林誠司 俳句オデッセイ

新講座(松戸市八柱・第3月曜日)、(荒川区町屋・第2金曜)始まります。地元の方ご参加ください!

☆日々の記

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(埼玉県さいたま市桜区)

今日は東京都東久留米市に。
句集の営業だったが、今回はどうも折り合いがつきそうにない。

今日はなんかついてなかった。
駅で人にぶつかる。
バスで女性に背負ったリュックをぶつけられる。
上石神井駅の踏切は長い。
踏切が開いて、西荻窪駅行きバスへダッシュしたら、ちょうどドアが閉まってしまい乗せてくれない。
たいしたことではないが、なんかいやなことが多かった。

ところが、家に戻ってみると、ある俳句の先生からメールが来ていて、今年中に句集を頂けるメールが来た。
ありがたい。
いやなことも吹き飛んでしまった。

今週は句会ウィーク。
池袋、高円寺、大森、谷中、荻窪、松戸と続く。


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第3回「俳句の鑑賞①〜俳句は座の文学」
第4回「俳句の鑑賞②〜主人公は誰か」
第5回「俳句の鑑賞③ 一字の違い」
第6回「俳句の鑑賞④ どこで切るか」
第7回「写生について① 正岡子規の写生」
第8回「写生について② 高浜虚子の客観写生」









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考古学のドロドロ??


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(群馬県みどり市 岩宿博物館)


先日、群馬県みどり市の岩宿遺跡を訪れ、考古学者・相沢忠洋さんのことを書いた。

群馬県みどり市岩宿遺跡、太田市新田義貞ゆかりの地

旧石器時代を発見した在野の考古学者・相沢忠洋のこと
この人は実に立派で尊敬すべき人物だ。

「旧石器時代」(先土器時代)の実在を証明する「岩宿遺跡」を発見しながら、その「手柄」を明治大学に「横取り」された。
彼の、その業績は学歴がない、行商人である、という「偏見」から、周囲から「嘘つき」「売名行為」とののしられ、多くのいやがらせを受けた。
彼が偉いところは、それでもくさらず、その後も次々と遺跡を発見し、実績で世間を認めさせたことだ。
この人はとにかく考古学が好きだったのである。
この人の生きざまは、純粋に好きなことに夢中になり、絶え間なく努力をつづけてゆくことの大切さを教えてくれる。

帰宅後、相沢さんのことを調べ、その著作も読んだ。
私が訪れたのは「岩宿遺跡 みどり市岩宿博物館」だが、その近くに「相沢忠洋記念館」があることも知った。
私の感覚からすると「岩宿遺跡」=「相沢忠洋」という感じがする。
なぜ別々にあるのだろう。

調べてみると驚いた。
「岩宿遺跡博物館」の館長は代々、あの、明治大学の考古学者が務めて来たそうだ。
相沢さんと明治大学との確執は上記の通りだ。
どうやら「みどり市」は「明治大学寄り」のようだ。
相沢さんは著書の中で、明治大学を直接非難してはいないが、「岩宿遺跡発見」を記者会見や学会で報告した時、相沢さんは「発見者」ではなく、「協力者」にされてしまった。
手柄を明治大学に「横取り」されたのである。
やはり悔しい思いをしたのではないか。
せめて「共同発見者」にすべきであった。
やはり、当時(今もかもしれないが…)学歴や社会的地位による「差別」は大きかった。

相沢忠洋記念館館長は、相沢夫人が務めているそうだ。
やはり今も「わだかまり」があるのではないか。
しかし、最近では、博物館のほうから積極的に交流を図っているようで、少しずつ「わだかまり」が溶けているようである。
私が訪れた時「相沢忠洋展」が開催されていたのも、その一環だったようだ。
まあ、ただ、考えてみれば、本来なら相沢さんに関するものは「常設展」として展示すべきものであろうから、やはりこれは「異常」な光景ではある。

相沢さんの手柄を「横取り」したのは、明治大学の「杉原荘介」であることは以前に書いた。
当然のことながら、私はこの人が嫌いである。
しかし、いろいろ調べてみると、この人も、いろいろと大変だったようだ。

…というより、これが、今日のブログで言いたいことだが、

考古学の世界は魑魅魍魎の世界

なのである。

杉原氏が、岩宿遺跡を調査に桐生市へ滞在している時、「旧石器時代」の存在を認めたくない、東大教授が乗り込んできて、

いますぐ、こんなふざけた調査をやめろ!

と恫喝したらしい。
東大教授がわざわざ群馬の桐生まで来て、妨害をしているのである。
とても「教授」とは思えない。
「旧石器時代」の存在が確定してしまうと、自分の学説(旧石器時代はなかったという説)が覆ってしまうからだ。

当時、岩宿遺跡は見つかったとはいえ、認めない学者も多かった。
それらを納得させるため、岩宿遺跡と同時代のものを、今後も見つけていかなければならない。
相沢さんもそうだが、杉原氏も、のちに東北大学教授となった、相沢さんが最も信頼した考古学者・芹沢長介氏も、その後、地道に発掘を続けて、それを証明した。
杉原氏はあの静岡の「登呂遺跡」の主任調査員であり、立派な功績も残した。

まあ、なんというか、「考古学」というと、どこか「ロマン」を感じるが、実情はかなりドロドロのようだ。
「生き馬の目を抜く」ような世界で、なんだかむなしい気もする。
まあ、俳句の世界でもないわけではないが、私が知る限り、ここまでドロドロしていない。

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(茨城県結城市 与謝蕪村「北寿老仙を悼む」詩碑)


君あしたに去(い)ぬ ゆふべのこころ千々(ちぢ)に 何(なん)ぞはるかなる
君をおもふて 岡のべに行きつ遊ぶ 岡のべ何ぞかくかなしき


与謝蕪村「北寿老仙を悼む」冒頭



茨城県結城市の、与謝蕪村「北寿老仙を悼む」詩碑を訪れた時、知ったことを書きたい。
この詩については以前に書いた。

与謝蕪村 「北寿老仙をいたむ」を読む

蕪村の詩人としての「異色性」、「偉大さ」は、周囲全て、

わびさび

或いは、


こそ、詩歌の真髄であった時代、西洋詩に匹敵する、青春性豊かな「ロマン」を高らかに詠ったところにある。
この「北寿老仙を悼む」は「春風馬堤曲」と並ぶ蕪村の…、いや、日本詩歌史上の最高傑作の詩である。

さて、その詩碑の最後には、こう書いてある。

庫(こ)のうちより見(み)出(い)つるまま是(これ)にしるし侍(はべ)る

(「庫」は「こ」ではなく「く」と読むのかもしれないが、それはともかく。)
要約すると、

倉庫の中から見つかったものを、そのまま書き写した

と書いてある。

つまり、この「傑作」はどこかに発表したものではない。
「北寿老仙」(結城在住の俳人・早見晋我(はやみ・しんが)のこと)の死を悼んだ蕪村が、晋我の死に捧げた個人的な「詩」であった、ということがわかる。
案内板を読むと、この「詩」は、早見晋我の子孫が、倉庫で見つけ、晋我の「五十回忌法要」の時に発表したものだそうだ。

晋我は1671年生まれ、蕪村は1716年生まれ。
45歳の違いがある。
子…というより、晋我にとっては蕪村は「孫」のような存在であっただろう。
晋我は、土地になじみのない蕪村の才能を見抜き、あれこれとかわいがっていたようだ。

蕪村はその「御恩」に感謝し、この「詩」をひっそりと書き、遺族に渡したのではないだろうか。
そのこと(あくまで推量だが…)が私を感動させた。
蕪村の、晋我に対する感謝の思いがひしひしと伝わってくる。

考えれてみれば宮沢賢治の傑作も、多くは個人的に書き溜めたものである。
(俳句を含む)詩は、無償の思いこそ美しいのではないか。


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椎の花(しいのはな)


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(神奈川県横須賀市長沢)

旅人のこゝろにも似よ椎の花      松尾芭蕉


毎回ながら自分の怠惰が嫌になる。
今日は「絶対終わらせよう」と心に決めた仕事があったが、朝、〆切が迫っている仕事二件を思い出し、そちらをやったら、あっという間に一日が終わってしまった。
手間のかかる仕事は後回しにしてしまうのが、私のダメなところだ。
手間のかかる仕事ほど、早めにかからないといけないのに…。

まあ、自分の中で、

自己嫌悪は5分以内

と決めている。
自己嫌悪したって、なんの解決策も浮かんでこないからだ。
まだ日数があるのでなんとかなるだろう。

おとといの夜から横須賀にいるが、一日、一度は海辺のコンビニに行く。
タバコを買ったり、弁当を買ったりして、少し海を眺めてから帰る。

今はGW。
海辺は普段より交通量も、人の賑わいも多い。
なるべく海には寄り付かないようにしているが、それでも全く海を見ないと寂しい気がする。
ちょっとだけでも海を見ると落ち着くのである。

もっとも今日は、ついさっきまで急な雷雨があり、レジャー客はみな引き揚げてしまったようで、海岸も道路もすでにひっそりとしていた。
海を挟んで雄大な房総半島が見えるが、その上空に稲光が走るのが何度も見えた。

マンションを出て、「長沢川」という川に沿い、「牧水橋」を渡ると、海は目の前である。
歌人・若山牧水がここ長沢に二年弱住んでいたので、この橋の名前がある。
その牧水橋にさしかかった時、「強烈な香り」がしてきた。
海辺に出ても匂ってくる。
この香りは、栗の花か椎の花である。

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写真でさみどりに茂っているのが、おそらく椎の花であろう。
この花の香りがすると「初夏だな〜」と思う。

角川春樹さんの句に、

椎の花神も漢の匂ひせり

(しいのはな かみもおとこの においせり)

というのがある。
(解説はこちらを…)

椎の花

どこか、精液に似た、むせかえるような香りを放つ。

芭蕉には、

まづ頼む椎の木もあり夏木立

という句もある。
どちらも晩年の作で、椎は晩年、芭蕉が好んだ樹木ではないか。

掲句、意味は…正直よくわからない。
調べてみると、原句は、

椎の花のこころにも似よ木曽の旅

である。
木曽路を念頭に置いた作である。

今、手元に『芭蕉全句』がないので、それ以上はわからない。
ネットで調べたが、あまり納得できる鑑賞ではなかったので、ここでは紹介しない。

似よ

というのがわからないのだ。

ここからは勝手に推測するが、同じような表現の句に、

義朝の心に似たり秋の風   芭蕉

というのがある。
ここから推察すると、芭蕉にとって、

似る

というのは、

添う

に似た感覚なのではないか、と考える。
つまり、

旅人の心を慰めよ

というような意味かもしれない。

椎は栗と並んで、もっとも芳香の強い樹木の花。
木曽の旅は、山林をゆく旅である。
初夏の木曽路、峠や難所の多い木曽路は旅人の心も体も疲労させる。
その中で、芳香の強い椎の花を慰めにして旅を続けてください、と旅人に呼び掛けているのかもしれない。

また、椎の木は詩歌の伝統の中で、

命を守ってくれる樹木

という考えがある。

滋賀県大津市幻住庵

この伝統を踏まえ、椎の木を頼りに旅を続けなさい、続けよう、という意味なのかもしれない。
知らんけど…(関西風に(笑))。

しかし、この強い芳香を放つのも初夏の、ほんの束の間。
そう考えれば、なにかいとおしいような気もしないではない。

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【今週の一句】         春風   与謝蕪村     
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(神奈川県横須賀市 ヴェルニー公園)

青葉して港は巨大空母吐く     誠司


昨夜、横須賀へ戻ってきた。
五日ぶり、いや、六日ぶりだろうか。
もうあんまりわからなくなってしまった(苦笑)。

今日は横須賀市逸見(へみ)の生涯学習センターへ。
HP掲載用の「俳句ビデオ講座」を、会議室で撮った。

今はゴールデンウイーク。
こんな賑やかな横須賀は見たことがない…というくらい活気があって、賑やかである。

センターは旧市街地に近く、すぐそばにJR横須賀駅があり、ヴェルニー公園があり、横須賀港がある。
ほどほどの賑わいがあり、湾の海も穏やか。
自衛艦や潜水艦もどことなく穏やかであった。
万国旗が自衛艦に飾られているのは、「令和」の始まりを祝ってのことらしい。


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写真の真ん中、桟橋に黒い一点が見えるだろうか?
「海鵜」である。
海鵜(川鵜もそうだが…)は羽根に撥水性が無い。
したがって、ときおり、陸地で羽根を広げて、水に濡れた羽根を乾かしている光景を見る。

正直、ちょっとまぬけな光景で、私が海鵜を愛する理由でもある。
私も同じようなものだから、親近感が湧くのである。

水鳥なのになんでだろう?
神様がうっかり忘れてしまったのだろうか?

一般的に水鳥の羽根には油があり、撥水(水を弾く)する。
しかし、鵜は潜って魚を捕獲する為、潜りやすいように「油」がないのだそうだ。
なるほど、神様は「科学」さえも計算している。

さきほどまで、そうしていたのでカメラを構えたら途端に辞めてしまった。
海鵜の羽を乾かす風景の後ろで、巨大な戦艦(自衛艦)の風景、なにやら味わい深い風景だった。


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