夜半亭(YAHANTEI)のブログ

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茅舎の風景(その七)

茅舎の風景(その七)
 
日光山志
 
   一
 
雪山を冠りつららの峡は裂け
大谷川たぎち逆立つつららかな
日の渡る天の岫(みね)にもつらら照り
青淵に岩根のつらら沈み垂り
雪山の底に方等般若落つ
雪山の谺金輪際を這ふ
白雲の如くに氷るきりぎしや
巌頭や兎の如き雪一握
 
   二
 
この冬を黙さず華厳水豊か
わが心氷る華厳を慕ひ来ぬ
絶壁につららは淵の色をなす
紺青のつらら打ち落つ華厳かな
紺青のつららひねもす見れど飽かじ
瑠璃光の瑠璃よりあおきつららかな
このつらら華厳に打たれかく育ち
瀧壺へ雪蹴つてわれ足駄がけ
瀧壺のつらら八寒地獄之図
 
   三
 
雪深く勝道上人斧ふりしか
雪の堂尊きこれの斧を蔵し
斧冴えて立木を作佛したまへり
斧は冴え立木はこれの観世音
雪の中膏(あぶら)の如き泉かな
雪の中金剛水を汲む乙女
スキーの娘中禅寺湖を眼に堪へ
 
   四
 
神橋の下寒の水あおかつし
凧一つ上りて今朝の含満ヶ淵
杉並木雪山透きて有難し
雪山の麓のポスト尊くて
日光の娘等の晴着に雪さらさら
眠る山廟の極彩打守り
眠る山陽明門をひらきけり
冬山の廟の極彩不言(ものいわず)
 
※晩年、多くの俳句作品を改造社の「俳句研究」に寄せた。昭和十四年「俳句研究」第六巻第二号所載 (『現代俳句文学全集四・川端茅舎集』)
 
 『川端茅舎(石原八束)』が、「凄愴の気合いをこめた華厳の実相のすさまじい迫力は茅舎一代の作として清浄の位相に高く坐る」と絶賛する「日光山志」と題する五十句のうちの三十二句である。
 これらの句は、茅舎の生涯に置いて、既に病床の身でありながら、最も華やいだ、亡くなる二年前の、昭和十四年(一九三九)の、その元旦の、「日光華厳の滝行(即日帰京)」でのものである。
 この年、茅舎の第二句集『華厳』(五月刊)が刊行されるが、この「花鳥諷詠真骨頂漢」との、高浜虚子の「序」を有する『華厳』には、これら句のうちの、「ホトトギス」にも投句した、次の二句しか収録はされていない。
 
  大華厳瑠璃光つらら打のべし
  絶壁につららは淵の色をなす
 
 茅舎没後、昭和二十一年(一九四六)九月に異母兄の龍子が刊行した『定本川端茅舎句集』(昭和二十一年刊)は、『華厳』と同様、全句が虚子選であるが、ここには、五十句のうちで、三十六句が入集している。
 そもそも、虚子は、水原秋桜子らの「連作俳句」というのは否定的立場で、茅舎自身、「自句自解」などで、「連作のことは此処で一寸一口に論じられいが他の人達のことは暫く置いて、自分自身には自然発生的な場合にばかり肯定するやうな態度」(『現代俳句文学全集()川端茅舎集』)ということで、これらの作品群についても、「連作作品」とは銘は打ってはいないが、同時の作品で、秋桜子らが意図していた、「一句では表現できない内容を連作として効果を挙げる表現形式」とは別な、「日光山志五十句」として、やはり、「連作的大作」として、ひとまとまりの作品群として鑑賞むされるべきものなのであろう。
 『定本川端茅舎句集』では、「『俳句研究』より」として、「日光山志三十六句」として、虚子は再選している(この編集は虚子・龍子の信任の厚い「ホトトギス」の有力俳人・深川正一郎がしており、氏の意向によるものなのかも知れない)。
 このような「連作作品」の否定とか肯定とかは別に置いて、一群の大作作品は、やはり、ひとまとまりの一群として、句集などに置いては編纂されるべきものなのであろう。
 ここに掲載したものは、『現代俳句文学全集()川端茅舎集』からのものであるが、この編纂も、深川正一郎が編集しており、それは「一月から十二月」に区分して、「句・評論・日記・俳諧詩・随筆」と、実に見応えのある、名編纂の書という思いがする。
 
(華厳の滝での茅舎・昭和十四年)
 
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