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「宙太さんっ」
星子は、宙太の腕を掴もうと、ゴンドラの中から手を伸ばした。
だが、宙太は星子の手を払いのけながら、ヘリに向かって叫んだ。
「マサルくん! 星子さんを頼んだぜ! いいな!」
「警部!」
マサルは、ヘリの操縦席から見下ろしながら、歯噛みした。
だが、ためらっている暇はない。頭上の開口部はさらに狭くなっていく。
「死ぬなよ、警部!」
そういって、操縦桿を握り締めた。心を鬼にするとは、このことだった。
「星子さん! 幸せにな! もう二度と迷惑かけたり、悩ませたりしないからさ。いい恋見つけろよな!」
宙太は、お得意のたれ目ウインクでニカッと笑うと、ゴンドラを押し上げた。
「グッバイ、ハニィ!」
そういったつもりだが、最後のほうは言葉にならなかった。
というのも、背後からガツッと強烈な衝撃を受けて、頭の中がぼんやりとなったからだ。その直後、宙太の体は持ち上げられて、ゴンドラの中へ放り込まれた。
いったい、何が…懸命に意識を取り戻そうとしていると、「五月さんっ」と、叫ぶ星子の声が遠くに、じきに、はっきりと聞こえてきた。
「…五月?…」
必死になって目を開けた宙太は、ゴンドラの外を見下ろした。
なんと、五月が血と火山灰にまみれた姿でこっちを見上げている。
「な、なんだ? 何があったんだ!」
「五月さんが、五月さんがね、宙太さんを…」
あとは、涙で声にならない。
「え? はっきりいってくれ!」
「…あなたの頭を岩で殴って、そのあと、このゴンドラに…」
「乗せたのかい?」
「…うん…」
星子は、涙をぬぐおうともしないでうなずいた。
「…二人で、幸せになれって…俺が果たせなかった夢を、代わりに叶えてくれって…」
「そんな! 冗談じゃないぜ!」
宙太は、急いでゴンドラを降りようとした。だが、すでに、ヘリはぐんぐん高度を上げていく。とても、飛び降りることは出来ない。
「マサルくん! 高度を下げてくれ! 早くしろ!」
宙太がわめいても、マサルは無視した。五月の思いはマサルにも伝わっている。その五月のためにも、絶対に火焔地獄から星子と宙太を助け出そうと誓っていた。
「おい、こら! マサル! バカヤロ、俺のいうことを聞け! 頼むから、聞いてくれ!」
わめき散らす宙太の目に、涙があふれた。
「バ、バカ…ヤロッ…」
宙太は泣きながら、湖面を見下ろした。
すでに、五月の姿は噴煙と火炎にぼやけているが、ヘリに向かって手を振っている姿はおぼろげに見える。気のせいか、微笑んでさえいるようだ。
「五月さんっ…」
宙太は、声を震わせた。
「自分が果たせなかった夢って、坊やのママとのことかい…そうなんだな…」
愛し合いながらも、離れてしまった二人だった。別れた恋人は、二人の愛の形見を授かったものの、とわの国に旅立った。愛の形見をいつくしみ、いつまでも抱きしめていたかったろうに。
そのつらく悲しい思い出があるからこそ、自分の命を捨てても、星子と宙太の幸せを叶えてやろうと決心したのだろう。
「五月さん、あんた、カッコ良過ぎるぜ…それはないよ、五月さんよ…」
宙太は、泣きながらつぶやいた。
星子も、肩を震わせて泣きじゃくっていた。
と、ヘリの窓外が急に明るくなった。
なんとか無事に脱出できたのだ。それも間一髪だった。マサルの操縦するヘリは、開口部が閉じる寸前、通り抜けたのだった。
眼下へ目をやると、開口部は瓦礫が雪崩のようにずり落ちて、あちこちの隙間から噴煙とマグマが噴き出している。
これでもう、五月の命は絶望的と思うしかない。五月だけではない、圭一も火の海深く吸い込まれて、もう、二度と蘇ることはないだろう。
「…五月さん…圭一さん…」
星子は、涙をぬぐいながら、手を合わせた。
――圭一との再会、そして、五月との出会い……懐かしい思い出が、フラッシュバックのように星子の脳裏を流れていく。
逢いたい、叶うことなら、もう一度、二人に逢いたい。
「逢いたい!」
思わず、声に出して叫んだ時だった。
「星子さん、見ろ!」
「え?」
「ほら、あそこ!」
宙太が指さす方向を見た星子は、アッと目を見張った。
噴煙の中から、一条のまばゆい光がサーッと立ち昇ってきた。その光りの帯の中には、人影のようなものが見える。
圭一だ!
それも、誰かをしっかりと抱きかかえている。
五月、だった。
「圭一さんっ」
「五月さん!」
星子と宙太は、茫然と見つめた。
もしかして、圭一は五月を黄泉の国へ連れていこうとしているのかも知れない。
ふと、圭一が星子のほうを向くと、微笑んだ。
まるで、天使のような、やさしい笑顔だ。
その笑顔が、じきに光の中に溶け込み、圭一の姿も五月の姿も見えなくなった。
……さよなら、さよなら……。
その時は、圭一にも、五月にも、永久に逢えないもの、と、思っていた。
○
「星子、どうだ、気分は?」
わたしが声をかけると、星子はにっこりとうなずいて見せた。
かなり、顔色も良くなったようだ。はじめ、この札幌の病院に運び込まれた時は、疲労と心労で病人同様だった。
ま、無理もない。星子にとっては、大変な体験をしたわけだから。わたしは何もしてやれなかったが、幸い、宙太やマサル、それに、春之助達のおかげで無事、戻ってくることが出来た。ただ、心残りは圭一との別れ、そして、五月を喪ったことだ。その心の痛手には、さすがの星子も打ちのめされていた。
「ごめんなさい、パパ」
ベッドから起き上がった星子は、わたしに詫びた。
「パパには、ずいぶん、心配かけちゃって…」
「いいんだよ、気にするな」
わたしは、星子の肩を抱きしめてやった。
わたしにとって、星子は永遠の恋人だ。こうして、そばにいてやれるだけで幸せだった。
その時、廊下のほうで賑やかな声が聞こえて、ドアが開くと、宙太やマサル、それに、ゴンベエを抱いた春之助が入ってきた。
「おっ、顔色がかなり良くなったな」
宙太は、星子の顔を覗き込んでニヤッと笑った。
「これも、ボクチャンの愛の妙薬があったからこそだぜ」
「よくいうわね!」
春之助が、肩をすくめた。
「あたしが、そばについていたからよ。そうよね、ゴンベエ?」
フニャーゴ、と、ゴンベエはそっぽを向いたまま鳴いた。
「ほら、違うっていってるぜ」
「違うのは、宙太さんのほうでしょっ」
「なに?」
「なによっ」
「ま、ま、ま、お二人さん」
マサルが、手で二人を制した。
「それより、早く会わせてやれよ」
「おっと、そうでした」
「会わせるって、誰に?」
星子がけげんそうにいうと、
「どうぞ、お入り下さい」
宙太は、廊下に向かっていった。
と、ゆっくりとした静かな靴音が聞こえて、長身の男が入ってきた。
「!…」
星子は、目を疑った。
五月、だった。
「そう、五月さんだよ」
宙太は、目を潤ませながらいった。
「俺も、さっき会った時、とても信じられなかった。天界から戻ってきたのかと思ったぜ。でも、そうじゃない、本物の五月刑事さ」
「!…」
「あの時、圭一君は五月さんを展開へ連れていったんじゃなかったんだ。君や俺のために、最後の力を振り絞って五月さんを助けると、下界に無事に届けてくれたってわけさ」
「!…」
星子は、言葉を忘れたように、ただ、茫然と五月を見つめていた。
「すまなかった、心配かけて」
五月は、低い声でいうと頭を下げた。言葉こそ少ないが、暖かみのあふれる声だった。
「……」
じきに、星子の目に涙がにじみ、五月の精悍な顔がぼやけていった。
「よかった、ほんとによかった、な、星子」
わたしが話しかけても、星子は黙ったままだ。
「どうした、星子?」
「……」
ちょっと、気まずいような感じだ。
「じゃ、僕はこれで…仕事があるので…」
五月は、あらためて頭を下げると、病室を出ていった。
「星子、なぜ、黙ってるんだ? 五月さんい聞きたいことがたくさんあるんじゃないのか?」
「……」
「な、星子?」
「…一人に…」
「ん?」
「わたしを、一人にして」
「一人に?」
「お願いっ」
「でも、星子…」
「パパ、いこう」
宙太は、わたしを促した。
「し、しかし…」
「いこうったら、パパ」
「さ、パパ」
マサルと春之助も、わたしの腕を掴んで立たせた。
わたしは、しぶしぶ宙太やマサル、春之助、ゴンベエたちと病室を出た。
その直後、だった。病室から星子のわっと泣く声が漏れてきた。涙をすべて絞り出すような泣き声だった。
わたしは、ハッと立ち止った。
――星子は、恋をしている、五月刑事に恋を……きっと……。
宙太にもそのことは、わかっているようだ。ただ、黙って窓の外へ目を走らせた。
冷たい風が、窓に吹き付けている。札幌の街は、もうじき、雪に覆われることだろう。
そして、星子の恋さがしの旅も、今、この街から、あたらしくはじまろうとしていた。
(おわり)
追記 大みそか恒例の第九を聞きながら、最終回を書き終えたところです。この一年、お付き合い頂き、本当に有難う。来年も、星子は新たな恋を求めて旅を続けることでしょう。ぼくも体調と相談しながら、星子の恋旅日記を書きたいと思います。
では、どうか、みなさま、よいお年を。
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