全体表示

[ リスト ]

子を食ひし口をぬぐへり壬生の面        井上弘美

(こをくいし くちをぬぐえり みぶのめん)



1953年京都府生まれ。
「汀」主宰。
句集に『あをぞら』(俳人協会新人賞受賞)『汀』。

「壬生の面」とは「壬生狂言」の役者が被るお面のこと。
壬生狂言は京都壬生寺で、節分の頃、4月、10月の年三回行われるが、俳句の世界では4月の壬生狂言を尊重し、「春」の季語としている。

掲句。
壬生狂言に登場する夜叉が子供を食べ、口についた血をぬぐっている…、そういうおぞましい場面であろう。
「ホラー俳句」などと呼びたくなるが、そういうものでかたずけられない、ある意味、豊かなで切実な情感が、この句にはみなぎっている。

中世の文学を読んでいると(といっても、原文で読んでいるわけではないが…)「鬼」や「夜叉」は頻繁に登場する。
中世の人々にとっては(架空の存在であったとしても…)身近な存在だったのだろう。
その、だいたいが人を食う。
中世の頃は、夜になれば闇が支配する世界となる。
行燈の照らし出す四方1メートルくらいの世界だけが人間の世界で、その他の広大な空間は、すべて「もののけ」が支配する世界であった。
中世の人々は、その壮大な世界に、同じく、壮大なもののけの世界を創りあげた。
彼らにしてみれば恐怖であったに違いないが、その結果、想像力豊かな「ものがたり」の世界が生まれた。
これも日本の文学的財産ではないか。

「鬼」「夜叉」は歌舞伎、能などにも登場するが、だいたい中世文学と同様である。
しかし、「鬼」「夜叉」というのは、もとから、そういうもののけだったのではない。
ほとんどが、人間の「化身」なのである。
例えば、子を失ってしまった母親の悲嘆、かつて足繁く通っていた男がぱったりと来なくなり、待ち焦がれる女性の悲嘆、手ひどく捨てられた男の悲嘆、そういったものが「鬼」に化身する。

つまり、「鬼」とは、人間の負の情念の化身であり、象徴なのである。
この「子を食う夜叉」にも、なんらかの悲しみ、怨念、情念をわれわれは読み取ることが出来る。

井上さんは、狂言を見て、その中にある、人間の情念を深く見つめ、そこに憐れを感じている。
それゆえ、この句にはどこか哀調が漂っているのである。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事