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「ね、お兄ちゃん……」
宙美、おずおずと星丸の背中を見つめた。
「ほんとに、いいの?……」
「ん?」
星丸、医学書のページを開いたまま、生返事でいった。
医大外科研究室の少しだけ開いた窓から、柔らかな夜風がやさしく吹きこんでくる。眼下には、湾岸の美しい夜景が広がり、レインボーブリッジを走る車の光がゆっくりと流れていく。
「いいって、なにが?」
「……だから……」
言葉は喉まで出かかっているのに、胸がいっぱいになった感じで声にならない。
「お前の好きなようにするさ」
星丸、宙美の気持ちを察したように、ぼそっとつぶやくよううにいった。
「え?」
「結婚のことだろ、つまり」
星丸の視線、医学書に落としたままだ。でも、どこか虚ろだった。
「一々、僕に聞くこともないさ。お前自身で決めろ」
「でも……」
「ママもパパも、あんなに喜んでるじゃないか。ほんとに、いい縁談だって。センパイ、あ、古賀さんはトップレベルのレジデント(後期臨床研修医)だし、それに、なによりもお前を愛してくれている、それこそ、全身全霊でな。だろ?」
「ええ」
「お前だって、古賀さんを愛している。もちろん、全身全霊で。そうだろ?」
「ええ……」
「だったら、なにを躊躇ってるんだ。それも、結婚式は明日だっていうのに。早く、家に帰って支度しろよ」
「……」
「あのな、週末には研究発表があるんだ。今晩中に論文仕上げろって、教授からもきつくいわれてるんだよ。頼むよ、宙美、邪魔しないでくれないかな」
「……」
瞬間、宙美が体をぶつけるようにして星丸の背中に抱きついた。
「お、おいっ」
「お兄ちゃん……」
「どうした? 宙美?」
「あたし、どこにもいきたくない! ずっと、お兄ちゃんのそばにいる。一緒にいたいの!」
「な、なんだって?」
「いいでしょ、ね、いいでしょ、お兄ちゃん!」
星丸の首筋に、宙美の目からあふれた涙がこぼれた。
「あたし、お兄ちゃんが大好き!……」
「バ、バカいうなって。なに、くだらないこといってるんだ!」
「ほんとよ! ほんとに、好きなんだから!」 宙美、泣きながら星丸の体にしがみついた。
「……宙美っ……」
はじめは宙美の手を払いのけようとしたものの、次第に力が抜けていた。
……正直いえば、星丸も宙美を嫁になんか行かせたくなかった。今までどおり、一緒に暮らしたかった。幼い頃から、つらいこと、悲しいことを二人で耐えてきた。人一倍、きょうだいのつながりは強かった……。
……ふと、思う時がある。宙美の存在は妹以上、恋人に近いかも……それは、宙美も同じ気持ちかも知れない。自分の存在は、兄というよりも、恋人に近いかも……と……。
いけない、そんなことを考えてはいけないんだ。だからこそ、星丸は医大の先輩の古賀から宙美が求婚された時、自分の思いを断ち切れるきっかけになると思って賛成した。宙美も、そう思ったからこそ、古賀の求婚を受け入れたのだった。
でも、いざ、結婚式を翌日に控えた時、宙美は押さえつけていた気持ちがとうとう弾けてしまった。
星丸も、今にも気持ちが弾けそうだった。無意識のうちに立ちあがり、体をよじって宙美を自分の胸に受け止めた。
女として成熟した宙美のふくよかで香しい肢体が、嗚咽しながら、小刻みに震えている。
なんて愛しい奴なんだろう。星丸はガラス細工の人形を抱くように、そっと力を込めた。
「……お兄ちゃん……」
涙に濡れた宙美の顔が、星丸の目の前にある。唇は甘えるように開いている。
「……宙美……」
星丸、吸い寄せられるように顔を近づけた。
(つづく)
追記 あららっ、星子幕末編を書かなければと思っていたら、なぜか、こんなことになってしまった。しかも、かなり、ヤバいことに。申し訳ないけど、ちょっと、お付き合い下さい。
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