林誠司 俳句オデッセイ

「本当に凄い俳句」〜水原秋桜子、長谷川かな女、長谷川秋子作品追加

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(三重県桑名市)

東海道には「海路」を使う地域がある。
おそらく、五街道(東海道、中仙道、日光街道、甲州街道、水戸街道)の中でも唯一の海路であろう。
「海路」は、愛知県名古屋の「宮宿」と三重県桑名の「桑名宿」の間である。
江戸時代は、この区間を船で渡った。

なぜ、海路だったのかというと、

木曽三川(きそさんせん)

が原因している。
木曽三川とは、

木曽川(きそがわ)
長良川(ながらがわ)
揖斐川(いびがわ)

をいう。
この三川は、宮宿と桑名宿の間に集中している。
三川が入り組むように交わり、歩行が困難なのである。

「伊勢長島」という場所がある。
木曽三川の「中洲」にあり、今は「長島スパーランド」という温泉施設や「なばなの里」というレジャー施設が建ち、楽しい街となっている。

先日、この地域の古地図を見た。
驚いた。
中洲というより「島」のようになっている。
かつて伊勢長島城はその島のような場所にあった。
三川が巨大な濠のようになっており、難攻不落の様相がある。

伊勢長島はかつて「一向一揆」の地であった。
戦国時代、覇権を目指す織田信長と過酷な戦いを繰り広げた。

第一回長島攻め(1570年)
信長の弟・織田信興を総大将に進攻したが敗退。
信興は自害。

第二回長島攻め(1573年)
信長自ら進攻、北伊勢一帯を制圧。
伊勢長島城までたどり着かずに撤退。

第三回長島攻め(1574年)
信長が7万の大軍を率いて進攻。
三ヶ月の攻防の末、伊勢長島城陥落。
信長は一旦、降伏を受け入れたが、伊勢長島城から船で退去する兵を次々狙い撃ちし、城にも火を放ち、女子供も焼き殺した。

今の平和な風景からは考えられない悲惨な歴史が、ここにはあった。
実は、信長最大の「悪行」として知られる「比叡山焼き討ち」は1571年で、第一回長島攻めの翌年である。
一向宗門徒に弟を自害させられた信長は怒髪天を突く思いだったろう。
信長の宗教弾圧の所業は、おそらく、この伊勢長島での攻防が発端だったのではないか、と思った。


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