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2
――なんなの、よくわからない……灰色っぽい霧の中から人影が……男の人だ。こっちに背中を向けてピアノを弾いている。でも、ピアノの音は、聞こえてこない。
誰? あなたは、誰なの?
もしかして、右京さん? そうなのね、右京さんね。
右京さん!
でも、いくら呼びかけても、男の人は振り向いてくれない。
顔を見せて、お願い。わたしのほうを見て。右京さんっ。
じきに、霧が濃くなって男の人の姿は呑み込まれていく。
あ、待って!
いかないで、右京さん。お願い、いかないで!
「右京さーん!」
と、声にならない声で叫んだ瞬間、星子、ハッと目が覚めた。
「……」
カーテンが閉まった薄暗い部屋、そして、ベッドに寝ている、わたし。
夢、か。
そう、夢を見ていたんだ。
でも、どうして、あんな夢を……それに、ピアノを弾いていた男の人が、どうして右京って人だとわかったわけ?
右京の名前は、星子が宙太と長崎ではじめて会った時、星子ママと勘違いした宙太から聞いただけで、そのあと、一度も話題にはなっていない。
もちろん、興味はありましたよ。星子ママが家族を捨ててまであとを追った右京さんって、どんな人だろう、って。
ハンサム? 背は高いの? やさしい目をしている? それに、限られた命ってどういうこと?
でもね、宙太さんにはとてもつらいことだろうし、右京って人のこと、触れてはいけないんだ。わたしには、カンケイないことだしね。それなのに、なんでよ。なんで、右京って人の夢なんか見るわけ。
よしてよ、まったく! これも、つい、双子チャンや宙太さんに同情して代理ママなんか引き受けたからだよね。
星子のおっちょこちょい。お人好し。浅はかモンが!
頭の中がはっきりとしてくるにつれて、またぞろ、後悔めいた気持ちが突き上げてくる。
とにかく、あと三日、ううん、一晩泊まったから、あと二日。明日の晩にはシモキタの我が家に帰らないと、ヤバイ。親のことや期末テストのこともある。
しゃぁない、あと一泊二日、なんとかガンバルぜっ。
ため息をつきながら起き上ろうとすると、ん、隣りに誰かが寝ているっ。
もっこりと布団が盛り上がり、軽い鼾が聞こえるじゃないですか。
ま、まさか、宙太さん!
ま、ま、まさか、わたしを星子ママと思って、ナニしたんじゃ!
すでにキスで試してるし、今度は×××で確かめよう、と!
う、うぎゃーっ!
星子、あわてて体に手をやった。寝しなに着替えた旅行用のパジャマ、ちゃんと着てる。Fカップブラも無事。あ、Fカップはサバヨミもいいとこだけどね。
パンティはっと、これも無事。
でもよ、こっちが爆睡しているすきにナニして、終わったあとで、こっちが知らない間にはかせたってことも!
やたら、具体的だよね。うふっ。
とにかく、ゆ、許さん! わたし、まだ、マッサラなのに! なにが? オダマリっ!
キサマァ、と、布団をパッとひきはがすと、
「あれっ」
なんと、寝ているのは星丸クンじゃないですか。
仔犬みたいに体を丸めて、指をくわえてオネンネ中。なんとも愛くるしいっていうか、宙太そっくりの寝顔に、
「カワユイ」
星子、思わず、星丸をぎゅっと抱きしめて、チュッ。
すると、星丸、可愛いたれ目をぱちくりさせた。
「ママ」
「おはよう、星丸クン」
「ママって、あったかい。いいにおい」
星丸、星子の胸に顔を埋めて気持ちよさそう。
うふっ、くすぐったぁい。
と、星丸、神妙な顔になって、
「ごめんなさい、ママ」
「なにが?」
「だって、ママのベッドにだまって入っちゃってさ」
「そうよ、びっくり」
「ほんとにごめんなさい。でも、コウクンのマネっこしてみたかったんだもん」
「こうくん?」
「保育園のおともだち。いつも、ママといっしょにねてるんだって」
そうか、双子チャン、まだ生まれて半年ぐらいでママがいなくなったので、おかぁさんに添い寝して貰ったこと覚えていないんだ。
星子、鼻がツーンとなったところへ、
「あ、おにいちゃん、ここにいたのね!」
そういいながら、ゴンベエを抱いた宙美がとびこんできた。
「宙美ちゃん」
「やーい、おにいちゃんの甘えん坊!」
「うるさい!」
「もう、赤ちゃんだもんね。オッパイのんだら」
「こいつ!」
「こらこら、宙美ちゃんもここへきて」
「あたし、赤ちゃんじゃないもん」
「いいから」
星子、宙美を抱いて星丸とは反対側に寝かせ、抱きしめた。
「わぁ、宙美ちゃん、手が冷たいのね。わたしがあっためてあげる」
「いいの、へいき」
宙美、かしこまった感じで、体を固くしている。星丸と差をつけているつもりらしい。
星子、構わずに宙美の手と足を胸と腿で挟んだ。
「どう、あったかいでしょ?」
「まぁね」
宙美、そういいながら、気持ち良さそうに目を閉じた。
宙美だって、ママにこんなふうに抱いて貰った記憶はないだろう。女の子だし、母親が恋しい気持ちは星丸以上かもしれないのにね。
「……」
星子、もう胸がいっぱいになって二人を抱きしめた。昨日からこんなふうに切なくなることがよくある。そのたびに、自分がのめり込んでいきそうで、正直、コワイ。
星子と宙美の間に挟まれたゴンベエが、フギュッと苦しそうにうめいたが、知ったことか。
ふと、近くでクシュンと鼻をかむ音が聞こえた。顔を上げると、開いたドアの前にエプロン姿の宙太が卵焼きのヘラを片手に立っている。
「あ……」
星子、あわてて体を起こした。
「や、お早う」
宙太、あわてて鼻をこすり、照れくさそうに笑った。
「ど、どうも、お早うございます……」
星子も、ぎこちなく御挨拶だ。代理ママといっても、人さまの家ですからね。
「しょうがないな、二人とも朝から甘えん坊さんになって。さ、起きた起きた」
「やだ」
「もうちょっと、ね、パパ」
星丸と宙美、宙太に手を合わせてお願いポーズしたけど、
「ダメダメ、保育園に遅れるよ。パパがオムレツ作っている間に早く支度する」
「んもぅ」
「キビシイーッ」
星丸と宙美、しぶしぶ起き上り、部屋を出ていった。
「いつもは、いわれなくても自分たちで支度するんだけどね」
宙太、肩をすくめると、しんみりとした顔でいった。
「やっぱり、嬉しいんだな」
「……」
どう答えていいのか、言葉が出ない。
「……あ、オムレツ、わたしが……」
ほんとは、まるで自信がないけどね。
すると、宙太、
「いいのいいの、こう見えても料理には自信があってさ。いつも、僕が朝ごはんを作ってあげてたんだ」
道理で、エプロン姿が似合っているはずだ。
「オムレツ、カノジョの大好物でね。キミはどうかな?」
「あ、わたしも」
「ほんと、そんなとこまでそっくりなんだ」
宙太、微笑んだあとで、ふと、星子を見つめた。
「はい?」
「あ、ごめん、つい、思い出しちゃって……一緒に暮らしてた頃のこと……朝寝坊のカノジョを起こして、『ハニィ、朝ごはん出来たよ』って。すると、カノジョ、モーニングキスで『おはよう』って……なんか、ママゴトみたいだろ。でも、楽しかったぜ。あれが、しあわせっていうのかな、きっと……」
宙太の目に、キラッと光るものがあふれた。
ほんとに、しあわせだったんだ、宙太さんと星子ママ。その星子ママが、しあわせを捨ててまで右京って人を探しにいくなんて。しかも、その右京って人、カンケイないはずのわたしの夢にまで出てくるなんて。
「あ、あのぅ……」
「ん?」
「……」
星子、右京のことを聞こうとして、寸前、思い止まった。
誰にだって、触れられたくないことがある。余計なことはしない。
「なんだい?」
「う、あ、その、つまり、保育園なんですけど、お迎えのバスとか……」
とっさに、話題をすり替える。
「いや、僕が仕事にいく前に二人を送っていくんだ。駅の近くなんでね」
「そうですか」
「でも、仕事が忙しくて帰れない時は、知り合いに頼んでいるけど」
「あの、お仕事って、どんな?……」
そう、まだ、何も聞いていない。
「デカ」
「でかい?」
「違う違う、刑事、警視庁のね」
「!……」
ひぇーっ、警視庁の刑事さんですか。星子、思わず、
「ウ、ウソーッ」
「見えない?」
「はい! あ、いえ……やっぱり、見えないかな……」
「ふふっ、いってくれますね」
宙太、ニカッと笑った。
刑事ってオッカナイ人っていうイメージがあたけど、宙太さんのような、ネアカのイクメンデカもいるんだ。
「さてと、早くオムレツ作らないと。それこそ、遅刻だ」
「わたしも、お手伝いします!」
「有難う。あと二日、正確にいうと明日の夜までだけど、よろしく!」
「はい!」
そうです、あと二日、代理ママを頑張らねば。
星子、気合を入れると、大急ぎで着替えて洗面所へ。キッチンのほうから、おいしそうな匂いが漂い、星丸や宙美、それに宙太たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
なんだか、こっちまでウキウキしてくる。
その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
誰だろう。宙太たち、キッチンにいるので気がつかないらしい。
星子、急いで顔を拭くと玄関へいってドアを開けた。
ん、目の前に背の高いスタイリッシュな女性が、化粧もファッションもかなり派手だけど、かなりの美女だ。
「あの、どちら様で……」と、いおうとしたとたん、
「……せ、せ……」
美女が、かすれ声で口をパクパクさせた。
「は?」
星子がけげんそうに見返すと、
「星子ちゃん! やっぱり、星子ちゃんだわ! 星子ちゃーん!」
ノッポの美女、金切り声で叫ぶと、星子に猛然と抱きついてきた。
なんとか受け止めたけど、きつめの香水と化粧クリームの匂いに、息が詰まる。
思わずせき込んだとたん、美女はパッと星子から離れた。そして、次の瞬間、いきなり、
パシッ!
美女の平手打ちが、星子の頬に飛んできた。
「イタッ」
強烈な平手打ちに、星子、よろけた。
な、なによ、いきなり!
頬を押さえながらキッと睨みつけると、美女の目から大粒の涙がポロポロとこぼれている。
「?……」
すると、美女、泣きながら、再び、星子に抱きついた。
「バカ! 星子ちゃんの大バカ!」
(つづく)
追記 久々、春ちゃんの登場です。どうも、ただですまなくなりそうだ。なぜか右京の夢なんか見てるしね。はたしてどうなりますやら。
皆様のコメント、今回はかなり参考になります。助かります。次回は来週になると思いますが、その間も時々宙太や双子チャンのメールなんかでお邪魔しますので、よろしく。
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おかえりママに薔薇のキス
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第二部
1
――なんでよ、なんでこういうことになっちゃったわけ……。
星子の頭の中で、同じ質問がくるくると渦を巻いている。でも、これといった答えは出てこない。
タクシーの車窓には、ライトアップされた東京タワーが大きく聳え立ち、流れていく。
え、東京タワー?
そうなの、わたし、今さっき、東京に帰ってきたとこ。夕方の飛行機で長崎を飛び立って、夜、羽田空港に着いた。そのあと、タクシーに乗ったわけ。
わたしの両隣りには、星丸クンと宙美チャン。すやすやとお休みだ。二人の手は、しっかりとわたしの手を握ったまま。離そうとしても、眠ったまま強く握り返してくる。そして、助手席には、宙太さん。時々、「申し訳ない」といった顔で振り向いてくれる。
ということは、つまり、宙太さんや星丸クン、宙美チャン達と一緒に東京へ帰ってきたわけ?
なんでよ、なんでこうなっちゃったわけ? ナガサキでママのピンチヒッターは終わったんじゃなかった?
そうなの、そういうこと。
はじまりは、あの一言。
「うん、ママも一緒にいくから!」
お別れのはずが、星丸クンと宙美チャンの涙に負けて、つい、その気になってしまった。
お人好しなのか。おっちょこちょいなのか。それとも、聖人なのか。はたまた、偽善者か。
でも、チャンスはまだあった。長崎駅前のレストランでの食事のあと、なんか理由を見つけてサヨナラすればよかった。宙太だって、星子にこっそりと「あとはうまくやるから」と、いってくれた。
「君の気持ち、すごく有難いよ。でもね、いつまでも一緒にいて貰うわけにはいかないしさ」
そりゃ、まぁね。お休みはあと二日しかないし。月曜日には学校にいかなきゃ。なんせ、期末テストがはじまるんです。もし、赤点貰うと、留年!ってことになるわけ。
「それにさ、そばにいればいるほど、君に負担をかけると思うわけ、気持ち的にもね」
それもいえてる。身代わりママになるためには、それなりに演技しなきゃならない。さらにですよ、演技するってことは、結局、二人をだますことにも……だますだけでもつらいのに、万一、ばれたら星丸クンと宙美チャンがどんなに傷つくことか……つらい、耐えられないよぉ。
宙太さんも、きっと、そこのところを心配しているんだ。
やさしいヒト。
キスもすてきだったけど、気持ちもステキ。
なんて、うっとりしてる場合かっ。
(やっぱり、やめとこ。今ならまだ、やめられる。やめるのよ、星子!)
と、自分にいい聞かせた、つもりだった。
ところが、双子ちゃんの嬉しそうな笑顔を見ていると、つい、きっかけが掴めなくて。
そう、双子なんだよね、星丸クンと宙美チャン。お歳は三歳半。もう、可愛いさかり。それでなくても笑顔が可愛い年頃なのに、ママが戻ってくれたことが、心底、嬉しいっていう気持ちが笑顔にあふれている。
それだけじゃない、笑顔の奥には、一生懸命、星子に気を使っている感じが……。
――ママが、もう、どこへもいかないように。ずっと、そばにいてくれるように、いい子でいなきゃ。ママをこまらせないようにね。いいかい、宙美。うん、わかってる、星丸兄ちゃん……。
おたがい、きっと、そう誓い合っている。
そんな思いで双子ちゃんを見ているうちに、涙が出てきちゃって……あまりに可愛くて、いとおしくて、せつなくて……もう、涙がポロポロ……。
わたし、そんなに泣き虫じゃないのに。いじめられても、一人ぽっちでお留守番しても、失恋しても、泣いたことなんかなかったのに。どうなってるわけ。
――で、結局……、
負けた。
二人の笑顔に負けて、星子、さらに踏み込む羽目になった。
「わたし、頑張ってみる……」
星子、宙太にそっといった。
「頑張るって?」
「代理ママします。あと二日だけ」
「二日?」
「それまでに、ホンモノのママが帰ってくるかも……」
スラッと、そんな言葉がこぼれた。自分でも、びっくりするくらい自然にね。
「そ、そんな、キミっ」
宙太のたれ目が、まん丸くなった。
「星子さんは、あ、いや、僕の奥さん、いつ帰ってくるかわからないんだぜ」
「ううん、もうじき戻ってきます。もうじき」
口先だけじゃない、ほんとに、そんな気がする。
でも、ほんとに? 名前だけが同じで、赤の他人なのにね。それに、右京ってヒトのことだって……星子ママ、すべてを捨ててあとを追ったのに……。
ちょっと自信を失いかけたけど、もう一度、はっきりといった。
「きっと、帰ってきます、星子ママ」
「ほんと! あとで、違いました、は、いやだぜ。ボクチャン、アウトになっちゃうから」
宙太、真顔でいった。
ほんとに、このヒト、アウトになるかもね。それだけ、愛しているんだ、星子ママを。
うらやましい、ちょっぴり。わたしも、こんなふうに男の人に愛して欲しい、なんちゃって。
とにかく、そう話がついたところで、
「ね、パパ、おうちへかえろ」
「ママといっしょにかえろうよ」
と、双子チャンがいいだした。
すると、宙太も、
「そうだな、それがいいね。パパもそう思ってたところさ」
と、うなづきながら、星子にチラッとウインクした。
(もうじき、ハニィが戻ってくるというキミの言葉、信じるぜ。信じているからね)
宙太の目、そういってるように見えた。
どうか、わたしのカンがはずれませんように。
カミサマ、おねがいっ。
そういうわけで、急きょ東京へカムバックすることに。そして、今、タクシーで宙太の家に向かっているわけだ。
「それで、キミ、ご両親にはなんて?」
宙太、振り向きながらいった。
「あ、大丈夫。友達んちに泊まってることになってるんです」
「ワルイ子だな。僕のハニィもね、そうだったみたいだぜ」
ふーん、ナルホド。
「で、家はどこ?」
「あ、シモキタ」
「下北沢? へぇ、ハニィの実家もシモキタだぜ」
「ウソ」
星子の住んでいる家は、世田谷区の下北沢、古くてせまいマンションで、とても人様にお見せできるような住まいじゃありません。
「キミ、学校どこだっけ?」
星子、学校の名前をいった。
「ヒェーツ、マジかよ。学校まで一緒だよ」
「そんな」
「ハニィ、僕と知り合った頃、高二でさ、合気道やってたんだ」
「!……」
「まさか、そこまで一緒じゃ?」
「あ、いえ……わたし、サッカーです」
ほんとは、ウソ。部活は、合気道やってる。でも、似過ぎて薄気味悪いので、ウソいったわけ。
星子、まさかと思いながらも、こっちから聞いてみた。
「星子ママ、血液型と星座は?」
「あ、A型の水瓶座さ」
「よかった! わたし、B型のひまわり座」
「ひまわり座なんてあったっけ」
「ウフフッ、魚座です」
笑ってごまかしたけど、アタマの中はほぼパニック状態。だって、星子、ほんとの血液型はAで、星座も水瓶座だ。
――星子ママって、まるで、わたしのコピーみたい。違うのは、年齢だけか。だって、家出したのは二年半前とか。だとすると、もう二十歳になっている。
ほんと、世の中にはよく似たヒトがいるもんだ。気にしない、気にしない。そう思えば、薄気味悪さも次第に和らいでくる。
そうこうするうちに、タクシーは首都高を降りてしばらく走ったあと、田園調布の住宅街へ。このあたりは都内でも屈指の高級住宅街だし、星子がすんでいる下町とはまるで雰囲気が違う。バカでかい邸宅が、整然と小高い丘に並んでいる。
じきに、タクシーは三階建の低層マンションのエントランスに横付けされた。
「す、すごーぃ!」
思わず声が出るほどの、高級感あふれるマンションだ。宙太一家、こんなゴージャスな所に住んでいるとは。
星子が見とれていると、いつの間にか目を覚ました星丸と宙美、
「パパ、おうちのキイ、かして」
「はやくぅ」
二人にせかされた宙太、ポケットからキイを取り出して星丸に手渡した。すると、星丸と宙美、パッとタクシーの外へ飛び出した。
「あ、待てよ。パパもすぐいくから」
「いいのいいの、先にいってるよっ」
そういって、オートロックのドアを開け、星丸と宙美、ホールの中へ走った。
「危ないぞ、走るんじゃない! まったく、しょうがないな!」
宙太、あわててあとを追った。
ふふっ、宙太さんってパパぶりがぴったり身についているじゃん。
星子が苦笑しながらあとについていくと、宙太、奥の部屋のドアの前に立った。
表札には、『美空』と書いてある。ここが、宙太一家の部屋らしい。
宙太、ドアを開けると、星子を促した。
「さ、どうぞ」
「ええ……」
星子といえども、他人の家に入る時は、さすがに遠慮気味になってしまう。
それこそ、おずおずといった感じで入った瞬間だった。
星子の前に、星丸と宙美がパッと立ち塞がった。
「星丸、宙美、どうした?」
宙太がけげんそうに見ると、星丸と宙美、にっこりと顔を見合ってうなずいたあと、サッと薔薇の花を一輪ずつ星子に差し出した。星丸は白薔薇、宙美は紅薔薇だ。
「こ、これ、わたしに?」
「うん」
うなずいたあと、二人は声をそろえていった。
「セーノ! おかえりママ!」
「おかえりママ!」
嬉しさがはじけるような、大きな声だ。
「おいおい、おどろくじゃないか」
宙太がたしなめると、
「ごめんなさい、でも、きめてたの」
「きめていた?」
「うん、ママがかえってきたらね、ママがだいすきなバラの花をプレゼントしてさ、おむかえしようって」
星丸と宙美、うっすら涙目になりながらいった。
「そうか、そうだったのか」
宙太、鼻をすすりながら、たれ目をしばたいた。ほんとにつらい思いをさせたな、って思っているようだ。
「……」
星子も、鼻がつーんとなった。白薔薇も紅薔薇もすっごくきれい。こんなにきれいな薔薇の花、見たことがない。
「ありがと……」
星子、薔薇の花を受け取ると、強く二人を抱きしめた。
「……ただいま……」
(つづく)
(プチ予告編です)
二泊三日でママ役を演じる星子。ハッピィだった宙太一家の想い出がしみこんだ家で、どう演じるのか。そんな星子の前に、春之介、マサル、ゲンジロウ、小次郎、左京圭一たちが続々と登場、さらに、宙太の母親や彩香、リツ子、亜里抄までもが。
そんな騒ぎの中で、謎の電話や様子をうかがう影が……ホンモノの星子ママか、それとも、あの右京なのか……。
それに、そもそも、星子と星子ママはどういうカンケイなのか。
謎が謎を呼ぶ、笑いと涙、感動のホームドラマだぁ!
なんて、うまくいくんですかね。ホームドラマは苦手なはずなのに。
タスケテ!
追記 今日から十月。秋空がとても恋しいですが、当分はダメなようで。とにかく、第二部をスタートさせました。まだ暗中模索といったところもありまして、ご迷惑かけるかもしれませんがよろしくです。それと、今後の展開へのアドバイス、いろいろと頂いて助かります。有難う。
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4
「……」
キス、星子にとってはじめてのキス。
子供の頃から、キスにはそれなりに興味があった。
あたりまえでしょっ。
映画やテレビドラマなんかで、愛し合う恋人同士がキスするシーンを見て、
<フン、いちゃいちゃするんじゃないよ、フケツ!>
なんていいながら、心の中では、
<ああ、わたしも、いつか愛する人に巡り合い、熱いファーストキスをするんだろうな>って、胸をどぎまぎさせながら、憧れていたわけ。
それが、いきなり、こんなふうにバッチリときめられてしまうなんて。それもですよ、相手は、恋人でも何でもない宙太とかいう男からね。
ジョウダンじゃないよォ。
星子、あわてて顔をそむけようとした。でも、重ねられた宙太の唇から、やわらかくて、あたたかい、甘い感じの感触が伝わってきて、まるで魔法にかけられたように体が動けなくなった。
「……」
どれくらいたったか、ふっと宙太の唇が星子の唇から離れた。
――んもぅ、もうちょっとこのままでいたかったのに……。
星子のボーッとなった頭の中で、キラキラと光る靄のようなものが回っている。なんだか、夢の世界を漂っている感じだった。
すると、
「わーい、パパとママがチュゥしたよ」
「これで、もう、なかなおりだね」
星丸と宙美のはしゃぐ声に、星子、どうにか現実に戻された。嬉しそうな二人の顔が、星子と宙太を見つめている。
それこそ、心底嬉しいって顔だ。こんなにかわいい笑顔って見たことない。
くわしい事情は知らないけれど、パパとママのことで、二人は幼い心を痛めていたに違いない。星子だって、幼い頃、父と母が夫婦喧嘩した時――ま、滅多になかったけど……それでも、ずいぶんと心配したものだった。もしかして、ケンカの原因はわたしにあるんじゃないか、わたしのせいじゃないかって、あれこれ考えたものだった。
でも、星丸と宙美の二人の心の傷は星子の比じゃない。なんせ、ママがいなくなってしまったんだ。一番ママが欲しい時にママがいないなんて、そんなつらいことがこの世に、ううん、絶対にあってはいけないことなんだ。それだけに、二人にはパパとママがキスしたことで、いっぺんに不安と心配が吹き飛んだような気分になったに違いなかった。
でも、わたし、あなたたちのママじゃない。ただのソックリサン。
あなたたちのパパも、そのソックリサンにキスをした。愛する人と間違えて。
いくら勘違いとはいえ、キスまでするとは何事よっ。許せないっていうか……そりゃ、夢見心地とやらにさせてはくれたけど……キスっていいもんよねって……バカバカ、絶対に許せないったらっ。
そう自分にいい聞かせて、キリリッと宙太を睨みつけた。
「?……」
ん、ちょっとヘン。宙太さんの顔、さっきとはまるで違っている。
顔色は真っ青、目は大きく見開き、焦点を失ったように瞬き一つしない。今さっきキスした形のいい唇は、かすかにふるえて、口も半分開いたままだ。まさに、茫然自失といった感じだった。
もしかして、わたしとのキスで、ものすごくシビれたとか。
すっごーい、わたしって、オトコをとりこにする魔性のオンナかもね。
なんて、思うわけないでしょ。
とにかく、いったい、どうしたんだろ、と、思っていると、宙太、やっと正気に戻った感じで、
「ご、ごめん」
かすれた声でいうと、頭を下げた。
「はい?」
なんで、あやまるわけ?
「あまりにそっくりだったんで、君が……」
宙太、目を伏せたまま、ハンカチを取り出して顔の汗をぬぐった。
「そっくり?」
「ほんとに、申し訳ない。つい、間違えてしまって……」
「んじゃ?」
どうやら、人違いだってことがわかったようだ。星子、ホッとなった。
「よかった、で、どうしてわかったんですか?」
「どうしてって、つまり、その……ちょっとおかしいな、と、思いはじめてね、君と話しているうちに……それで、ま、思い切って試してみたんだ」
「試すって?」
「う、うん……」
宙太、申し訳なさそうに、唇を指先でそっと叩いた。
「あっ」
そうか、さっきのキス、わたしが本物かどうか確かめるためだったのね。
ひどい!
星子、キッと睨みつけた。
試すためにキスなんか。そんなのいやっ。侮辱よッ。
引っ叩いてやる!
思わず手を上げようとしたけど、けげんそうに見ている星丸と宙美に気づいて、なんとか、思いとどまり、深呼吸。
ま、考えてみれば、宙太さんもそこまで迷っていたってことね。だけど、キスで確かめるなんて。本物の星子オクサマとのキスとは、どう違っていたわけ?
ね、教えて。どこが違っていたんですか!
ほんとは、力づくでも聞き出したいところですけどね、ま、やめておきますか。
ま、なんだかんだいっても、わたしには、ステキなファーストキスだった。それだけでも、良しとしよう。なんて、ちょっとおかしかな。
どうにか自分を納得させた星子に、宙太、あらためて頭を下げると、
「ほんと、ごめん。申し訳なかった。なんていくら謝っても、許しては貰えそうもないな。もう、サイアク! くそっ、どうなってんだ!」
なんとも悲しそうな泣きべそ顔で、溜息をつき、肩を落とした。
この人、心底からわたしに詫びている。居直ったり、カッコつけたり、ごまかしたり、そういうことが出来ない、とても誠実な男なんだ。ただただ、一生懸命、行方不明の星子ママを探しているんだ。二人の子供たちのために、そして、自分のために。
もし、この長崎で星子に会わなかったら、こんなにつらい思いはしないですんだのに。そう、宙太だけじゃない、二人の子供たちだって、人違いと分かればどんなに悲しい思いをすることだろう。
会わなければよかった、そう、会わなければよかったんだ。
そう思っているうちに、星子、胸がいっぱいになってきた。
「……ごめんなさい……」
「ん? なにが?」
けげんそうに見た宙太に、星子、頭を下げた。
「わたしが、いけなかったんです。長崎にこなければ、わたしが……ほんとみ、ごめんなさいっ」
「君っ」
宙太、しみじみと星子を見つめた。
「そういうとこ、妙に素直になってしまうところが星子さんにそっくり……あ、どうも……」
苦笑いしながら、鼻をすすると、
「大丈夫、僕のことなら心配ないよ。こう見えても、打たれ強いんでね。ふふふっ。それと、子供達にはうまくいっておくから」
「でも……」
「心配ないって、ほんとほんと」
笑顔をつくると、宙太、星丸と宙美のほうへ戻った。
「さぁ、星丸、宙美、いこうか。パパ、もう腹ペコだよ」
「ママは?」
「あ、うん、まだ御用がすんでいないんで、あとからくるってさ」
「ほんとに?」
「うん、もちろん。さ、いこ、早く」
宙太、二人の腕を掴んで歩きかけた。すると、星丸が宙太の手を強く払いのけた。
「ボク、いかないよっ」
「星丸」
「ママは、こないんだ。もう会えないんだ、きっとね!」
「そんなことないって。じきに、会えるからさ」
「ウソだ! パパのうそつき! ママはぼくたちがきらいなんだ。きらいなんだよ!」
そう叫ぶと、星丸、ワーンと泣きだした。
「星丸っ……」
宙太、困ったように溜息をついた。
星丸クン、わかっているらしい。宙美チャンだって同じだろう。いくらごまかそうとしても、二人には通じないようだ。星子、つらくて顔をそむけた。
すると、宙美がいった。
「お兄ちゃんのよわむし! あまえんぼう!」
「なんだと!」
「だって、ママ、ママっていってばっかり。なさけないの!」
「こいつ! いったな!」
星丸、宙美に掴みかかった。
「よせ!よさないか!」
宙太、懸命に星丸を制止した。
「宙美、お兄ちゃんにそんなこというんじゃない。いいかい」
「だって、ほんとによわむしなんだもん」
「宙美っ」
「じゃ、おまえ、へいきなのかよ。ママともう二度とあえなくなっても、へいきかい!」
「そんなことないよ! ママとは、じきにまたあえるわ。きっと、ね!」
「あえるもんか! ぜったいに、あえないよ!」
「バカバカ! おにいちゃんのバカ!」
今度は、宙美が猛然と星丸に掴みかかった。
「や、やめろ! 二人とも、やめろったら!」
いくら宙太が止めようとしても、ダメだ。星丸も宙美も泣きながら相手に殴りかかり、とても収まりそうもない。
「……」
……もう、ダメ……。
とても、見ていられない。星子、はじかれたように走っていった。
「待って! 待ってったら! いいわ、一緒にいくわ。ママも一緒にいくから!」
「ママ?」
宙太、びっくりした顔で星子を見た。
「!……」
いったご本人星子も、ハッと口を押さえた。
まさか、自分の口からママという言葉が飛び出すなんて。でも、取り消そうとは思わなかった。もう一度、星子はきっぱりといった。
「ええ、そうよ、ママも一緒にいきます。それでいいわね?」
(第一部・おわり)
追記 今までのパート、第一部とします。とんでる星子さん、ちょっと跳び過ぎたかもね。どうなっても知りませんぞ。ということで、第二部は、はたしてどういう騒ぎになりますやら。十月はじめまでお待ちください。
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3
「……右京……さん?」
聞いたこともない名前だ。首をかしげた星子に、宙太、
「君が、そのォ、この長崎にきたのも、つまり、右京君に逢うためなんだよね?」
と、気を使う感じでいった。なんか、すごく事情がありそうな感じだ。
「で、どうだった?」
「どうって……わたしの知り合いには、右京って名前の人は……」
「星子さん」
宙太、一瞬とがめるように星子の目を見据えたが、じきに、首を振った。
「あ、いや、いいんだ。触れたくない気持ちはよくわかるしさ」
「……」
「じつはね、僕も彼のことが気になってさ、ずっとさがしていたんだ。星子さんを取ったりしたら、ただじゃおかないって……」
「!……」
右京さんって、そういう存在なわけ。ドッキリだ。
「おっと、今のは冗談、いや、本気かな」
宙太、ちょっと照れたように笑った。
かわいいっ。とても、二人の子持ちのパパには見えない。
思わずそういいたくなるような、シャイな笑顔だ。でも、笑顔の裏には深刻な事情が、つまり、星子と同名の奥さんの……フリン?……。
いやだ、そういうフケツな言葉は使いたくないっ。いくら、今の世の中、当り前みたいなことになっているけど、少なくともワタクシ星子は絶対に拒否しますっ。
それはともかく、宙太、真顔に戻ると、
「右京君、なにしろ、あの体だろ、いつ悪くなるかわからないしさ……僕にとっても、大事な男だし、ほっておけないわけ」
右京って人、病気かなんからしい。
「噂だと、パリとかロンドンとか、ウイーンやザルツブルクとか、ヨーロッパのあちこちでレッスンを受けながら旅していたそうだけど……カレ、国際弁護士の資格の他に、そんなすごい才能があったとはね。星子さん、知ってたわけ?」
「え?」
「ほら、ピアノのことさ」
「ピアノ?」
「右京君って、子供の頃は神童って呼ばれるほどの天才ピアニストだったんだ。でも、指を痛めて挫折したとか。ところが、再びピアノにチャレンジしたってわけ。ヨーロッパへ行ったのも、そのためらしいよ」
「……」
「でも、どうしてそんな無理をするのかな、命をちじめるようなものなのに……」
「……」
右京って人、すごくひたむきなんだ。まだ会ったことないけど、ひかれるところがあるよね。
そんなこと考えていると、
「星子さん、君……」
宙太、ちょっとけげんそうに星子の顔を見つめた。
「ほんとに知らないのかい、今の話。あれからもう二年近くたつし、当然、わかっていると思っていたけど……」
「だから、わたし……」
「ん?」
「はじめにいたでしょ。わたしは……」
星子がいいかけた時、宙美が宙太を押しのけるようにして、間に入った。
「ずるい、パパ。一人でママとおはなしして」
「そうだよ、ずるいよ、パパ」
星丸も、唇をとがらせた。
「あ、ごめん、ごめん」
宙太、大きく腕を広げると二人を抱きしめた。
「そうだよな、パパだけのママじゃない、二人のママだもんな」
「そういうこと」
「こいつ」
宙太も星丸も宙美も、笑った。とても幸せそうな笑顔だった。
星子ママのいない間、宙太パパが一生懸命に星丸クンと宙美チャンを育ててきたんだな、って。きっと、そうなんだ。
「さてと、お腹もすいたし、近くでおいしいものでも食べようか。何がいい? 皿うどんか、チャンポンか、それとも、ハンバーガーかな」
「ぼく、たべたくない」
「あたしも」
星丸と宙美、首を振った。
「それより、早くママとおうちへかえろ」
「うん、ママとおうちへかえる」
「かえろうよ、ママ」
「かえろ、ママ」
星子の腕を掴むと、二人は一生懸命に引っ張った。
「ちょ、ちょっと、待って、お願い」
星子、助けを求めるように宙太を見た。
「わたし、違うんです。そうじゃないんです!」
「ん?」
「わ、わたし……わたしは……」
そう、はっきりといってやったほうがいい。顔はそっくりで名前も同じかもしれないけど、私は別人なんだ。今から、この長崎でいい恋さがしの一人旅をはじめるところだし、邪魔しないで。他人の家庭の事情にどうか巻きこまないで欲しい。
わたし、カンケイないのよ! いい加減にして!
そう叫んで、星子、二人の手を振り払い、走り出した。
――と思ったけど、ためらってしまう。だって、星丸も宙美も星子の手をしっかりと握りしめ、離そうとしない。二人の手のぬくもりが星子の手のひらにやさしく伝わってきて、振り払うことが出来ないのだ。
「……」
どうしたらいいの、どうしたら……。
私をママだと信じ切っている二人のきれいな瞳が、すごくせつない。
二人が背負ったリュックの中のゴンベエ、ママとの再会を招く守り猫だといった。
そうよ、しあわせ招き猫よ。
それなのに、もし、わたしがいってしまったら、二人はどんなにつらくて悲しい思いをすることだろう。
そんな罪作りなことが、わたしに出来る?
出来るわけ?
どうなの、星子!
星子ったら!
「……」
急に熱いものが、胸の奥から吹き上がってきた。
ダメ、泣いてはダメっ。
でも、涙があふれてとまらない。肩が小刻みにふるえて、嗚咽が声になりそうだ。
とうとう我慢できなくて、星子、声をあげて泣き出そうとした。
その瞬間だった。
宙太の腕が星子をやさしく抱きよせたと思うと、星子のふるえる唇に宙太の唇が重なった。
「!……」
(つづく)
追記 猛暑もやっと終わりのようですね。おかえりなさい秋さん。今年も紅葉を楽しませて貰います。
そうそう、おかえりなさい、っていえば、昨日のテレビのニュースでとても素敵な「おかえりなさい」をいわれている人がいましたね。僕からも、いわせて下さい。
「おかえりなさい」
おかえりママ星子のほうは、この先、どういうことになるのか、見つめてやるしかなさそうです。
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おかえりママに薔薇のキス
1
「ふーん、長崎ですかぁ」
エキゾチック・シティNAGASAKI。異国情緒あふれる港町、悲しい恋のオペラ「蝶蝶夫人」の舞台・ナガサキ。あの竜馬サマが大活躍した幕末維新の街・長崎。そして、チャンポンと皿うどん、しっぽくの街・ナガサキ。
「うーん、恋の予感!」
チャンポンや皿うどんなんかと恋の予感が一緒になるなんて、いかにも、星子らしい。
そう、カノジョの名前は、流星子。東京の某女子高二年生。素敵な恋を探して、はじめての一人旅、着いた駅が長崎本線の終着駅・長崎だった。
長崎新幹線が開通するまでには、まだ時間がかかりそうだけど、東京を朝早い新幹線に乗って博多まで。特急・白いかもめに乗り換えて、合計約七時間半。飛行機にくらべて時間はかかるけど、高まる恋の期待度を味わうには、なんたって列車の旅がイチバンですっ。
あ、もちろん、パパやママには、いい恋さがしに一人旅してきます、なんて、いうわけないでしょ。
「リツ子んちの熱海の別荘で、一緒にオベンキョウしてきまぁす」
リツ子っていうのは、秀才で超リッチな同級生。一応友達ってことになっているけど、ま、都合よく利用し合う仲ってとこかな。
え? 一人旅、危険じゃないかって?
ご心配なく、頼りになるボディガード、ドラ猫のゴンベエが守ってくれる。今も星子が背中に背負ったリュックの中でしっかりと、っていいたいけど、鼾が聞こえてくるみたい。
こういう時は、「さてっと、長崎のおいしいハンバーガーでも食べに行こうかなっと」
そうつぶやいたとたん、「フニャーゴ」
ゴンベエ、リュックから首を出して舌舐めずりした。なんとも、ゲンキンなヤツ。
ま、こっちも丁度お腹がすいてきたところだし、いい恋さがしの前に腹ごしらえといきますか。
星子、弾むような足取りで改札口を通り抜けた。
その時、背後で「ママ」と叫ぶ女の子の声が聞こえた。
可愛い声じゃん。ちいちゃい子がお母さんを呼んでいるのかな。
それ以上、気にも留めずに歩きかけると、再び、星子の背後で、
「ママ!」
「ママっ」
さっきより、もっと大きな声で、それも、女の子と男の子の声が聞こえてきた。
お母さんを呼んでいるのは、二人の子供みたいだ。それも、声の感じは泣き叫ぶような感じだった。
どうかしたのかな。星子がちょっと気になって振り向こうとしたとたん、右の腕に女の子が「ママ!」と叫びながらとびついてきた。
ほとんど同時に、今度は左の腕に男の子が「ママ!」と大きな声で叫びながら飛びついた。
「ちょ、ちょっと!」
星子、よろけながらも、なんとか、足を踏ん張って体を支えた。二人とも、まだ、三歳か四歳ぐらいの幼い子供だ。ペアのジーンズにオシャレな帽子をかぶり、背中にはかわいいリュックを背負っている。
「ま、待って。人違いよ。わたし、あなた達のママじゃないから……」
星子、困った顔で二人の手を離そうとした。でも、男の子も女の子もしっかりと星子の腕にしがみついたまま離そうとしない。それどころか、
「ママ! ママぁ!」
「ママ!」
そう叫びながら、ワァワァ泣き出した。星子のシャツはたちまち二人の涙でぐっしょりだ。
「ね、ちょ、ちょっと……困ったな、どうなってんの、ったくぅ……」
まったく、感違いもいいとこだ。まだ高校生なのに、母親と間違えられるなんて、サイアクじゃん。
星子が顔をしかめた時だ。一人の男がこっちへ向かって走ってきた。ジーンズ姿で背中には大きなリュックを背負っている。二十代半ばくらいの、それなりにカッコいい男の人だった。
「あ、すんません! 申し訳ない!」
男の人、謝りながら、男の子と女の子にいった。
「しょうがないな、人違いだよ! ご迷惑じゃないか。さ、手を離して。星丸、宙美……」
どうやら、男の子は星丸、女の子は宙美っていう名前らしい。
「さぁ、早く手を離すんだよ。早くっ」
男の人がいくらいっても、二人は星子の腕をしっかりと掴み、泣きながら叫んだ。
「やだやだ! ママだよ! ママだったら!」
「ママぁ!」
「まいったな、もう」
男の人、溜息をつきながら顔を星子に向けた。ちょっとたれ目の人なつこそうな顔立ちだ。ま、一応、美形といっておきますか。
「すいません、ほんとに。二人とも、あなたを母親と勘違いしているみたいで……どういうことかな、まったく……」
ふいに、男の人、まじまじと星子を見詰めた。
「あっ」
次の瞬間、その顔がまるでストップモーションのようにこわばり動かなくなった。みるみる血の気が引いて、茫然自失といった感じだ。
ど、どうしちゃったんだろ。
星子が唖然と見ていると、男の人の目から涙がチラッと、じきに、あふれた涙が頬へ流れ始めた。
「……星子……星子さん……」
「え?」
この人、なんで私の名前を知っているわけ。
きょとんとなった星子に、男はポロポロと泣きながら、声をふるわせた。
「……僕だよ、宙太だよっ……」
2
「チュ、チュウタ?」
星子、きょとんと相手の顔を見つめた。
「そうだよ、宙太だったら」
男は、涙を手の甲で拭いながら、微笑んで見せた。
「ほら、宇宙の宙に太いと書く。チュウチュウねずみのチュウじゃないよ」
泣いてるくせに、おかしないい方をする男だ。
星子、思わずクスッとなりかけて、あわてて息を飲み込んだ。とても、そんな状況じゃなさそうだ。相変わらず男の子と女の子は――星丸と宙美っていったっけ――星子の腕にしがみつき、「ママ、ママ」って呼びながら泣きじゃくっている。力一杯しがみつかれて、腕が痛いくらいだった。
「あ、あの、ごめんなさい、わたし……」
星子、なんとか、気持ちを落ち着かせながらいった。
「人違いじゃ……ええ、違いますから……」
「そんなことないって。キミは、星子さん、僕のハニィ……」
「ハニィ?」
「つまり、奥さんってことさ」
「お、お、オクサン!」
星子、のけぞりかけた。
「わたしが、奥さん? そ、そ、そんなぁ、わたし、高校生ですけどォ……」
「うん、高校生の時、僕と結婚したわけだよね」
「違う、違う、現役です、高校二年、まっさかりです!」
それこそ、懸命にいったけど、宙太、首を振ると、悲しそうにいった。
「そうか、やっぱり、気にしてるわけか」
「え?」
「だから、そうやって人違いのふりをしているんだよね」
「いいえ、ホントに、人違いなんですっ」
「そりゃそうだよね、わかるよ、ハニィの気持ち。事情が事情だしさ」
「事情?」
「ま、いいから。責めたりしないから」
「責める?」
なんだか、さっぱり、わからない。
「でも、ほんとに良かった、長崎に来てさ。これで三度目だよ、ハニィがいなくなってからさがしにきたのは……な、星丸、宙美、パパがいった通りだろ、ママはきっと長崎にくる、だから、あきらめないで頑張ろうって……」
「うん、そういったね、パパ」
星丸、涙をごしごしとぬぐいながらいった。宙美も、泣きながら声を震わせた。
「……うん、いたね、ママ……やっぱり……」
そういうと、星子に激しく泣きすがった。
「ママ、いやっ、もう、いっちゃいやだ! いかないで、どこにも! ママ!」
「バカ、いくわけないだろ!」
星丸、怒った顔で宙美にいったあと、星子を泣き顔で見上げた。
「いくわけないさ、ね、ママ。そうだよね!」
「……」
なんか、カンケイないけど、こっちまで貰い泣きしそう。星子、クシュンと鼻をすすった。
「さ、さ、星丸、宙美、大丈夫、ママだってちゃんとわかってくれるから……心配ない、心配ないよ」
宙太になだめられた星丸と宙美、ホッとしたように星子から離れた。でも、二人とも、星子の腕を掴んだままだ。
――まいったな、もう……。
星子、吐息をついた。すると、リュックの中からゴンベエが顔を出して、フニャーゴと鳴いた。
「あ、ゴンベエだっ」
「ゴンベエ!」
星丸と宙美、パッと顔をかがやかせると、嬉しそうに叫んだ。
この子たち、ゴンベエのこと、知っている。
宙太も、たれ目を細めて、
「よぅ、ゴンベエ、元気してたかい。相変わらず、ハンバーガーの食い過ぎって顔してるな」
笑いながら、ゴンベエのおでこを指で軽く突いた。
「あっ、ダメよッ」
星子、あわてて止めた。知らない人がそんなことしたら引っ掻かれるからだ。ところが、ゴンベエ、気持ち良さそうに鼻毛をひくひくさせただけ。
星子が唖然と見ていると、宙太、
「ゴンベエっていえば、星丸や宙美も連れて歩いているんだぜ」
「え?」
宙太、二人が背負った可愛いリュックを開けて、中からゴンベエに良く似た猫の縫いぐるみを取り出した。
「じつは、僕もさ」
照れたように笑いながら自分のリュックを降ろし、中からお揃いの猫の縫いぐるみを取り出した。
「この縫いぐるみを連れていればママと会えるよって、二人がいうからさ。つまり、招き猫ってことかな。まさに、その通りになったわけだ。よかったな、星丸、宙美」
「うん!」
星丸も宙美も、嬉しそうにうなづいた。
「!……」
なんだか、もう、わけがわからない。この世に名前や飼い猫まで同じ星子のそっくりさんがいて、宙太と結婚して二人の子供を産み育てたなんて。そんなことって、あるのだろうか。
しかも、その人、こんなに可愛い子供たちやステキなダンナさまを置いて、家出したらしい。なぜ、そんなことをしたわけ。なぜ……。
そう思っていると、星丸と宙美が星子の腕を引っ張って、
「ママ、おうちにかえろう」
「かえろうよ、ママ」
と、いった。
「え? で、でも……」
星子が戸惑っていると、
「ちょっと、お待ち。ママにも御用があるかもしれないからね」
そういって、宙太、二人の手を星子から離し、間に立ちふさがるようにして、星子と向かい合った。
「で、星子さん……」
「え?」
「うん……」
宙太、咳払いをしたあとで、小声でいった。
「……右京君……逢えたのかい?」
(つづく)
追記 題名変更で再開しました。そのため、一部、前回とダブっていますので、よろしくです。この先、どういう展開になるのか、正直読めません。苦労しそうですが、楽しみでもあります。
またぞろ、残暑ですね。やれやれです。ご自愛下さい。
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