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「おい、ちょっと待った!」
宙太の甘いたれ目顔から、きつい声がとんだ。
声をかけた若者の後ろ姿が、立ち止まることも、振り向くこともなく、悠然と歩いていく。
宙太もそれなりの長身だが、相手はさらに背が高くて、スリムな体を品のいい仕立てのコートをさりげなく着こなしている。髪は長く、肩から背中にまで伸びた艶やかな黒髪が、夜風に爽やかな薫りを花びらのように散らしながら流れていた。
「待って頂けませんかね、そこのオニイサマ」
宙太、苛立ちをこらえながら、再び声をかけた。
すると、若者は背を向けて歩きながら、涼やかな声で答えた。
「すいません、僕には立ち止まる理由が見つからないんです」
「はぁ?」
ちょっと、意表を突かれたが、宙太、なんとか気持ちを押さえた。
「そちらはカンケイないの。用があるのは、こっちなの」
「そういうこと」
マサルが、じれたように若者の背後から駆け寄って、肩を掴んだ。
「日影蜻蛉(かげろう)だな!」
「――」
「おい! 答えろ!」
肩を掴んだ手に力をこめた瞬間、相手は一枚の羽根のようにふわっと舞った。同時に、マサルの引き締まった体は宙に舞った。
「あっ」
宙太、ハッとなった。
マサルが路上に叩きつけられる!
と思ったが、さすがはマサル、なんとか体をひねらせ手を突きながら着地した。
「まず自分から名乗るのが、礼儀というものじゃないですか」
若者、日影蜻蛉は、長い髪に手をやりながら、涼やかな声でいった。
「なんだって!」
キッと立ち上がったマサルを、宙太がすかさず止めに入った。
「これは、失礼。確かに、その通りだ。では、あらためて自己紹介を。僕は警視庁捜査一課の美空……」
「美空宙太警部ですね。そして、そちらは、三日月マサル刑事」
「あ」
「!……」
宙太もマサルも、唖然となった。
「よくご存じで。闇のルートでデカのリストが出回っているんですかね」
宙太がさりげなく聞くと、
「そんなことは、ご自分でお知らべ下さい」
蜻蛉は、さらりといってのけた。「それより、わたくしを呼び止めた理由を聞かせて下さいませんか」
「わたくし、ときましたか」
宙太とマサル、思わず苦笑した。もっとも、ワタクシ、という言葉はこの男にはふさわしいかもしれない。いかにも、貴公子といった雰囲気があるからだ。
「理由は、ずばり、申し上げます。殺人です」
宙太、さりげなく蜻蛉の前へ移動しながらいった。行く手を遮ると共に、相手の顔もよく見たかったからだ。
(すっごい、美人!)
息を呑むとは、このことか。
まるでタカラズカの男役のような……おっと、そうだった、日影蜻蛉はホンモノの男なんだ。でも、この美しさは何だろう。宙太のまわりは、美形に属するカッコいい男達が何人もいる。あ、そうそう、ゲンジロウを除く、だけどね。
でも、蜻蛉の美形ぶりは、まるで違っていた。春之介のようなニュ―ハーフとも一味も二味も違う、タカラズカそのものだった。
(こいつが女を何人も殺した容疑者なのか? ほんとかいな?)
信じられない、とても。
思わず見惚れていると、ふと、蜻蛉の目が宙太を見据えた。
(ああっ)
いきなりグサッと熱いものと冷たいものを心臓に差し込まれたような感触が、そして同時に、一瞬のうちに夢見心地の世界に連れて行かれたような気持ちに襲われて、宙太はふらっとめまいを起こした。
すると、蜻蛉がスッと宙太の体を左手で受け止めて、抱き抱えた。
(……なんか、いい気持……)
この男の体には、男さえしびれさせるような妖力があるのか。まるで、上等のコニャックでも飲んだような酔い心地さえする。
ぼうっとしている宙太の耳元で、蜻蛉はいった。
「わたくしも、いろいろな男を抱きましたが、上司を抱いたのは初めてです」「じょ、上司?」
「ええ、あなたはわたくしの上司です」
「な、なにっ?」
「じつは、今から本庁へ伺って、これをお渡しするところでした」
蜻蛉は、一通の封筒をスーツの内ポケットから取り出し、中身を見せた。
配属命令だ。日影蜻蛉刑事、本日付で美空宙太警部の捜査班に加わること。そういう趣旨の文言が並んでいる。
「!……」
宙太、言葉が口から出来なくて、パクパクさせるだけだった。
(つづく)
追記 いやぁ、急に冬がきてしまい、治りかけていた風邪がぶり返した感じです。おまたせした、というか、申し訳ないというか、なんとか、「かげろう刑事」をスタートさせました。芝居の台本の直しもやらなきゃならないので、遅れ気味ですが、よろしく御贔屓の程を!
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