『最近、つくづく思うけれど・・・』
弱い男が増えたと思いませんか?
何ヶ月か前だけど地下鉄で
女の子にふられた男が人前で泣いていた。
『俺が悪いところあるんやったら、直すから頼むから考えなおしてくれよ!』
ってそこそこの歳の男が懇願していたのを見た瞬間、呆れてものも言えんかった。
『ミナミ行ってみい、なんぼでも女の子おるがなっ!』
『20〜30人に声掛ける根性があれば一人や二人くらい引っ掛かるで!』
と思ってしまう。
それに『NO』ってハッキリと言えなくなった男が多い。
ただ、僕は何でも『YES』と答えれば良いという問題じゃないとは思うけれど、
たとえば、心が完全に『NO』なのに、それを表明しないのはダメだと思うよね。
僕は『NO』は拒絶ではなくて、自らの選択の結果を相手に伝えているだけだと思う。
『だから嫌なものは嫌っ!』 『ダメなものはダメっ!』ってハッキリと言わなきゃ
自分という人間がどんどん弱く、情けなくなり、自らの立場もどんどん弱くなってくる。
それにズルさを持った人間は、
そういった弱さを求めてやってくるものだ!
皆さん、周りを見回してみて下さい!
必ず弱い人間の周りにはズルい人間が集まっている筈!
弱い男が増えた理由として、『NO』と言えないことにあると思います。
次に権威のある人の意見や肩書きのある人の話を
事実として簡単に認識してしまう。
人の意見やある種の話しって、その意見が事実とは違うかも知れないし、
もしそれが事実としても、真実とは違うかも知れない。
伝言ゲームって聞いたことがあると思いますが、
ある出来事を最初の人が見て、次の人に伝えます。
で、次の人は目隠しをしているので、自分の目である出来事は見ていない訳です。
出来事を見た最初の人に聞いたことを、また次の人に伝えていきます。
それを何人も何人も聞いては伝えるということを繰り返していくと、
最後の人が言ったことと最初の人が言ったこととは大きくかけ離れていることが多い。
これが伝言ゲームと言うのですが、現実世界もこれと同じで、
人は出来事をありのままに見ているようで、実は自分が見たいように見ているのです。
悲観的な人は出来事や物事の悲観的な部分を見ているし、
反対に楽観的な人は、一般的には辛く悲しい出来事であったとしても、
その中から気づきや学び、あるいは『人間万事塞翁が馬』の如き、
動じない能天気な一面を持っていたりする。
つまり人は出来事や物事を自らの主観でみて判断していると言うこと!
そしてその背景にはその人ならではの正当性があると言うこと!
すると唯一真実を知りたければ、人の目と頭と心を通さずに、
自らの行動によって知ることが大切ではないかと思う!
自らが率先して道を切り開き真実を見つけるといった気概と気迫が強い男をつくる。
最後に自分に甘く弱い男は目標があっても、目の前に壁が立ちはだかると
直ぐ諦めてしまったり、その場から逃げようと考えてしまうから
人間が何時まで経っても強くならない!
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