|
3
「……右京……さん?」
聞いたこともない名前だ。首をかしげた星子に、宙太、
「君が、そのォ、この長崎にきたのも、つまり、右京君に逢うためなんだよね?」
と、気を使う感じでいった。なんか、すごく事情がありそうな感じだ。
「で、どうだった?」
「どうって……わたしの知り合いには、右京って名前の人は……」
「星子さん」
宙太、一瞬とがめるように星子の目を見据えたが、じきに、首を振った。
「あ、いや、いいんだ。触れたくない気持ちはよくわかるしさ」
「……」
「じつはね、僕も彼のことが気になってさ、ずっとさがしていたんだ。星子さんを取ったりしたら、ただじゃおかないって……」
「!……」
右京さんって、そういう存在なわけ。ドッキリだ。
「おっと、今のは冗談、いや、本気かな」
宙太、ちょっと照れたように笑った。
かわいいっ。とても、二人の子持ちのパパには見えない。
思わずそういいたくなるような、シャイな笑顔だ。でも、笑顔の裏には深刻な事情が、つまり、星子と同名の奥さんの……フリン?……。
いやだ、そういうフケツな言葉は使いたくないっ。いくら、今の世の中、当り前みたいなことになっているけど、少なくともワタクシ星子は絶対に拒否しますっ。
それはともかく、宙太、真顔に戻ると、
「右京君、なにしろ、あの体だろ、いつ悪くなるかわからないしさ……僕にとっても、大事な男だし、ほっておけないわけ」
右京って人、病気かなんからしい。
「噂だと、パリとかロンドンとか、ウイーンやザルツブルクとか、ヨーロッパのあちこちでレッスンを受けながら旅していたそうだけど……カレ、国際弁護士の資格の他に、そんなすごい才能があったとはね。星子さん、知ってたわけ?」
「え?」
「ほら、ピアノのことさ」
「ピアノ?」
「右京君って、子供の頃は神童って呼ばれるほどの天才ピアニストだったんだ。でも、指を痛めて挫折したとか。ところが、再びピアノにチャレンジしたってわけ。ヨーロッパへ行ったのも、そのためらしいよ」
「……」
「でも、どうしてそんな無理をするのかな、命をちじめるようなものなのに……」
「……」
右京って人、すごくひたむきなんだ。まだ会ったことないけど、ひかれるところがあるよね。
そんなこと考えていると、
「星子さん、君……」
宙太、ちょっとけげんそうに星子の顔を見つめた。
「ほんとに知らないのかい、今の話。あれからもう二年近くたつし、当然、わかっていると思っていたけど……」
「だから、わたし……」
「ん?」
「はじめにいたでしょ。わたしは……」
星子がいいかけた時、宙美が宙太を押しのけるようにして、間に入った。
「ずるい、パパ。一人でママとおはなしして」
「そうだよ、ずるいよ、パパ」
星丸も、唇をとがらせた。
「あ、ごめん、ごめん」
宙太、大きく腕を広げると二人を抱きしめた。
「そうだよな、パパだけのママじゃない、二人のママだもんな」
「そういうこと」
「こいつ」
宙太も星丸も宙美も、笑った。とても幸せそうな笑顔だった。
星子ママのいない間、宙太パパが一生懸命に星丸クンと宙美チャンを育ててきたんだな、って。きっと、そうなんだ。
「さてと、お腹もすいたし、近くでおいしいものでも食べようか。何がいい? 皿うどんか、チャンポンか、それとも、ハンバーガーかな」
「ぼく、たべたくない」
「あたしも」
星丸と宙美、首を振った。
「それより、早くママとおうちへかえろ」
「うん、ママとおうちへかえる」
「かえろうよ、ママ」
「かえろ、ママ」
星子の腕を掴むと、二人は一生懸命に引っ張った。
「ちょ、ちょっと、待って、お願い」
星子、助けを求めるように宙太を見た。
「わたし、違うんです。そうじゃないんです!」
「ん?」
「わ、わたし……わたしは……」
そう、はっきりといってやったほうがいい。顔はそっくりで名前も同じかもしれないけど、私は別人なんだ。今から、この長崎でいい恋さがしの一人旅をはじめるところだし、邪魔しないで。他人の家庭の事情にどうか巻きこまないで欲しい。
わたし、カンケイないのよ! いい加減にして!
そう叫んで、星子、二人の手を振り払い、走り出した。
――と思ったけど、ためらってしまう。だって、星丸も宙美も星子の手をしっかりと握りしめ、離そうとしない。二人の手のぬくもりが星子の手のひらにやさしく伝わってきて、振り払うことが出来ないのだ。
「……」
どうしたらいいの、どうしたら……。
私をママだと信じ切っている二人のきれいな瞳が、すごくせつない。
二人が背負ったリュックの中のゴンベエ、ママとの再会を招く守り猫だといった。
そうよ、しあわせ招き猫よ。
それなのに、もし、わたしがいってしまったら、二人はどんなにつらくて悲しい思いをすることだろう。
そんな罪作りなことが、わたしに出来る?
出来るわけ?
どうなの、星子!
星子ったら!
「……」
急に熱いものが、胸の奥から吹き上がってきた。
ダメ、泣いてはダメっ。
でも、涙があふれてとまらない。肩が小刻みにふるえて、嗚咽が声になりそうだ。
とうとう我慢できなくて、星子、声をあげて泣き出そうとした。
その瞬間だった。
宙太の腕が星子をやさしく抱きよせたと思うと、星子のふるえる唇に宙太の唇が重なった。
「!……」
(つづく)
追記 猛暑もやっと終わりのようですね。おかえりなさい秋さん。今年も紅葉を楽しませて貰います。
そうそう、おかえりなさい、っていえば、昨日のテレビのニュースでとても素敵な「おかえりなさい」をいわれている人がいましたね。僕からも、いわせて下さい。
「おかえりなさい」
おかえりママ星子のほうは、この先、どういうことになるのか、見つめてやるしかなさそうです。
|

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ


