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試演会の余韻が消えないうちに、どうしても触れておきたいことがありましてね。それは、今回の演目「わが町しんゆり」には、多摩地域の歴史とロマンが巧みに織り込まれているということです。
原作の舞台は、ニューハンプシャー州のグローバーズ・コーナーズという小さな田舎町ですが、なんと、この町は架空の地名で、緯度経度から図ると海の上とくる。だから、登場する住人やまことしやかに語られる町の暮らしぶりは、すべて、フィクションってわけ。
ところが、脚色者のふじたあさや先生が日本版の舞台として描いたのは、町名こそはっきりしないが、生田か柿生あたりの町だ。しかも、劇中に登場する郷土史家はこの土地の遺跡や古墳、万葉集の防人の妻の歌を詠み、地方紙の編集長は自由民権運動の歴史を語り、実在する詩人まどみつお先生が登場するし、高名な俳人で郷土史家・伊藤葦天先生や北原白秋、多摩川音頭も話題になる。すべては、事実であり、実在しているのだ。
虚実と事実。この奇妙な合体が交錯しながら展開するうちに、アメリカ版の町のドラマもいつの間にか現実のものとして見えてきてしまう。しかも、ご丁寧にというか、アメリカ版にも日本版にも、サイモンと伍三郎という名の人生の落後者が登場する。(伍三郎のキャラは僕が勝手に膨らませたけど、今のところ、藤田先生からのお叱りはないようだ。但し、今にカミナリが落ちるかもね。)。
芝居は虚実の彩なす世界だと思うが、これほど虚実がはっきりと分かれながら、巧みに織り込まれているドラマが他にあるだろうか。なぜ、こういう手法を取られたのか、考えてしまう。なかなか、結び目が見つからない。
思考停止になりかけたところで、ふと、思い出したのが、劇の導入部で舞台監督ともう一人の舞台監督がかわす台詞だ。
もう一人の舞台監督「失礼。ということは作者は、ここはまるごと1901年じゃなくって、1901年ごっこをやってるに過ぎない、そういってるんでしょうかね」
舞台監督「多分ね。それと、「生」の向こうに絶えず「死」を見つめているべきだということを」
そうか、これだ。劇の冒頭からカーナビよろしく道案内されてるいるので、かえって迷ってしまったようだ。
「1901年ごっこ」は、虚実の世界。「生」の向こうに絶えず「死」を見つめるのも、虚実の世界。
つまり、架空の町で暮らす人々と現実の町で暮らす人々の人生を同時進行で見せることで、人の生きざま営みは虚も実も変わらない、まさに表裏一体なのだ、ということ。人はうわべだけの暮らしに流されずに、生きることの本当の意味を、生きる道しるべを探し求めなくてはいけない。船乗りが、星の光りを道しるべにするように……。
そう、そういうことなのかも知れない。だが、悲しいことに、人間の業というべきか、そのことに気付くのは死者になってからなのだ……。
ということで、なんとか、僕なりに結び目をほどいてみたつもりだが、他の劇団員の皆さんはどう解釈なさっているのだろう。
こういう素晴らしい内容の劇に参加出来たことに、心から感謝を。そう、もう一つ、感謝しなくては。それは、新興開発地域としての百合ヶ丘界隈しか知らなかった僕に、この土地の歴史への興味を与えてくれたことだ。もともと、歴史は大好きだったが、自分の足元というか、お膝元にも凄い歴史ロマンがあったわけだ。
僕が演じる伍三郎は、そんな歴史ロマンの落ちこぼれかもしれない。もしかして、僕の虚像、いや、実像かな。
いずれにしろ、本公演が楽しみではある。
追記 加藤編集長、ワレン伊藤巡査、みゆきちゃん、コメントありがとうです。本公演も頑張りましょう!
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謹啓 早春の砌ますますご繁栄のこととお慶び申し上げます
昨年 11月 永田朝子が悪性リンパ腫により34歳にて永眠いたしました。
専門職の仕事をし毎月150時間の残業をこなし 6年間のご両親の介護をされ介護生活最後の年に発病し昨年 他界いたしました。
長年にわたるご厚情を改めて心から御礼申し上げます。
先生の新たな場所で更なるご発展ご活躍をお祈りいたします。
健康にはくれぐれお気をつけ下さい。
まずは略式ながら書中をもってご挨拶申し上げます。
敬白
2013年3月 建設コンサルタント 原田 治
2013/3/24(日) 午後 4:48 [ おさむ ]