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どうでもいい話だが、私の部屋は「寒い」。

このマンションだけではない。
今まで、私が住んで来た部屋はみんな寒い。
冬、私の部屋に遊びに来た人は、みんなそう言う。
私もそう思う。

タバコを吸うからだろう。
私は「密閉」が嫌だし、「暖房」が好きではない。
ただ、タバコのせいだけでもない。
子供の頃から「密閉」「暖房」が好きではなかった。
「暖房」は匂いがいやなのである。

昨日、今日、とても寒かった。
夜よりも、昼のほうが寒かった。
今日は12時まで、布団の中で、うだうだしていたが、寒くて寝られなかった。
クーラーに暖房機能はついているが、滅多に使わない。

よし、ヒーターを買おう!

と思った。
石油ファンヒーターは匂いがいやだ。
赤外線ヒーターは部屋全体があたたかくならない。
それで、写真の「ダイソン」を買って来た。
「快適」である。
デザインもオシャレだ。
これで少しは温かく過ごせそうだ。

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休日なのに…。

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半月近く休みがない。
それで、今日、代休を取った。

昼まで寝て、そのあとは、横須賀市久里浜に出来た「日帰り温泉施設」へ行った。
前から一度行ってみたい、と思っていた。
が…、ずっと忙しかったのと、休日は混雑すると思い、今まで行かなかった。

日帰り温泉施設は30代の頃、よく行ったが、最近はほとんど行っていない。
お風呂はさほど広くない。
が、…さすがは横須賀。
やはり魚料理がうまい。

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平日なら、のんびりと過ごすことが出来そうだ。
平日に休みが取れれば、また、出かけてみよう。

何度も言うが今日は代休である。
しかし、三つ、仕事で嫌なことがあり、それが全てふりかかってきた。
一つは、俳句の先生からのクレーム。
私が自宅から、電話を入れ、対応した。
二つ目は、発送のトラブル。
これも会社から電話が来て、対応策を相談した。
三つ目は、本社からのメール。
これがとてつもなく落ち込むものだった。

そういうわけで、今日はとても休みとは思えなかった。
まるで、休むな! と「いやがらせ」をされているようだった。

が、私は根っからの「楽天家」なのだろう。
一日、休み、温泉に入り、おいしい魚を食べた。
それだけで気分がいい。

明日は明日の風が吹く

そう考えることにしよう。

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右城暮石〜夕立

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夕立を待てり草木虫魚みな    右城暮石

(ゆうだちを まてり そう ぼく むし うお みな)

昨日の祝賀会で、「運河」主宰・茨木和生さんとお会いしたら、

あなたはあっちこっち引っ越してるの?(関西弁で)

と聞かれた。
あっちこっちに引っ越していたのは2年前のことだ。

どうやら私に著書を送ってくださったそうですが、何度も戻ってきたらしい。

今日あたり届いているから。

と仰っていたが、それがこの本だった。

右城暮石(うしろ・ぼせき)は明治32年(1889)、高知の生まれ。
松瀬青々、細見綾子、山口誓子などに師事し、昭和31年(1956)「運河」を創刊した。
句集『上下』他で、第5回蛇笏賞を受賞。
大阪で活躍したが、茨木さんに「運河」を譲り、90歳を過ぎて高知に帰った。

茨木さんの師匠にあたる。
その師匠の句を鑑賞したものである。
この句は、高知に戻った時の句。

自分だけではない。
草も木も虫も魚も、みな、この暑さに参って、夕立を待っている。
そういう共同の命の営みを詠っている。
その根底には「産土への賛歌」がある。

暮石は小さな動物や草木を愛した。
この句はその、面目躍如の句であろう。

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今日は現代俳句協会創立70周年祝賀会。
その前に、柿本多映さんとお会いして、グラビア撮影をしてきた。

朝、目が覚めたら大雨…。
これはどうなることか、と思っていたら、昼頃には晴れて来た。

午後1時に家を出て、午後3時に、帝国ホテルへ。
ホテルのロビーで柿本多映さんと待ち合わせして日比谷公園へ。
写真を撮影して、お茶をして、そのあと、祝賀会へ出席した。
530名以上もの出席。
顔を出した金子兜太さんは、スーパースター扱い。
終始、黒山のひとだかりだった。

会場には現代俳句協会だけでなく、俳人協会、日本伝統俳句協会の方々も参加していて盛会だった。
明日は代休。
いろいろやらなければいけないことはあるが、とりあえず昼まで寝る。

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最近、ある新説を知った。
以前、

漢倭奴国王(漢の倭の奴の国王)

つまり、「金印」のことについて書いた。

志賀島に行ってきました。

金印のことは誰もが知っていることだろうが、おおまかに説明すると、金印は、江戸時代の天明4年(1784)、今の福岡県志賀島で、農作業中に偶然発見された。
「漢委奴國王」と刻印されており、後漢時代の中国との外交関係を示すものといわれている。
中国の『後漢書』の「東夷伝」に、

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

とある。
意訳すると、

建武中元2年(西暦57年)、倭(わ)の奴(な)の国が、後漢の光武帝に貢物を携え朝賀に訪れた。
使者は自らを大夫と称した。
奴国は倭国の最南の地にある。
光武帝は印綬を授けた。

という意味である。
つまり、日本のどこかの「奴国」(なこく)の王が、中国…、当時の「後漢」の光武帝に、臣従を誓い、金印を授けられた、という話で、それが、見つかった金印だと言われている。

しかし、最近、この金印の文字の意味は、

漢の倭の奴の国王

(後漢の国の日本の奴国の王)

という意味ではなく、

漢の倭奴の国王

という意味があるそうだ。
「倭奴」(わど)とは、日本の蔑称のことらしい。
「倭奴」という文字は中国の『旧唐書』『新唐書』、朝鮮の『朝鮮王朝実録』にも見つけることが出来る。
つまり、

漢の国に臣従している日本の国王

という意味になるらしい。
「奴国」というのは、北九州にある国と言われているが、新しい解釈では、北九州の一部の勢力ではなく、もっと大きな国だったのではないか、という説が生まれる。

まあ、私にはどちらとも断定はできないが…。


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