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――なんなの、よくわからない……灰色っぽい霧の中から人影が……男の人だ。こっちに背中を向けてピアノを弾いている。でも、ピアノの音は、聞こえてこない。
誰? あなたは、誰なの?
もしかして、右京さん? そうなのね、右京さんね。
右京さん!
でも、いくら呼びかけても、男の人は振り向いてくれない。
顔を見せて、お願い。わたしのほうを見て。右京さんっ。
じきに、霧が濃くなって男の人の姿は呑み込まれていく。
あ、待って!
いかないで、右京さん。お願い、いかないで!
「右京さーん!」
と、声にならない声で叫んだ瞬間、星子、ハッと目が覚めた。
「……」
カーテンが閉まった薄暗い部屋、そして、ベッドに寝ている、わたし。
夢、か。
そう、夢を見ていたんだ。
でも、どうして、あんな夢を……それに、ピアノを弾いていた男の人が、どうして右京って人だとわかったわけ?
右京の名前は、星子が宙太と長崎ではじめて会った時、星子ママと勘違いした宙太から聞いただけで、そのあと、一度も話題にはなっていない。
もちろん、興味はありましたよ。星子ママが家族を捨ててまであとを追った右京さんって、どんな人だろう、って。
ハンサム? 背は高いの? やさしい目をしている? それに、限られた命ってどういうこと?
でもね、宙太さんにはとてもつらいことだろうし、右京って人のこと、触れてはいけないんだ。わたしには、カンケイないことだしね。それなのに、なんでよ。なんで、右京って人の夢なんか見るわけ。
よしてよ、まったく! これも、つい、双子チャンや宙太さんに同情して代理ママなんか引き受けたからだよね。
星子のおっちょこちょい。お人好し。浅はかモンが!
頭の中がはっきりとしてくるにつれて、またぞろ、後悔めいた気持ちが突き上げてくる。
とにかく、あと三日、ううん、一晩泊まったから、あと二日。明日の晩にはシモキタの我が家に帰らないと、ヤバイ。親のことや期末テストのこともある。
しゃぁない、あと一泊二日、なんとかガンバルぜっ。
ため息をつきながら起き上ろうとすると、ん、隣りに誰かが寝ているっ。
もっこりと布団が盛り上がり、軽い鼾が聞こえるじゃないですか。
ま、まさか、宙太さん!
ま、ま、まさか、わたしを星子ママと思って、ナニしたんじゃ!
すでにキスで試してるし、今度は×××で確かめよう、と!
う、うぎゃーっ!
星子、あわてて体に手をやった。寝しなに着替えた旅行用のパジャマ、ちゃんと着てる。Fカップブラも無事。あ、Fカップはサバヨミもいいとこだけどね。
パンティはっと、これも無事。
でもよ、こっちが爆睡しているすきにナニして、終わったあとで、こっちが知らない間にはかせたってことも!
やたら、具体的だよね。うふっ。
とにかく、ゆ、許さん! わたし、まだ、マッサラなのに! なにが? オダマリっ!
キサマァ、と、布団をパッとひきはがすと、
「あれっ」
なんと、寝ているのは星丸クンじゃないですか。
仔犬みたいに体を丸めて、指をくわえてオネンネ中。なんとも愛くるしいっていうか、宙太そっくりの寝顔に、
「カワユイ」
星子、思わず、星丸をぎゅっと抱きしめて、チュッ。
すると、星丸、可愛いたれ目をぱちくりさせた。
「ママ」
「おはよう、星丸クン」
「ママって、あったかい。いいにおい」
星丸、星子の胸に顔を埋めて気持ちよさそう。
うふっ、くすぐったぁい。
と、星丸、神妙な顔になって、
「ごめんなさい、ママ」
「なにが?」
「だって、ママのベッドにだまって入っちゃってさ」
「そうよ、びっくり」
「ほんとにごめんなさい。でも、コウクンのマネっこしてみたかったんだもん」
「こうくん?」
「保育園のおともだち。いつも、ママといっしょにねてるんだって」
そうか、双子チャン、まだ生まれて半年ぐらいでママがいなくなったので、おかぁさんに添い寝して貰ったこと覚えていないんだ。
星子、鼻がツーンとなったところへ、
「あ、おにいちゃん、ここにいたのね!」
そういいながら、ゴンベエを抱いた宙美がとびこんできた。
「宙美ちゃん」
「やーい、おにいちゃんの甘えん坊!」
「うるさい!」
「もう、赤ちゃんだもんね。オッパイのんだら」
「こいつ!」
「こらこら、宙美ちゃんもここへきて」
「あたし、赤ちゃんじゃないもん」
「いいから」
星子、宙美を抱いて星丸とは反対側に寝かせ、抱きしめた。
「わぁ、宙美ちゃん、手が冷たいのね。わたしがあっためてあげる」
「いいの、へいき」
宙美、かしこまった感じで、体を固くしている。星丸と差をつけているつもりらしい。
星子、構わずに宙美の手と足を胸と腿で挟んだ。
「どう、あったかいでしょ?」
「まぁね」
宙美、そういいながら、気持ち良さそうに目を閉じた。
宙美だって、ママにこんなふうに抱いて貰った記憶はないだろう。女の子だし、母親が恋しい気持ちは星丸以上かもしれないのにね。
「……」
星子、もう胸がいっぱいになって二人を抱きしめた。昨日からこんなふうに切なくなることがよくある。そのたびに、自分がのめり込んでいきそうで、正直、コワイ。
星子と宙美の間に挟まれたゴンベエが、フギュッと苦しそうにうめいたが、知ったことか。
ふと、近くでクシュンと鼻をかむ音が聞こえた。顔を上げると、開いたドアの前にエプロン姿の宙太が卵焼きのヘラを片手に立っている。
「あ……」
星子、あわてて体を起こした。
「や、お早う」
宙太、あわてて鼻をこすり、照れくさそうに笑った。
「ど、どうも、お早うございます……」
星子も、ぎこちなく御挨拶だ。代理ママといっても、人さまの家ですからね。
「しょうがないな、二人とも朝から甘えん坊さんになって。さ、起きた起きた」
「やだ」
「もうちょっと、ね、パパ」
星丸と宙美、宙太に手を合わせてお願いポーズしたけど、
「ダメダメ、保育園に遅れるよ。パパがオムレツ作っている間に早く支度する」
「んもぅ」
「キビシイーッ」
星丸と宙美、しぶしぶ起き上り、部屋を出ていった。
「いつもは、いわれなくても自分たちで支度するんだけどね」
宙太、肩をすくめると、しんみりとした顔でいった。
「やっぱり、嬉しいんだな」
「……」
どう答えていいのか、言葉が出ない。
「……あ、オムレツ、わたしが……」
ほんとは、まるで自信がないけどね。
すると、宙太、
「いいのいいの、こう見えても料理には自信があってさ。いつも、僕が朝ごはんを作ってあげてたんだ」
道理で、エプロン姿が似合っているはずだ。
「オムレツ、カノジョの大好物でね。キミはどうかな?」
「あ、わたしも」
「ほんと、そんなとこまでそっくりなんだ」
宙太、微笑んだあとで、ふと、星子を見つめた。
「はい?」
「あ、ごめん、つい、思い出しちゃって……一緒に暮らしてた頃のこと……朝寝坊のカノジョを起こして、『ハニィ、朝ごはん出来たよ』って。すると、カノジョ、モーニングキスで『おはよう』って……なんか、ママゴトみたいだろ。でも、楽しかったぜ。あれが、しあわせっていうのかな、きっと……」
宙太の目に、キラッと光るものがあふれた。
ほんとに、しあわせだったんだ、宙太さんと星子ママ。その星子ママが、しあわせを捨ててまで右京って人を探しにいくなんて。しかも、その右京って人、カンケイないはずのわたしの夢にまで出てくるなんて。
「あ、あのぅ……」
「ん?」
「……」
星子、右京のことを聞こうとして、寸前、思い止まった。
誰にだって、触れられたくないことがある。余計なことはしない。
「なんだい?」
「う、あ、その、つまり、保育園なんですけど、お迎えのバスとか……」
とっさに、話題をすり替える。
「いや、僕が仕事にいく前に二人を送っていくんだ。駅の近くなんでね」
「そうですか」
「でも、仕事が忙しくて帰れない時は、知り合いに頼んでいるけど」
「あの、お仕事って、どんな?……」
そう、まだ、何も聞いていない。
「デカ」
「でかい?」
「違う違う、刑事、警視庁のね」
「!……」
ひぇーっ、警視庁の刑事さんですか。星子、思わず、
「ウ、ウソーッ」
「見えない?」
「はい! あ、いえ……やっぱり、見えないかな……」
「ふふっ、いってくれますね」
宙太、ニカッと笑った。
刑事ってオッカナイ人っていうイメージがあたけど、宙太さんのような、ネアカのイクメンデカもいるんだ。
「さてと、早くオムレツ作らないと。それこそ、遅刻だ」
「わたしも、お手伝いします!」
「有難う。あと二日、正確にいうと明日の夜までだけど、よろしく!」
「はい!」
そうです、あと二日、代理ママを頑張らねば。
星子、気合を入れると、大急ぎで着替えて洗面所へ。キッチンのほうから、おいしそうな匂いが漂い、星丸や宙美、それに宙太たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
なんだか、こっちまでウキウキしてくる。
その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
誰だろう。宙太たち、キッチンにいるので気がつかないらしい。
星子、急いで顔を拭くと玄関へいってドアを開けた。
ん、目の前に背の高いスタイリッシュな女性が、化粧もファッションもかなり派手だけど、かなりの美女だ。
「あの、どちら様で……」と、いおうとしたとたん、
「……せ、せ……」
美女が、かすれ声で口をパクパクさせた。
「は?」
星子がけげんそうに見返すと、
「星子ちゃん! やっぱり、星子ちゃんだわ! 星子ちゃーん!」
ノッポの美女、金切り声で叫ぶと、星子に猛然と抱きついてきた。
なんとか受け止めたけど、きつめの香水と化粧クリームの匂いに、息が詰まる。
思わずせき込んだとたん、美女はパッと星子から離れた。そして、次の瞬間、いきなり、
パシッ!
美女の平手打ちが、星子の頬に飛んできた。
「イタッ」
強烈な平手打ちに、星子、よろけた。
な、なによ、いきなり!
頬を押さえながらキッと睨みつけると、美女の目から大粒の涙がポロポロとこぼれている。
「?……」
すると、美女、泣きながら、再び、星子に抱きついた。
「バカ! 星子ちゃんの大バカ!」
(つづく)
追記 久々、春ちゃんの登場です。どうも、ただですまなくなりそうだ。なぜか右京の夢なんか見てるしね。はたしてどうなりますやら。
皆様のコメント、今回はかなり参考になります。助かります。次回は来週になると思いますが、その間も時々宙太や双子チャンのメールなんかでお邪魔しますので、よろしく。
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2010年10月06日
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