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――右京さん……でも、ほんとにこの人が……。
一瞬、見間違えたのかと思えるほど、右京の顔はやつれはてていた。
下北沢の駐車場、殺人事件のあった現場近くで見かけた時の右京は、純白のマフラーを風になびかせ、颯爽と外車のスポーツカーを走らせる、甘いマスクの貴公子そのものカッコいい人だった。切れ長で睫毛の長い哀愁をたたえた瞳で見つめられた時には、星子、それこそ、体中がジーンとしびれて腰が抜けそうなくらいだった。
せも、今、星子の眼前にいる右京は、髪が乱れて頬はげっそりとこけ落ち、色あせた唇の端には、一筋の赤黒い血がこびりついている。体全体からも生気は消えて、目だけがぎらぎらと怖いくらいの光りを放っていた。
その目が、星子に向けられた。
射すくめられるような気がして立ちすくんだ次の瞬間、右京の双眸から鋭い眼光が消えた。そして、戸惑うようにかすかに首を振り、目に手をやったあと、あらためて星子を見据えた。
「……星子さん……」
右京、あえぐような声でつぶやいた。
瞬きもしないで見つめる右京の目に涙がにじみ、睫毛を濡らしながら頬へこぼれ落ちていく。
――そんなに、星子ママのことを……。
星子、胸の中に熱いものが吹きあげてきた。
「でも、なぜ……」
右京、ピアノに手をつきながら立ち上がると、星子を見つめた。
「なぜ、君がここに……」
「……」
どう答えていいのだろう。
すると、亜利沙が星子を助けるようにいった。
「あたしが、星子さんを連れてきたの」
「君が?なんで、そんな余計なことを……なぜだ!」
右京、いきなり、亜利沙の胸倉を掴み、険しい顔で睨みつけた。今にも、亜利沙を殴りつけそうな感じだ。
「右京さんっ」
星子、驚いてかけよると、亜利沙を背中にかばうようにして右京を睨みつけた。
「なにするんですか! 亜利沙さんは、あなたのことを心配して、わたしを……それだけなんです!」
「いいのよ、星子さん」
「でも!」
「ほんとに、いいの。右京さんが怒るのも当然なんだから」
「亜利沙さん……」
「そうよ、あたしが余計なことをしたから……」
「余計なこと?」
亜利沙、頷くと、しみじみと星子を見つめた。
「もう、半年ほど前になるかしらね、右京さんが偽名で入院していた知り合いの病院に、あなたが訪ねてきたのは……」
「え?」
ということは、半年前に星子ママは右京さんの居所を突き止め、会ったわけだ。
「あの時のあなた、今とは別人のようにやつれていて……なんでも、右京さんをさがしてヨーロッパを旅している途中、交通事故にあって記憶をなくしたとか……」
「!……」
星子ママが、交通事故で記憶を失った?
そんなつらい目にあっていたんだ。
「でも、半年前にやっと記憶が戻った時、右京さんは重い肺の病気にかかって日本へ帰ったと分かった。それで、あとを追ってきたんだって……あなた、そういってたわね」
「……」
「でも、やっと居所がわかったのに、右京さんは会おうとはしなかった。いくら、あなたが頼んでも駄目だったわね……あの時、病院の外で吹雪に吹かれながら、泣きながら立ち尽くしていたあなたの姿、あたし、まだはっきりと覚えている……」
「……」
「あなたが、どんなにつらかったか……でも、あたしにも意地があったの、右京さんはあたしのフィアンセなんだからって……だから、見て見ぬふりをしていたのよ」
「……」
「でも、その気持ちも右京さんには通じなかったわ。くやしいけど……」
亜利沙、寂しそうにほほ笑んだ。
「右京さんはね、あなたを愛してる、心から……それでも、あなたを追い返した理由は二つあるのよ。一つは、親友の宙太さんを裏切れないってこと」
「え?」
「右京さんにとって、宙太さんは刑事と弁護士というライバル関係よ。でも、仕事を離れれば、お互い、心と心が通じる大事な友達だって……その宙太さんから、あなたを奪うわけにはいかないって……」
「……」
そうか、そうだよね。
「もう一つの理由は、自分は殺人事件の容疑者だから、星子さんを巻き込むわけにはいかないって……それで、あなたを宙太さんやお子さん達のところへ帰そうとしたのよ、それがあなたの幸せのためなんだからって……」
」
「……」
なんて、やさしい人なんだろ。胸の中が熱くなってくる。
「でもね、違うのよ……右京さんは、容疑者なんかじゃないの……」
「え?」
「いうな!」
右京、険しい顔で亜利沙を睨んだ。
「いいえ、いわせて! あなたのほんとの気持ちを星子さんに知って欲しいの。さもないと、星子さん、あなたを恨んだままで……じつはね、星子さん、ほんとはあたしが……」
「!……」
「いうなといってるんだ!」
亜利沙につかみかかろうとした時、右京、再び、激しく咳込んだ。そして、ピアノの椅子に崩れるように座り込んだ。
亜利沙、急いで近くの棚から薬瓶を取り出して、右京に薬を飲ませた。
かなり、具合が悪いようだ。見ているだけでも、つらくなってくる。
だけど、亜利沙さん、なにをいおうとしたんだろう。もしかして、自分が犯人だって……だとすると、右京さんは……いったい、どういうことなの。
頭の中が混乱してくるけど、今心配なのは右京さんの体の具合だ。
「病院へ戻った方がいいんじゃ……ね、亜利沙さん?」
「そうはいかないのよ。じつはね、警察にわかってしまったの、病院のことが。それで、逃げ出して、あちこち、さまよったあと、この家を見つけて隠れたってわけ……」
「でも、もう、無理です。宙太さんに連絡して,自首したほうが……」
「ううん、右京さんが駄目だって……どうせ、助からない命だから、このままでいいって……」
「そんな!」
「もう、あたしにはどうにも出来ないの、どうにも……」
亜利沙、涙をぬぐった。
「でもね、星子さんなら……そうよ、あなたなら、右京さんを助けられるかも……そう思って、あなたに連絡したのよ」
「亜利沙さん……」
「ね、星子さん、お願い、右京さんのそばにいてあげて。あなたなら、もしかしたら、奇跡が……そうよ、奇跡が起こせるわ。きっと!」
亜利沙、星子の手を掴むと、すがるように見つめた。
ああ、もう、どうしてこういうことになるわけ。
星子、たまらなくなって、顔を伏せた。こうなったら、ほんとのことをいうしかない。
「ごめんなさい、わたし……違うんです……」
「え?」
「わたしは、星子ママじゃないんです……宙太さんの奥さんじゃないんです!」
「そんな……」
右京も、唖然とした顔で星子を見た。
「星子さんじゃない?」
「あ、いえ、星子です、わたし。でも、星子ママじゃないんです! ほんとの星子ママは、今、別のところに閉じ込められているんです!」
「なんだって?……」
「わたしは、三年前の星子……あ、いえ、今の時間が三年後で、星子ママは……」
「ちょっと、星子さん、あなた、なにをいってるの?」
亜利沙、とがめるように見た。
「星子ママとか、三年後とか、どういうこと? 右京さんのことには、かかわりたくないってわけ?」
「違う、そうじゃなくって……」
「でもね……」
「待てよ、亜利沙、とにかく、話を聞こうじゃないか。さぁ、君……」
右京に促されて、星子、話しはじめた。どこまで信じて貰えるかわからないが、とにかく、話すしかなかった。
「……じゃ、その光る壁の中に……」
話を聞き終えた右京、茫然とした顔でつぶやくようにいった。
「閉じ込められているのは、美空警部の奥さん、つまり、三年後の君ということか……」
「はい」
「じゃ、今、あなたの前にいるあたしも右京さんも、あなたにとっては三年後のあたしと右京さんなのね……」
「ええ」
「……」
「……」
右京と亜利沙、まだ、釈然としない感じで顔を見合わせた。
「もし、そうだとしても……」
右京、咳をこらえながらいった。
「どうやったら、星子さんを光る壁の中から助け出せるんだ……なにか、方法はあるのかい?」
「……」
それがわかれば、嬉しいんだけど。今のところは、全く手がかりが……。
星子、歯噛みしながら、ふと、ピアノを見た。
この前、わたしのケータイから聞こえてきたピアノの調べは、右京さんがこのピアノで弾いていたのね。あの時、右京さんは星子ママに自分の想いを伝えようとしていたんだ。だけど、肝心の星子ママのケータイには届いていないかも……。
そうだわ!
星子、右京にいった。
「星子ママに、もう一度ピアノを聞かせてあげて下さい!」
「ん?」
「この前は、わたしのケータイに繋がってしまったんです。でも、今度は電源切りますから。そうすれば、きっと、星子ママのケータイにつながるかも……」
「しかし、光の壁の中まで届くかどうか……」
「きっと、届きます! 右京さんが気持ちを込めて弾いてくれれば、きっと!」
「星子さんのいうとおりよ。弾いてみて、右京さん」
「……」
頷いた右京、携帯電話を掴んで通話ボタンを押すとピアノの上に置き、椅子に座りなおした。
星子、急いで携帯電話の電源を切ると、祈るように右京の背中を見つめた。
じきに、右京の細くしなやかな指が、ピアノの鍵盤を愛撫するように叩きはじめた。
この前、星子のケータイから聞こえてきた美しい曲が、ピアノから流れ出す。
――どうか、星子ママに届きますように、どうか……。
星子、祈るように手を胸に当てた。
それにしても、なんて素敵な演奏だろう。曲は、たぶん、モーツアルトかな、あまりくわしくはないけど、音楽鑑賞の授業で聞いたことがある。まるで、天使が戯れているような、美しくて透明で崇高な、そして、きわめて繊細な音楽だ。かなりのテクニシャンじゃないと、とても弾きこなせない。その曲を、右京、流れるように、歌い上げるように、演奏していった。途中で、何度か咳込みかけたけど、懸命にこらえながら演奏を続けた。星子を呼び戻したい、という右京の思いが強くこめられているようだった。
どれくらいたっただろう、右京がいくらピアノを弾き続けても、変わった様子は起こらない。ローソクの明かりだけが点る薄暗い部屋に、ピアノの音色だけが虚しく響くだけだ。
「駄目だ」
右京、鍵盤をガーンと叩いた。
「星子さんは、もう、ピアノが聞こえないところにいってしまったのかも……きっと、そうだ……」
「右京さん……」
星子、歯噛みした。
星子ママを救えないと、右京さんの命も助からない。そして、双子ちゃんや宙太さんも、永久に星子ママと一緒に暮らせなくなる。
そんな悲しいことって、あってはいけない。ぜったいに、いやだ。
でも、どうにも出来ない、どうにも。
星子が吐息をついた、その時だった。
ヒラリ、と、蝶が……鮮やかに舞いながら、ピアノの上に……いや、蝶ではない、トランプだ。
星子がハッと振り向くと、ローソクの明かりに、すらりとした人影が浮かんでいる。
――宙太、だった……。
(つづく)
追記 今回はいろいろあって大変でしたが、なんとかクライマックスが見えてきたようです。ラストシークエンスに向かって頑張ってみます。
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ドキドキしながら読みました!
鍵盤を愛撫するようにかぁ〜すごい情念ですね。
右京さんの変わり果てた姿が悲しいです。
そして宙太さんまで!
宙太パパの方ですよね、きっと。
物語はクライマックスへと近付いているのかな。どんな結末か読みたいけど、終らないで〜という相反する感情が…。
でも、先生が書いてみたいという大恋愛物も、いつかお目にかかりたいなと思います!
寒いですが、お体に気を付けて下さいね。
2011/2/11(金) 午前 1:16 [ こっきー ]
先生こんばんは!
双子+娘の寝息を隣に聞きながら読みました!
宙太さんの登場に風を感じて、胸キュンです…(//∇//)
この久しぶりの感覚をどこにしまったらいいのかとまどってます(笑)
次回が楽しみすぎます…!
寒いですね。
どうぞお体御自愛くださいませ。
わー。きゅんとして眠れません…。
2011/2/11(金) 午前 2:11 [ ふう ]
先生こんばんは!
双子+娘の寝息を隣に聞きながら読みました!
宙太さんの登場に風を感じて、胸キュンです…(//∇//)
この久しぶりの感覚をどこにしまったらいいのかとまどってます(笑)
次回が楽しみすぎます…!
寒いですね。
どうぞお体御自愛くださいませ。
わー。きゅんとして眠れません…。
2011/2/11(金) 午前 2:11 [ ふう ]
右京さんのピアノが、いろんな時空をつなぐ鍵になったのかな〜?
そして現れた宙太さんは、どの時点での宙太さんなんだろう〜?
クライマックスに向かって目が離せません〜!
滅多に降らないのに、こちらは今日、雪が降り始めました〜。
先生、暖かくしてご自愛くださいネ☆
2011/2/11(金) 午前 7:10
おはようございます♪
わたしもドキドキしながら読みました。
星子ママの行方がしれない間の足取りが少しみえてきて、
ちょっとだけホッとしたり、右京さんや亜利沙さんの想い、宙太さんや星子ママの想い、エンゼル星子の想い・・いろんな想いが交錯してて・・せつなくなりました。
そして、わたしもゆうさんと同じで、トランプ登場の宙太さんってどの時代の宙太さん?なのかな・・っと。
クライマックスって聞いて・・えっ!?
続きが気になる気持ちともお結末に近づいてる??のと思う気持ちがでてきて・とまどっています。
次回、マイペースでお待ちしていますね。
くれぐれも無茶しちゃダメですよ♪
今日はこれから夜までお仕事に出かけます。
憂鬱だったんですが、星子さんに会えて元気になれました。
ありがとうございます♪
2011/2/11(金) 午前 9:20 [ ちびすけ ]
きゃー(*^_^*)私も皆さん同様、いつもの宙太さんの登場にくらくらしちゃいました〜
いいですね〜やっぱりこの展開。
ラストに近づいている?(*_*)ガーン
でも、右京さんの事件の解決も、星子ママの解決も、すごく楽しみです。
東北も私の幼少のころに比べると雪が少ないですね。。
でも、まだまだ寒いのでお体ご自愛ください
2011/2/11(金) 午後 7:55 [ まりも ]
切なくて苦しくて、なんて書いたらいいか分からなくて、コメントが遅くなってしまったんですが、今頃書いてもいいでしょうか?
星子ママのとった行動を、宙太パパは聞いてしまったんですね・・・。
自分と子供たちを置いて、右京さんの元へ行ってしまった時から、きっと分かってはいただろうけど、改めて言葉として星子ママの行動を聞いてしまうと、心は張り裂けてしまいそうな程辛いんじゃないかと思いました・・・。
星子さんの事は大好きです。
でも、あんなにも尽くし続けてくれて、『真実の愛』を教えてくれた(って、過去に自分で言ってました)宙太さんに、こんなにも悲しい想いをさせてしまっている星子さんを・・・許せないって思ってしまいます。(山浦さん、ごめんなさい)
星子さんにとって辛くても、それは自分が招いた事。
宙太さんには、出来るだけ悲しい想いをしないような結論が出るといいな・・と思わずにはいられません。
2011/2/14(月) 午後 1:10 [ こぱ涼 ]