夜半亭(YAHANTEI)のブログ

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五〇 釣り竿をしならせる海夏近し
 
 「追悼・清水昶」(「現代詩手帖」平成二十三年十一月号所収)の「追悼座談会」(清水哲男・井川博年・八木幹夫)で、清水昶は「趣味のないひと」だったというとが述べられている。「釣りができるとかそういうのがあればいいんだけど、スポーツなんかまったく駄目でしょう。将棋や碁ももちろん駄目」(井川博年)と、掲出句の「釣り竿をしならせる」というのも、実景などを背景にしたものではなく、やはり想像上でのものなのであろう。
 この想像上でのものということは、実兄の清水哲男の言葉ですると「シチュエーション」(「筋を展開させるために設定された状況」など)の創作というとで、この掲出句の「釣り竿・海・夏」も、その「シチュエーション」の道具立てに終始しているという感じが歪めないのである。
 このシチュエーションの創作ということになると、寺山修司などが思い起こされてくるが、清水昶は間違いなく寺山修司などに近い世界での創作活動であったということを実感する。この掲出句なども、やはり寺山修司的な道具立ての世界で、寺山修司の場合は、その道具立てに、その道具立ての主人公のような、寺山修司その人の影がちらついてくるが、清水昶の場合、その道具立ての、その主人公の清水昶の影というのは、漠として見えてこない。
 
夏井戸や故郷の少女は海知らず     (寺山修司)
草餅や故郷出し友の噂もなし       (同上)
わが夏帽どこまで転べども故郷      (同上)
にわかに望郷葱をスケッチブックに画き  (同上)
沖もわが故郷ぞ小鳥湧き立つは      (同上)
 
 上記は、寺山修司の『花粉航海』のものであるが、これらの寺山修司の「シチュエーション」の句に比して、清水昶の「シチュエーション」の句は、余りにも平凡過ぎるという感は歪めない。清水昶の「シチュエーション」の詩は、寺山修司の「シチュエーション」の詩に比して、決して見劣りはしないが、五七五の十七字という極めて狭小の世界では、やはり、「言葉の錬金術詩」として定評のある寺山修司に比して、どうにも見劣りの感大なのである。
 
《ホントより、ウソの方が人間的真実である、というのが私の人生論である。なぜならホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは、決して存在しないからである。》(寺山修司『さかさま世界史』より)
 
 上記は、寺山修司の名言であるが、その名言からすると、「寺山修司の、ウソに徹した俳句に比して、清水昶の句は、ウソに徹し切れていないで、『人間なし』のホントのような装いをしている」というようなとであろうか。
 
ここで一つ気がついたことは、寺山修司も清水昶も、「故郷・望郷・郷愁」というとを常に胸中に抱いていたということと、清水昶が詩の世界と決別して俳句の世界に入り、インターネットの世界で、「俳句航海日誌」というネーミングで、亡くなるまで発信し続けたのは、寺山修司句集の「花粉航海」などが、清水昶の胸中にあったのではなかろうか・・・、とそんな思いが去来するのである。
 
 
 

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