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第三部
3
――なんでよ、なんで涙が出るわけ。しっかりしなさいよっ……。
そういって聞かせても、ダメ、ぽろぽろと涙がこぼれて止まらない。
「どうしたんだ、痛いのかい?」
宙太が、心配そうに星子の顔をのぞきこんだ。
「怪我したとか、ぶつけたとか。とにかく、僕に見せてごらん」
「……ち、違います……」
「いいから」
そういいながら、宙太、星子の体を調べると、星子の右の手首にひっかき傷を見つけた。
「ほら、やっぱり」
大した傷じゃないけど、うっすらと血がにじんでいる。
「バイ菌でも入ったら大変だ。ちょっと、貸してごらん」
すかさず星子の腕を掴み、傷口を唇へ持っていくと、チュッと吸った。
「あっ」
しみる。
でも、なんか気持ちがいい。思わずうっとりしてしまう。長崎で、いきなりキスされた時と同じ。
宙太、じきに唇を離すと、ポケットからハンカチを取り出して、傷口に巻いてくれた。
「これで、大丈夫だと思うけど」
「……」
んもぅ、もう少し吸っていて欲しかったのに。
「あっ、ご、ごめん!」
宙太、あわてた顔でいった。
「つい、うっかり、傷口をなめたりしちゃって……いつも、そうしてたもんだから、ほんとに、ごめん」
「いつもって、星子ママに?……」
「うん、カノジョ、ちょっとあわてんぼうなところがあってさ、しょっちゅう、傷をこさえてたんだ」
わたし、も。そういうとこも、同じ。
「だけど、君のように泣き虫さんじゃなかったけどね」
「わたし、痛くて泣いたんじゃないから……」
「じゃ?」
「だって、わたしのこと、ハニィって……」
「あ、そうか。君のこと、そう呼んじゃったのか。ワリイ、かんべん、謝るっ。そっくりさんなんで、つい、ほんとに、ごめん!」
宙太、頭をかきながら苦笑いした。
「いいんです、そんな……ほんとは、わたし……」
間違えられても、悪い気はしなかった。それどころか、嬉しくて、つい、胸がいっぱいになってしまった。
「ん? ほんとは、なんだい?」
「あ、ううん、別に……」
いえるわけない、そんなこと。
「だけど、また、君に会えるなんてね」
宙太、しみじみとした顔で星子を見た。
「やっぱり、気になったわけ?」
「あ、はい、ご、ごめんなさい、くるなっていわれたのに……帰る、わたし……」
星子、頭を下げると、逃げるように走りかけた。
瞬間、宙太が星子の腕を掴んだ。
「待った! もう一度だけ、ヘルプ!」
「え?」
「今さら何だけどさ、もう一度、助けて欲しいんだ」
「助けるって……もしかして、双子チャンのこと?」
「うん……」
宙太、困ったように吐息をついた。
「じつはさ、春ちゃんからメールがあって、二人とも保育園から帰ったあと、一生懸命、パーティの支度をはじめたって……」
「パーティって、あ、おかえりママの歓迎会のこと?」
「そうなんだ。二人とも、すごく楽しみにしてたしさ。でも、ママ、つまり、代理ママの君のことだけど、急用で出かけたってことになってるし、パパもお仕事だろ。だから、今夜のパーティは中止だよって、いくら春チャンがいっても、二人とも聞いてくれないそうだ」
「……」
その気持ち、わかるよね。やっとママが帰ってきた、と、思ってるわけだし。もう、ママをどこにもいかせないっていう願いがこめられてるんだ。
「だからさ、もう一度だけ、二人に顔を見せてくれないかな。頼むよ」
宙太、手を合わせるようにしながらいった。
頼まれなくても、わたしとしては会いたい。双子チャンの顔を見たい。考えただけで、胸がいっぱい。
「でも、双子ちゃん達、今、お出かけしてるんでしょ」
「出かけてる?」
「だって、お部屋には電気がついていないし、誰もいないみたい」
「そんなことないさ。ちゃんと電気はついてるよ。ほら」
宙太、部屋のほうを指差した。
あれっ。
たしかに、宙太さんの家には灯が、それも、どのお部屋にもね。しかも、リビングのカーテンには、ちらちらと人影まで映っているじゃないですか。
「い、いつの間に帰ってきたわけ?」
「違う違う、星丸も宙美も春チャンも夕方からずっといるんだよ。ケータイのテレビ電話で確認してるしさ」
「ウ、ウソッ」
星子のオツム、こんがらかってきた。
「で、でもよ、わたしがここへきたのは、ちょっと前よ。下北沢の家を出たのが夕方で、そっくりさん達に出会って、そのあと、まっすぐここへきたんだし」
「そっくりさん?」
「宙太さんやマサルさん……」
「ええっ」
あ、そうか、まだ、そのことは話していなかったっけ。
「そうよ、なにからなにまでそっくり。でも、宙太さんと違って、まだ、独身の刑事さん。それに、やたらと調子がよくって、すっごく、エッチぽっくって……そこんとこは、宙太さんとは大違いかもね」
星子、肩をすくめた。
「それにね、今回は右京って人のそっくりさんまであらわれたのよ」
「なに、右京君の?」
「そ、すっごくハンサムでステキなヒト……」
星子、ふと、右京の顔やルックスを思いだして、うっとり。
「ちょっと、星子さん、大丈夫かい?」
「あ、はい」
あわてて、目を覚ます。
「そのそっくり右京君って、仕事は……」
「弁護士さん」
「えっ」
「なんでも、ウチの近くのコインパーキングで殺人事件があって、宙太さんとマサルさん、その事件の捜査をはじめたところんだって。そこへ、右京さんがカッコいい外車であらわれて、なんでも、殺されたのは知り合いの弁護士さんで、名前は、えーと、そう、佐々木とか……」
「!……」
宙太の顔が、一瞬、がちがちにこわばった。街灯の灯りだけでも顔色が真っ白になったのがわかる。
「宙太さん? どうかしたの?」
「……あ、う、いや……」
なんだか、言葉にならない声をつぶやいたあとで、少し気持ちが落ち着いたのか、ちょっと震えるような声でいった。
「ご、ごめん、じつはさ、僕や三日月君が捜査中の事件も、同じ事件なんだ。ただし、事件があったのは三年前だけどね」
「えっ」
「しかも、当時、僕らは事件直後の現場近くで右京弁護士と会っていたんだ……」
「!……」
「もっとも、その時、君はいなかった。あ、いや、三年前なら君はまだ中学生だよね」
「ええ」
「だとすると、ハニィ、つまり、星子ママのほうだよね、カノジョは当時、高校二年生だったしさ。そのカノジョとは一週間ほど前だったかな、長崎ではじめて会ったきりだった」
宙太、当時のことを思い出すように額に手を当てた。
「じゃ、こういうこと?……三年前にも、同じことがあって、でも、わたしはそこにはいなかった……それが、今度はそっくりさん達が同じことをしていて、わたしがいた……」
星子、頭の中がますますこんがらかってきた。
「ちょっと聞くけどさ、その時、つまり、右京君に会った時、彼のクルマに誰か乗っていなかったかい?」
「さぁ、どうだったかな……」
「たぶん、女性なんだけどね」
「女の人?」
宙太、ポケットから一枚の写真を取り出して、星子に見せた。
すごい美人が映っている。若くて気品があって、まぶしいくらい。
「名前は花園亜里抄、右京君のフィアンセさ」
「!……」
右京さんには、フィアンセがいたんだ。ちょっとガックリ。でも、それなのに、星子ママは右京さんを追って、家を出たんだよね。
「そ、それで、この亜里抄さんて人が、なにか?……」
「うん、事件の証人っていうか……でもね、ずっと、行方が分からなくなっていてさ」
宙太、ギュッと唇を噛んだ。
(つづく)
追記 いろいろありまして、かなり遅れました。ごめんなさい。亜里抄の登場というわけですが、この前の置き手紙とも関係がある展開になると思います。ところで、情けないことに、亜里抄の苗字がわからなくて。どなたか、教えて下さい。よろしくです。
明日あたりから、冬本番のようですね。ご自愛ください。
追記2 今回から承認制へ戻しました。昨日のコメントも含めてです。ご理解下さい。
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