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五五 お寺の子葱坊主と遊びたきや
「お寺の子」と「葱坊主」との「取り合わせ」も、それほど意表を付くものではない。それ以上に、この下五の「や」切りが、やや不自然な感じを受けるのは、普通には、「や」切りは、「上五」の名詞の後ろに来るのが一般的で、下五の「遊びたきや」というのが、ぎこちない感じを受けるのである。
荒海や佐渡に横たふ天の河 (芭蕉)
夏草や兵どもが夢の跡 (同 )
古池や蛙飛び込む水の音 (同 )
詩人清水昶は、詩人三好達治の俳句には関心があって、「現代詩を再構築する道は、どうやら達治が模索した俳句の世界に、まだ、火種がのこっているような気がする」(「現代詩手帖」二〇〇年一〇月号所収「現代詩の終焉へ向けて…三好達治」)と、現代詩と決別して、俳句の道に踏み入れて行ったのは、三好達治の俳句に傾倒したのが、その切っ掛けのようなのである。
その三好達治の俳句というのは、この「や」切りの句などについても、いずれも、俳句の骨法を中心に据えたもので、スタイル的に、掲出の清水昶のような違和感を与えるものではない。
菜の花やかずきやすまぬかいつぶり (三好達治)
艸木瓜や山火事ちかく富士とほし (同上)
ゆく年や山にこもりて山の酒 (同上)
夏風やてんたう虫を指の先 (同上)
こすもすや干し竿を青き蜘蛛わたる (同上)
三好達治は、その中学生時代に、高浜虚子の「ホトトギス」などで俳句に熱中していたことは、その年譜には記されている。それに比して、清水昶の方は、そのスタート時点は、俳句よりも短歌に関心があって、詩の世界の方に入ってからは、ほとんど、詩一本槍で、おそらく、俳句の基礎的な修練というのは経ていないように思われる。
それに比して、清水昶の兄の清水哲男の方は、京都の学生時代から俳句の道に入り、長いキャリアがあり、「詩と俳句」との両刀使いの趣なのだが、昶の場合は、やはり、本技が「詩」で、「俳句」は余技という印象は拭えない。
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