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録画した映画・山田洋次監督作品「家族」を観ました。何度見ても、本当に素晴らしい作品だ。1970年の大阪万博の時代に、長崎の炭鉱から北海道の開拓地へ移住する一家の物語で、列車を乗り継ぎ、何日もかかって旅を続ける。途中、乳飲み子が病死する悲劇にあいながらも、ひたすら旅を続ける姿を、ドキュメンタリータッチで描いている。
その中で、一家が青森から青函連絡船に乗って函館へ向かうシーンがある。当時は青函トンネルはまだ工事中で、連絡船で北海道へ渡るしかなかった。
僕も20代の頃、初めて仕事で北海道へ行った時も、往復連絡船を利用した。月明かりの夜の海を連絡船と並走して泳ぐイルカの群れ、まだ、僕の脳裏にはっきりと焼き付いている。
そういえば、星子が「恋の危険信号は♦色」で、はじめて北海道へ旅した時に乗ったのも、やはり、連絡船だった。初版は昭和61年8月だったし、青函トンネルが開通したのは、その二年後の昭和63年だ。なんと、今から27年も前の話なんだね。
星子が上野から青森まで乗った列車は、寝台特急「はくつる1号」。旅先で出会った圭一と釧路で乗るつもりだった列車は札幌行き特急「おおぞら10号」。そして、星子が札幌から一人さびしく乗り込んだ列車は、函館行き特急「北海4号」。函館からは青函連絡船を利用しての帰京となる。
「はくつる」も「北海」も、そして、青函連絡船も、すでに、この世から消えて、「おおぞら」もスーパー特急という今風のオシャレな特急に代わってしまった。
恋物語が生まれる哀愁の列車旅の時代も終わりを告げた。でも、小説の世界ならそんな列車の恋旅物語を再現できる。いや、再現しなくては、と、あらためて思うわけです。
ところで、映画「家族」では、旅先で乳飲み子を亡くした若い母親が北へ走る列車の中で、小さな骨壷を抱えて泣くシーンがあった。その姿が、ふと、僕の母と重なった。
僕の母も、戦争末期、疎開先の九州で乳飲み子、というか、僕の妹だけど、病気で亡くして、迎えに来た父と僕と弟の四人で空襲が激しくなった東京へ帰った。その車中で、母は小さな骨壷を抱き、声を押し殺して泣いていた。夜の車窓には、空襲で燃え上がる街の光景が。その中を、列車はひたすら突っ走っていった。
つらい時代の旅、そして、つらい想い出の旅。一昔前の列車は、苛酷な人生を乗せて走ったんだな、と、あらためて思うわけです。
追記 そろそろ、春休みですね。僕も、メンテナンスを兼ねて、しばし、春休みといきたいところです。その節は、よろしく。
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