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「う、うわーっ」
星子は、息をのんで立ちすくんだ。
「なによ? なにが、うわーっなの?」
春之助が、寒そうに体をすぼめながらいった。
「だって、すっごーい、とか、きれい、とか、雄大、とか、圧倒的とか、感動、とか、そういう月並みな言葉じゃいいあらわせないじゃん!」
「あたしは、一言。さむーぃ!」
「んもぅ、ロマンないのね、春ちゃんったら」
星子は、苦笑しながら、あらためて、全面に広がる大パノラマに目をやった。
真っ青に澄み切った青空を背景に、灰褐色の山が聳え立ち、ざっくりとえぐられた山の中腹辺りからは、真っ白な噴煙がいくつも立ちのぼっている。
そう、星子は今、北海道の屋根ともいわれる大雪山の玄関口、旭岳の麓に立っていた。旭岳の背後には、いくつもの山々が峰を連ね、それらをまとめて大雪山と呼んでいる。
ここまでくるのは、かなり、楽だった。春之助の運転するレンタカーで、富良野経由で旭岳温泉の町まで行き、そこから、ロープウエイで雄大な山麓の風景を眼下に見ながら、標高差500メートルを一気に登る。
終点の姿見駅の標高は、約1600メートル。
夏だって天候次第では凍死者も出るほどだから、秋深いこの時期はかなり寒い。もう少し早い時期だったら、旭岳山麓から頂上にかけて、極彩色の見事な紅葉を見れたところだ。でも、山頂はともかく、お花畑あたりには、まだ、紅葉が残っていた。
「カムイミンタラ…」
ふと、春之助がつぶやいた。
「え?」
「カムイミンタラっていうのはね、アイヌ語で『神々が遊ぶ庭』っていう意味なんだって。アイヌの人達が、大雪山をそう呼んでいるのよ」
「…カムイミンタラ…神々の遊ぶ庭…まりも姫伝説があっても不思議じゃない感じね」
「でしょ?」
「でも、春ちゃん、よく知っているのね、カムイミンタラのこと」
「あたし、伝説が好きなの。恋のお話がついた伝説なんか、もう、サイコウ! あたしも、伝説に残るような恋をしたいわぁ」
春之助は、うっとりした顔でいった。
「お相手は?」
「もちろん、宙太さんっ…あっ…」
春之助は、あわてて、手を振った。
「違う、違う。宙太さんのことは、もう、あきらめたんだっけ」
「あら、どうして?」
「だって、宙太さんと星子ちゃんは、将来、結婚することに…」
「ええっ、やめてよ! バカいわないで!」
星子は、憮然と唇をとがらせた。
「でも、あたしの水晶玉占いには、はっきりと出ているし」
「そんなもの、当てになるもんですか!」
「そんなぁ」
「いいから、もう、そういう悪い冗談はなし。絶対に、有り得ないんだから!」
「だといいけど…」
「さ、いきましょ! 早く、まりも姫のいる湖を見つけるのよ!」
そういって、星子は春之助をうながした。春之助もうなずいて、歩きかけたが、ふと、立ち止まって旭岳のほうを見上げた。
「どうしたの、春ちゃん?」
春之助は、答えずに、じっと旭岳を見つめたままだ。
「春ちゃんったら! ね、ちょっと!」
星子が春之助の腕を掴んで揺すると、春之助はやっと、我にかえったように、
「あ、ごめんなさい…」
「どうしたのよ、いったい?」
「あ、う、うん、ちょっと…」
「ちょっとって?」
「なんでもないの。さ、いきましょ」
春之助は、星子から顔をそらすようにして歩きだした。
「……」
星子は、いぶかしそうに春之助のあとを追った。
季節外れということもあって、ほとんど、観光客の姿は見当たらない。紅葉もほとんど終わっているし、あたりの景色もかなり荒涼とした雰囲気だ。いつの間にか、霧がわいてきて、旭岳を隠し、あたりはうす暗くなり、そのうえ、冷たい風も吹き始めた。
「ううっ、寒くなってきたわね、春之助ちゃん、大丈夫?」
「別に」
「でも、さっき、寒いってふるえていたじゃん」
「そうだけ? でも、今は平気よ、なんでもないから」
春之助は、背中を向けたまま、いった。
「……」
やっぱり、春之助の様子がおかしい。いったい、何があったんだろう。
星子は、気になる顔で見つめた。
瞬間、春之助が立ち止まり、キッと身構えた。
「どうしたの、春ちゃん?」
「シッ」
春之助は、星子を制しながら、前方を睨みつけた。
「誰! そこのいるのは!」
じきに、冷たい霧の中から、人影が現れると、ゆっくりと近づいてきた。
星子は、ハッとなった。
その人影は、圭一だった。
(つづく)
追記 なんとも、おどろおどろしい展開になってまいりました。まさに、五里夢中の、おっと、五里霧中の展開になりそうです。やれやれ。
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