林誠司 俳句オデッセイ

新講座(松戸市八柱・第3月曜日)、(荒川区町屋・第2金曜)始まります。地元の方ご参加ください!

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 大道寺将司句集『棺一基』
夏雲や詩を書いてゐる死刑囚
 
絶縁といふ空蝉のやうなもの
 
 
すぎなみ俳句講座のあとの食事会でのこと、11月から自主句会になるということで、みなさんに、
 
これを機会に俳号をつけたらどうですか?
 
と薦めた。
みな賛同してくれたが、そのうちの数人が、
 
私みたいな初心者が俳号なんかつけていいんですか?
 
とか、
 
以前、他の句会に出たら、俳号は一人前の俳人になってからよ、と言われましたけど…。
 
と言った。
私は、俳句を始めたら、俳句を好きになったら、俳号をつけるべきだと思う。
(もちろん絶対と言うわけではない。個人の好き好きでいい。)
 
名前の力は大きい。
誰だったか忘れたが、「鈴木一郎という名前であれほどビッグになったイチローはすごい。」と言っていた。
 
私は日本が大好きだが、いやなところもある。
それは、つねに、天才を否定し、人間の可能性を否定しようとするところだ。
身の丈以上の事をするな、望むな、と、暗に言われ続ける。
 
今はどうだが知らないが、今、振り返ってみると、自分が受けた教育、受験主体の教育は、「お前はこの程度だ」「だから高望みするな」と言われ続けてきたような気がする。
それは、教育でも家庭でも、地域でも、会社でもそうだ。
それこそ尾崎豊の世界なのだ。
 
俳句を詠むということは詩人になるということである。
ふだんは、日常の普通の人々が、句会の時、あるいは句作の時は、その殻を脱ぎ、詩人になる。
もちろん俳句は日常の詩だ。
森澄雄さんが言っていたように、平凡な人間が平凡な命の輝きを詠むのが俳句だ。
だが、その輝きを詩としてまとめるのは、詩人の心、詩人の視線だ。
つねにそういうもう一人の詩人の面をもっていたい。
 
それが俳号なのである。
俳号という翼をもって、詩の世界へはばたく。
そういうものが必要なのである。

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私の、俳号は「桃花(とうか)」です。一生の師と仰ぐ「紅花」先生にあやかって(残念ながら、平成21年3月永眠)、そして、三月生まれだから・・・と、自分で命名。とても気に入ってます。

(ももか)とよんでおりましたが、三年前、娘に女の子が生まれ、婿殿が「百花」と命名。

「俳号を女孫にとられ春惜しむ」桃花

ということで、読み方を変えました。

今では、「とうか」も、すっかり馴染んでおります。

俳号という翼をもって、詩の世界にはばたく・・・その通りですね。

2012/6/18(月) 午後 10:49 [ まりりん ] 返信する

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まりりんさん そう。俳号には思い出もあるんですよね。

2012/6/21(木) 午後 7:28 セセエト 返信する

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俳句を始める前(笑)に、(小料理屋で)師匠からつけてもらった俳号で通しています。思い出がありすぎて、変えられません。「これでアンタも俳人や!」と酔眼の師匠が笑ってました。

2012/6/23(土) 午前 10:05 るしゃな 返信する

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るしゃなさん やはり俳号は絆でもありますね。

2012/6/30(土) 午後 6:23 セセエト 返信する

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