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――そうよ、この人、右京さんだっ……星子ママが、大切なはずの家族を捨ててまで、あとを追った人、その右京さんが今、目の前にいる……。
半分息が止まったような顔で、星子は立ちすくんだ。
その星子を、宙太、けげんそうに見た。
「右京さんって……キミ、彼を知ってるわけ? ちょっと、星子チャン!」
「は、はい?」
「だから、おたく、右京君と会ったことがあるのかって」
「あ、いえ、その……つまり……」
頭の中がボーッとして、言葉が出てこない。それでも、なんとか、声を絞り出すようにして聞いた。
「う、右京さんって、おっしゃる……んですね?」
「そうさ、この美貌とルックスで女性検事や女性裁判官、女性の証人までメロメロにさせてしまうという、今、売り出し中の青年弁護士、十文字右京先生だ。おかげで、こっちは仕事がやりにくくってさ。なんせ、右京君にかかると、どんなに真っ黒なホシでも、裁判でシロになっちまう。もっとも、このボクチャンには通用しないけどね。んなっ、右京センセイ?」
宙太、顔はにんまりと、しかし、いどむような鋭い視線で右京を見た。
一方、右京のほうは軽く受け流すように、涼やかな目を星子に向けた。
――いい、すっごく、いいオトコ……す、すっごくセクシィ……すっごく……。
見つめられただけで、ズズーンと背筋に電流のようなものが走り、カーッと熱いものが体中を駆け巡った。
こんな気分になったのは、はじめて。
このォ、オンナゴロシっ。そんな言葉がぴったり。
その右京が、星子を見つめながらいった。
「どこかで、お目にかかりましたか?」
うっ、いいっ、声もステキ。囁くような、そして、甘い低音の声だ。もう、セクシィもいいとこ。
すっごく、いいっ。立ってらんない。
「失礼ですが、お名前は?」
「は?」
星子、とっさに返事が出来ない。
見かねたように、宙太が、
「あ、星子さん。流れ星の子と書くんだ」
「流星子さん……そうですか、すてきな名前ですね」
キャッ。ギャギャッ。
もう、星子、へなへな。いまにも失神しそう。
「でも、美空警部もやるじゃないですか」
右京、柔らかな笑みを浮かべながら宙太を見た。
「こんな可愛いお友達がいるなんて」
「ノンノン、友達じゃないの」
「というと?」
「きまってるだろ。コホン、コホン」
「あ、なるほど。それは、失礼を」
右京、軽く頭を下げた。
ボーっとしていた星子、一瞬、我にかえった。
こ、このオトコ、どさくさにまぎれて、ナニいいだすんじゃ。
「ち、違います! この人、恋人なんかじゃありません!」
「違う?」
「ええ、なれなれしくされて、迷惑してるんです! ほんと、大迷惑です!」
「なんていっちゃって。カノジョ、照れ屋さんだから。それに、女の子って、いい男を前にするとカッコつけたがるしね。シシシッ」
「シツレイな! カッコなんかつけてないわ!」
「いいから、いいから」
「よくない!」
「ま、ま、ま。痴話喧嘩はあとにしようや。それより、右京君……」
宙太、適当にごまかすと、右京にいった。
「僕に会いたいって、三日月君にいったそうだけど、なにかアリ?」
「うん」
右京、宙太とマサルを促して星子から離れた。
どうやら、お仕事の話らしい。聞いてはいけないよね、と、思いながらも、つい、聞き耳を立ててしまう。
「ガイシャ、つまりコインパーキングで殺されたのは、僕と同じ弁護士の佐々木先生だってね」
「そういうこと。情報がお早いことで」
「たまたま、他の仕事で近くにきていたんだ。で、ホシの手掛かりは?」
「いや、今のところは」
「財布とか腕時計が奪われているんだって?」
「たしかに」
「じゃ、強盗とか車上荒らしの犯行かもな。コロシの凶器は拳銃だっていうし、早く手配した方がいいんじゃないのか」
「ちょっと、あんた」
マサルが、不愉快そうに睨んだ。
「捜査するのは、こっちなんだ。余計な指図はしないでくれ」
「マサル」
すかさず、宙太がたしなめた。
「強盗の線もあるけどさ、佐々木弁護士にはいろいろと悪い噂も付きまとっているようだし、おたくもよく知ってるんじゃないの? 一緒に事件の捜査を担当したこともあるんだろ?」
「くわしいんだな」
「記憶力だけはいいいのが取柄でさ。ま、そういうわけで、慎重に捜査しないとね」
「なるほど。ま、お手並み拝見といきますか」
右京、静かに微笑んだ。
なんか、男同士の火花がパチパチと弾けるみたいで、ぞくぞくしてくる。それに、ミステリー大好きの星子としては、興味しんしんだ。
そのせいか、今さっきまでのボーっとしていた頭の中がすっきりしてきた。
――ちょっと、待って……。
星子の脳裏に、宙太パパとマサルのいったことが甦った。たしか、右京が事件に関係している。ヤバイ展開になってきたって。春之介も、ぜったいに右京にかかわるな、と、厳しい顔でいったっけ。
その事件と、今度の事件とは別なわけ?
ううん、もっと、おかしなところがある。だって、右京さん、行方知れずになってるはずじゃ。でも、こうして、何事もないかのように宙太さんやマサルさんの前にあらわれて話をしている。
あ、宙太さんもマサルさんも、ホンモノじゃない。そっくりさんだよね。そうすると、この右京さんも、ただのそっくりさん?
わかんない。なにがどうなってるのか、よく、わからない。
星子が困惑した顔で立っていると、右京が宙太とマサルから離れて、
「じゃ、これで」
星子に軽く会釈すると、車に乗り込みかけた。
瞬間、星子、
「すいません、ちょっと……」
追いかけるように、いった。
「ん?」
振り向いた右京に、
「あ、あのぅ、ピアノ……」
「ピアノ?」
「わたしのケータイに、ピアノの演奏が……あなたが弾いていたんですか?」
「いや」
右京、きっぱりと首を振った。
「僕は君のケータイの番号を知らないしね」
「え?」
「それに、ピアノは弾かないよ」
「弾かない?」
「昔は習っていたけどね、今はやめているんだ」
「でも……」
「僕、急ぐから」
「あ、もう一つだけ。お願いしますっ」
「なんだい?」
「星子ママ、あ、いえ、星丸クンや宙美チャンという双子のママなんですけど、会ったことは……」
「いいや、そんな人は知らないね。星子という名前は、君がはじめてだ」
「……」
右京の顔、嘘はいっていないようだ。わたしのケータイの番号を、知らない。ピアノも、今はやめている。
ということは、星子ママがあとを追った右京さんとは別人ってこと? でも、ルックスも弁護士という仕事も、まったく同じだけど。
「じゃ、いいかな?」
「は、はい……ごめんなさい、変なこと聞いて……」
「いいんだよ、気にしなくても」
右京、やさしく微笑むと、
「流れ星の子か。また、どこかで会えるかもしれないね」
そういって、車に乗り込み、スタートさせた。開け放った窓から、白いマフラーがひらりと泳いで夕暮れの街へ吸い込まれた。
「……」
見送る星子の胸に、ふっと甘酸っぱいものが込み上げてきた。
「流れ星の子か、また、どこかで会えるかもしれないね」
ふいに、宙太の声が耳元で聞こえた。
「よくいうよ、あのオトコ。でもさ、気をつけた方がいいぜ」
「なにが?」
「右京クンに近づいた女の子は、みんな、身を滅ぼす。そういう伝説があるんだ」
「フン、関係ないわ。別にどうってことないもん」
「ダメダメ、ちゃんと顔に出てるぜ」
「ウ、ウソッ」
い、いかん。惚れっぽいのが、玉にキズの星子さんだ。忘れること。あの手の男は、忘れるに限る。
「とにかく、カレには近づかないこと。オーケー?」
「ほっといて。もう、わたしには、構わないでよッ」
星子、憤然として歩き出した。
「あ、ちょっと、姫! 星子ちゃん!」
あとを追いかけようとした宙太の腕を、マサルがすかさず掴んだ。
「警部、仕事、シゴト!」
「ったくぅ」
宙太、唇をとがらせ、渋々戻っていった。
ったくぅ、っていいたいのは、こっちのほうよ。もう、ニセというか、そっくりというか、あのオトコの顔も見たくない。それにくらべて、宙太パパのほうは、心が温かくて、やさしくて、ほんとに心が休まる人よね。
おとな。うん、大人の宙太さんだ。
なんだか、甘えてみたいな。
そう思うと、無性に宙太パパにも会いたくなってくる。もう帰ったほうがいいっていわれてるし、今さら会えないけど、双子ちゃんの様子を見るついでに、せめて、宙太パパの顔だけでも。
星子、下北沢の駅から井の頭線に乗り、渋谷で東横線に乗り換えた。田園調布駅に着いた頃には、あたりはすっかり暗くなり、街灯の明かりが寂しく光っている。高級住宅街なので、余計寂しく感じるのかしらね。
しばらく歩くと、宙太パパの住むマンションが近づいてきた。なんだか、とても懐かしく感じてしまう。まるで、そう、我が家へ帰ってきたみたい。ヘンよね、たった一晩泊まっただけなのに。
宙太パパの部屋は、三階の東南の角部屋だ。住宅地に建つ低層マンションなので、三階が最上階ってわけ。
植え込み越しに見上げてみると、ん、部屋の明かりは点いていなくて、どの部屋も真っ暗だ。
双子チャン達、帰ってないのかな。それとも、春チャンに連れられて、外食に出かけてるのかもね。わたしも、一緒したかったな。一人ぽっちでゴハンを食べるのって、寂しいもん。以前は、慣れてたのにね。
星子、なんだか寂しくなって、クシュンと鼻をすすった。
一瞬、街灯の明かりがパチッと強く光ったと思うと、消えてしまった。
あらっ、と、見上げた時、一台の車がサーチライトを光らせて走ってくると、ガレージの前で停まった。
運転席に乗っているのは、宙太パパじゃないですか。宙太パパ、車内からリモコンを差し出した。すると、ガレージのドアが静かに開いていく。
会いたい。宙太パパと、話がしたい。
星子、思わず暗がりから飛び出しかけたけど、なんとか、思い止まった。
いけないんだ、会ってはいけない。
なんとか自分にいい聞かせて、そっと離れようとした瞬間、宙太パパ、こっちのほうを見た。
ヤバッ。
星子、あわてて逃げだしたけど、じきに、なにかにつまづいてつんのめり、そのまま、植え込みに頭から突っ込んでしまった。
痛いっ。
頭を引き抜こうとしたけど、枝が絡まって抜けやしない。もがいているところへ、宙太パパが駆けつけてきた。
「星子さん! 星子さんかい?」
「ううん、違います! 星子じゃありません! 痛いっ」
「あ、動かない、今、助けてあげるからさ」
そういいながら、宙太パパ、枝をかき分けて星子を助け出した。
「大丈夫? 怪我してないかな」
「平気ですっ」
「いいから、僕に見せてごらん」
「いいんです! なんともないです!」
星子、宙太パパの手を払いのけて逃げようとした。でも、足がよろけて、宙太パパに抱きついた。
「星子さん! ハニィ、しっかりしろ!」
「!……」
――ハニィ、今、ハニィって……わたしのことを……。
「……宙太さん……」
「ん? なんだい?」
「……わたし……」
星子、急に熱いものがこみあげてきて、声がのどにからんだ。
なぜか、涙があふれてきて、泣きだした。
まるで、子供のように泣きだしていた……。
(つづく)
追記 なんだか深夜便になってしまったけど。よろしくです。
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