林誠司 俳句オデッセイ

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水馬いのちみづみづしくあれよ   中岡毅雄(なかおか・たけお)

(あめんぼう いのち みずみずしくあれよ)


中岡氏の作品は以前にも紹介したが、この句も感銘を受けた。
最新句集『啓示』には、

いちはやく草は夕いろ魂迎

ふぶくごとくに白鳥のもどりくる

水澄んで鳥のことばにこたへけり

まつさをな草の中より蟾蜍(ひきがえる)

あをぞらにさざなみはなし春落葉


などの秀句があり、平明な言葉がさざなみのように胸に深くひびいてくる。
まだ40代の俊英で、詳しいことは知らないが、大病を患われたようだ。

私の知る限り、種田山頭火や、最近の自由律俳人・住宅顕信に対して批判的な俳人は多い。
その根拠は、自由律ということもあるのだが、表現が情緒的過ぎて安っぽい、という理由があるようだ。
しかし、私は彼らを支持する。
定型とかそういうことではなく、やはり彼らの言葉は命がけなのだ。
頭のよい俳人がどんなに頭脳を駆使して作っても、命がけの言葉にはかなわないものがある。
彼らも本当はそれをわかっているはずなのに、敢えて表現の甘さや叙情過多にばかり目を向けているのではないか。

なぜこんな話をするかというと、中岡氏の作品にも、そういうかなわないな〜、と思う、命をかけた言葉があるように思うのだ。
それゆえ平明な言葉でこれだけの叙情を生み出しているのであろう。

「水馬」は夏、水面に浮いて滑るように走る虫。
その小さな命に向かって、「いのちみづみづしくあれよ」と呼び掛けている。
人は「いのち」に何を望むのか。
中岡氏は水を自由に動き回る水馬に「みずみずしくあって欲しい」と望んだ。
それはもちろん、自分の命への呼びかけでもある。

まさしく「いのち」に触れた瞬間であろう。

俳句は詩歌であり、詩歌は歌であり、歌は訴えから来ているという。
掲句はその本道、いや本来の詩のあり方にのっとって生まれた一句である。

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水馬いのちみづみづしくあれよ
この「いのち」は、まことに「いのち」のなかから、生まれてきたいのちであるので、何の衒いもなく、いのちであるところが、感動を呼ぶのである。
それはたぶん、水馬のいのちに、はてしなく、触れているからなのだろう。
そう思います。

2010/3/11(木) 午後 9:14 大介 返信する

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呼びかけであり、祈りであると思います。好漢毅雄君がんばれ♪ 削除

2010/4/7(水) 午後 2:41 [ 電車 ] 返信する

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大介さん ありがとうございます。

2012/10/7(日) 午後 11:22 セセエト 返信する

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電車さん ありがとうございます。

2012/10/7(日) 午後 11:22 セセエト 返信する

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