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「……」
キス、星子にとってはじめてのキス。
子供の頃から、キスにはそれなりに興味があった。
あたりまえでしょっ。
映画やテレビドラマなんかで、愛し合う恋人同士がキスするシーンを見て、
<フン、いちゃいちゃするんじゃないよ、フケツ!>
なんていいながら、心の中では、
<ああ、わたしも、いつか愛する人に巡り合い、熱いファーストキスをするんだろうな>って、胸をどぎまぎさせながら、憧れていたわけ。
それが、いきなり、こんなふうにバッチリときめられてしまうなんて。それもですよ、相手は、恋人でも何でもない宙太とかいう男からね。
ジョウダンじゃないよォ。
星子、あわてて顔をそむけようとした。でも、重ねられた宙太の唇から、やわらかくて、あたたかい、甘い感じの感触が伝わってきて、まるで魔法にかけられたように体が動けなくなった。
「……」
どれくらいたったか、ふっと宙太の唇が星子の唇から離れた。
――んもぅ、もうちょっとこのままでいたかったのに……。
星子のボーッとなった頭の中で、キラキラと光る靄のようなものが回っている。なんだか、夢の世界を漂っている感じだった。
すると、
「わーい、パパとママがチュゥしたよ」
「これで、もう、なかなおりだね」
星丸と宙美のはしゃぐ声に、星子、どうにか現実に戻された。嬉しそうな二人の顔が、星子と宙太を見つめている。
それこそ、心底嬉しいって顔だ。こんなにかわいい笑顔って見たことない。
くわしい事情は知らないけれど、パパとママのことで、二人は幼い心を痛めていたに違いない。星子だって、幼い頃、父と母が夫婦喧嘩した時――ま、滅多になかったけど……それでも、ずいぶんと心配したものだった。もしかして、ケンカの原因はわたしにあるんじゃないか、わたしのせいじゃないかって、あれこれ考えたものだった。
でも、星丸と宙美の二人の心の傷は星子の比じゃない。なんせ、ママがいなくなってしまったんだ。一番ママが欲しい時にママがいないなんて、そんなつらいことがこの世に、ううん、絶対にあってはいけないことなんだ。それだけに、二人にはパパとママがキスしたことで、いっぺんに不安と心配が吹き飛んだような気分になったに違いなかった。
でも、わたし、あなたたちのママじゃない。ただのソックリサン。
あなたたちのパパも、そのソックリサンにキスをした。愛する人と間違えて。
いくら勘違いとはいえ、キスまでするとは何事よっ。許せないっていうか……そりゃ、夢見心地とやらにさせてはくれたけど……キスっていいもんよねって……バカバカ、絶対に許せないったらっ。
そう自分にいい聞かせて、キリリッと宙太を睨みつけた。
「?……」
ん、ちょっとヘン。宙太さんの顔、さっきとはまるで違っている。
顔色は真っ青、目は大きく見開き、焦点を失ったように瞬き一つしない。今さっきキスした形のいい唇は、かすかにふるえて、口も半分開いたままだ。まさに、茫然自失といった感じだった。
もしかして、わたしとのキスで、ものすごくシビれたとか。
すっごーい、わたしって、オトコをとりこにする魔性のオンナかもね。
なんて、思うわけないでしょ。
とにかく、いったい、どうしたんだろ、と、思っていると、宙太、やっと正気に戻った感じで、
「ご、ごめん」
かすれた声でいうと、頭を下げた。
「はい?」
なんで、あやまるわけ?
「あまりにそっくりだったんで、君が……」
宙太、目を伏せたまま、ハンカチを取り出して顔の汗をぬぐった。
「そっくり?」
「ほんとに、申し訳ない。つい、間違えてしまって……」
「んじゃ?」
どうやら、人違いだってことがわかったようだ。星子、ホッとなった。
「よかった、で、どうしてわかったんですか?」
「どうしてって、つまり、その……ちょっとおかしいな、と、思いはじめてね、君と話しているうちに……それで、ま、思い切って試してみたんだ」
「試すって?」
「う、うん……」
宙太、申し訳なさそうに、唇を指先でそっと叩いた。
「あっ」
そうか、さっきのキス、わたしが本物かどうか確かめるためだったのね。
ひどい!
星子、キッと睨みつけた。
試すためにキスなんか。そんなのいやっ。侮辱よッ。
引っ叩いてやる!
思わず手を上げようとしたけど、けげんそうに見ている星丸と宙美に気づいて、なんとか、思いとどまり、深呼吸。
ま、考えてみれば、宙太さんもそこまで迷っていたってことね。だけど、キスで確かめるなんて。本物の星子オクサマとのキスとは、どう違っていたわけ?
ね、教えて。どこが違っていたんですか!
ほんとは、力づくでも聞き出したいところですけどね、ま、やめておきますか。
ま、なんだかんだいっても、わたしには、ステキなファーストキスだった。それだけでも、良しとしよう。なんて、ちょっとおかしかな。
どうにか自分を納得させた星子に、宙太、あらためて頭を下げると、
「ほんと、ごめん。申し訳なかった。なんていくら謝っても、許しては貰えそうもないな。もう、サイアク! くそっ、どうなってんだ!」
なんとも悲しそうな泣きべそ顔で、溜息をつき、肩を落とした。
この人、心底からわたしに詫びている。居直ったり、カッコつけたり、ごまかしたり、そういうことが出来ない、とても誠実な男なんだ。ただただ、一生懸命、行方不明の星子ママを探しているんだ。二人の子供たちのために、そして、自分のために。
もし、この長崎で星子に会わなかったら、こんなにつらい思いはしないですんだのに。そう、宙太だけじゃない、二人の子供たちだって、人違いと分かればどんなに悲しい思いをすることだろう。
会わなければよかった、そう、会わなければよかったんだ。
そう思っているうちに、星子、胸がいっぱいになってきた。
「……ごめんなさい……」
「ん? なにが?」
けげんそうに見た宙太に、星子、頭を下げた。
「わたしが、いけなかったんです。長崎にこなければ、わたしが……ほんとみ、ごめんなさいっ」
「君っ」
宙太、しみじみと星子を見つめた。
「そういうとこ、妙に素直になってしまうところが星子さんにそっくり……あ、どうも……」
苦笑いしながら、鼻をすすると、
「大丈夫、僕のことなら心配ないよ。こう見えても、打たれ強いんでね。ふふふっ。それと、子供達にはうまくいっておくから」
「でも……」
「心配ないって、ほんとほんと」
笑顔をつくると、宙太、星丸と宙美のほうへ戻った。
「さぁ、星丸、宙美、いこうか。パパ、もう腹ペコだよ」
「ママは?」
「あ、うん、まだ御用がすんでいないんで、あとからくるってさ」
「ほんとに?」
「うん、もちろん。さ、いこ、早く」
宙太、二人の腕を掴んで歩きかけた。すると、星丸が宙太の手を強く払いのけた。
「ボク、いかないよっ」
「星丸」
「ママは、こないんだ。もう会えないんだ、きっとね!」
「そんなことないって。じきに、会えるからさ」
「ウソだ! パパのうそつき! ママはぼくたちがきらいなんだ。きらいなんだよ!」
そう叫ぶと、星丸、ワーンと泣きだした。
「星丸っ……」
宙太、困ったように溜息をついた。
星丸クン、わかっているらしい。宙美チャンだって同じだろう。いくらごまかそうとしても、二人には通じないようだ。星子、つらくて顔をそむけた。
すると、宙美がいった。
「お兄ちゃんのよわむし! あまえんぼう!」
「なんだと!」
「だって、ママ、ママっていってばっかり。なさけないの!」
「こいつ! いったな!」
星丸、宙美に掴みかかった。
「よせ!よさないか!」
宙太、懸命に星丸を制止した。
「宙美、お兄ちゃんにそんなこというんじゃない。いいかい」
「だって、ほんとによわむしなんだもん」
「宙美っ」
「じゃ、おまえ、へいきなのかよ。ママともう二度とあえなくなっても、へいきかい!」
「そんなことないよ! ママとは、じきにまたあえるわ。きっと、ね!」
「あえるもんか! ぜったいに、あえないよ!」
「バカバカ! おにいちゃんのバカ!」
今度は、宙美が猛然と星丸に掴みかかった。
「や、やめろ! 二人とも、やめろったら!」
いくら宙太が止めようとしても、ダメだ。星丸も宙美も泣きながら相手に殴りかかり、とても収まりそうもない。
「……」
……もう、ダメ……。
とても、見ていられない。星子、はじかれたように走っていった。
「待って! 待ってったら! いいわ、一緒にいくわ。ママも一緒にいくから!」
「ママ?」
宙太、びっくりした顔で星子を見た。
「!……」
いったご本人星子も、ハッと口を押さえた。
まさか、自分の口からママという言葉が飛び出すなんて。でも、取り消そうとは思わなかった。もう一度、星子はきっぱりといった。
「ええ、そうよ、ママも一緒にいきます。それでいいわね?」
(第一部・おわり)
追記 今までのパート、第一部とします。とんでる星子さん、ちょっと跳び過ぎたかもね。どうなっても知りませんぞ。ということで、第二部は、はたしてどういう騒ぎになりますやら。十月はじめまでお待ちください。
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