史的体験は、世界中の人びとの知るところであり、それゆえにこそ憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・」という崇高なる精神が蘇り、第九条の戦争放棄の明文が重みを増すのではないでしょうか。
 私は、時代の趨勢からかんがみても、また平和憲法の趣旨からいっても防衛能力を増強することは   “ 安全・生存 ” を保障することにならない、否、むしろマイナス効果になることを強調しておきたいと思います。
 “ 安全・生存 ” を他国まかせにしおいて良いかどうかという点をさらに掘り下げて、現実に即していれば「ノー」ということになります。

 ただし、それは、だから自分で自分の国を守る武力をもつべきだというのではなく、いっさいの武力による防衛という考え方を捨てるべきだということです。
 また、国の防衛は他国の軍事力に頼って、自分は経済的繁栄を追求していくというエゴは当然、捨てなければなりません。みずから得た経済力は、発展途上国への援助に振り当て、それら諸国の経済的安定、自立を助けることが根本的な意味で、平和への推進力となっていくでしょう。


第11章 <世界平和のために>
・国家防衛の在り方 (単行本 下巻 320P〜)


松下  一つの国家が存立する以上は、その国の国民は、自分の国を真の独立国家たらしめる努力をしなければならないと思います。とくに自国の防衛ということについては、最大の関心を払わなければならないと思います。
 ただその防衛は何を持って行うのか。いわゆる軍事力をもって対抗し防衛するのか、徳の力をもって他国の信頼を得て防衛するのか、あるいは財力をもって防衛の役割を果たすのか、いったい理想の防衛とは何かということについて真剣に衆知を集めなければならないと思います。大事なことは、防衛の本義は、国民がその国で安心して活動できるためにということだと思いますが、この国家防衛の在り方についてご高見いただければ幸いです。

池田  理想的な防衛の在り方について、国民が真剣に、衆知を結集して考えるべきであるというご趣旨には、私は賛成です。
 しかし、防衛問題を考える場合、国家を防衛するのか、それとも国民の安全を守るのか・・・・・
それによって、問題の立て方は随分ちがったものになると思います。国家を守ることと国民を守ることとは必ずしも一致しません。というのは、国家を動かしている存在が一握りの人びとである場合、国民のためという大義の名のもとに、実質は、その人々の利益を守ることを第一義になっていく危険性があるのです。近代から現代にかけての国際間の戦争は、ほとんどが「国家」によって起こされてきました。しかも、そうした国家間の戦争によって、いつも犠牲になってきたのは「国民」でした。
 したがって私は、まず国家の防衛を考えるより先に、国民の安全を守ることに視座をおくべきであると主張したいのです。とくに「核時代」と呼ばれる現代にあっては、いったん全面戦争に突入したが最後、国体の護持よりも先に、国家を構成すべき原点である国民全体がたちまちにして死滅しかねないからです。その意味では、お説のように、防衛の本義は「国民がその国で安心して活動できるため」という一点におくべきである、と思います。
 それでは、具体的に国民の安全を守るためには、何をもって行うか。その例として軍事力、徳の力、財力の三つをご質問の中であげておられました。そのうち軍事力については、もはや理想の防衛形態となりえないことはすでに周知のことでありましょう。地球上の全人類を何十回と殺し尽しても、なお余りある米・ソ両大国の軍事力に対抗するためには、それ以上の核開発が必要であり、だいいち日本の国力の限度をはるかに超えております。それに米・ソ両国も、とめどない軍備拡張競争が愚かなことと悟って、最近では戦略兵器を制限する交渉も重ね、あるていどの合意に達しました。
 平和憲法によって、世界に先駆けていっさいの軍事力を放棄した日本は、では何をもって一国の安全を図るのか。第二次大戦後の日本は、従来の軍事力にかえて、ひたすら経済の高度成長を図り、財力の蓄積に努めてきたといえます。しかし、それもエコノミックアニマルとの批判をうけ、アジア諸国からは経済侵略を指摘されています。さらに財力をもってする防衛が、いかに脆弱な基盤にたつものであることは、先の石油ショックによって露呈されました。
 
 そこで最後に、徳の力によって他国の信頼を得るという道が考えられますが、それには権謀術数の渦巻く現在の国際情勢下にあっては、理想的にすぎるという批判もありましょう。しかし、ここに日本の世界に対する勇気ある試みがなされなければならないでしょう。人類の共滅を回避し、やがて世界連邦政府ともいうべき運命共同体を構築するためにも、とくに平和憲法をもつ日本は、あえてこの理想の追求に最大の比重をおく発想にたつべきであると私は主張するものです。
 ともかく諸外国の脅威をあおるのではなく、相互理解を深め、信頼の道を広げていく方向をとられるべきでしょう。

明確に師匠は専守防衛など容認していない。
完全なる非暴力主義である。

それぞれの思考があるのは勝手であり全然構わないが、
創価学会の存在の土台や師匠の平和思想の根底部分に
反する思想をもつならば少なくとも
自分が池田先生の弟子であるという表現は違うと思う。

我々が根源的に師匠より引き継がねばいけない全世界平和思想を


「防衛戦争はオカシイ」のでしょうか?
創価学会は、戦争を完全否定しているのでしょうか?
公明党はどうでしょうか?
自衛隊の中にも学会員がいますが、その人たちは戦争ができないのでしょうか?
戦争には一切、正義は存在しないのでしょうか?

このように疑問に感じまた
専守防衛の戦争は認められると思います』
と公言してしまうどこに師弟不二かあるのか非常に疑問に思う。

それでいて日々師匠への思いをブログにつづる。
全然理解できないし非常に危険だと僕は考える。

師匠の指導を受け入れられないのに、
弟子を名乗るというのは五老僧もどきである。

今まさに師弟不二とはなんぞやと
我々弟子は問われなおされているのだと思う。

100周年に向かって、師匠とズレないように師匠の心と合一することに全力を傾けないとならない。

師弟不二の軌道を外れないように!!


こちらのブログは久々の更新です(笑)

ツイッターで日々つぶやいてこちらが疎かになってしまいました(笑)

本日は皆さんに問いかけをしたいと思います。

ツイッターでテレビで有名なある弁護士が
こういうつぶやきをしていました。

中野毅創価大学教授の「民衆宗教としての創価学会‐社会層と国家との関係から」という論文を読んだ。中野氏の経歴→http://nakanozemi.fc2web.com/
ばりばりの創価学会信者で論客の中野氏が、公明党と自民党の連立、そしてそのために創価学会自体が民衆宗教でなくなったことを総括的に論じている。創価学会公明党問題を考えるにつき学問的価値とは別に必読文献だと思う。久しぶりに読んでて頭が頭が下がる論文。真理の追究、勇気のいることと思う。
中野論文の出展→宗教と社会学会機関紙第16号(2010年6月)http://wwwsoc.nii.ac.jp/jasrs/publication/journal2.html
中野教授は「創価学会は公明党が自民党政権に参画したことによって国家権力の側に立つことになり、「民衆宗教」としての性格を失ったと言えよう。」とはっきりと明記し、「そればかりか・・・・・」と続けている。

こういう K弁護士のツイートを見つけた僕はこう反論した。

@ 学会員として反論しよう。この主張は間違っている。 政権側に立つことでなぜ民衆宗教の性格が失われるのか?

それにこう返信があった。
論文読んでから反論してください。直観で、蓄積ある学問を批判するのは間違っています。

まず、論文を読んでからというのはまっこと正論である。
。。。がそういう反論をする有名弁護士自身がこういう短いツイッターで
ある一部分だけを紹介しあたかも学会が民衆宗教ではなくなったという意図的なコメントをすることで
世論がそういう見方に走ることまで計算しての上だと僕は直感し
この後もシツコク反論を続けた。
このあと彼は一貫して学問を否定するのはやめて下さいということと
論文を読んでから発言してくれという趣旨の返信を続ける。

テレビにも出ている影響力があるということを理解した上での悪意あるツイートだと僕は思っている。
もし学問だと主張するならば少なくとも論文の一部分だけしかも
創大教授が学会の民衆宗教ということを否定している部分だけを載せるというのは
学問を逆にバカにしていることだと思う。

僕はこの論文を読んでいない。
もしこの論文が最初っから最期まで
学会の民衆宗教としての性格を失ったということに終始した主張論文であれば
それは全文読んでいない僕の真っ向『そうじゃない』という否定反論は筋が通る。
この有名弁護士もそういう論文だと認識しツイートしたからこその言葉だろう。

ならば、学問なんたらではなく、創価学会は公明党が政権与党に入ったことで
民衆宗教ではなくなったのかという部分こそが議論の中心軸になる。
この弁護士はその議論からは逃げた。(笑)
まあそれはそれでいい。
学会のことを理解していない名聞名利の弁護士だということがわかっただけのことである。

皆さんに定義したいのは、
どういうことからか創大教授の肩書きを持ち
こういう論文を公に発表する人がいるということの是非である。
機会がある人は全文を読んで思考してください。
なかなか手に入らないので僕も色々と手を尽しているのですが。。。(笑)

ちなみに共産党の地方議員はすでに
この論文を使って公明党と学会批判をブログにて書いていました。
今後悪意をもってこの論文が様々なところで引用され利用されるでしょう。
それは書いた著者の意図することではないところでも使われるのかもしれない。
しかし、公の発表したんだからそんなのは少し考えれば理解できることだ。

問題は、こういう学会の根底部分を否定するような論文を創大教授が書くということが問題だと思う。
色々調査した数字をもとに書かれているとこの弁護士はツイートしていたが
たかだか、多くても何千人何万人程度サンプル調査だろう。
創価学会の一人一人の信心を、師弟のつながりをその程度のサンプル調査で
論文化され民衆宗教の性格を失ったと言ってほしくないと思う。
この教授がいかなる役職の大幹部か知らないが、大きな見当違いではないであろうか。
あえて問いかけます。
みなさんはどう思われますか??



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