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五六 目薬を一滴させば春の月
「春の月」は朧月に代表される。「歳時記」などには、「空気中の水分が増す春は、月も潤んだ感じがする。『秋の月はさやけきを賞で、春の月は朧なるを賞づ』と昔から言われる。月といえば秋の月をさすので、春の一字を加えて春季とする」との記述が見られる。
詩人清水昶が、インターネットの俳句の世界に本格的に足を踏み入れたのは、還暦に前後する頃で、その年齢になると誰しも白内障のようなかすみ目のような症状を呈することと、この掲出句は関係するような雰囲気である。
この句も、季語の「春の月」の説明的なニュアンスで、平明な、どちらかというと、月並みな句の範疇のものであろう。
清水昶は、「現代詩と俳句、この相容れない器をひとつの感情として使用する事は出来ないものだろうか。俳句をビールの摘みとして、詩を酒の肴といったぐあい」(『現代詩手帖2000年10月号』所収「現代詩の終焉へ向けて…三好達治」)と軽い提言をしているが、事実、そういうニュアンスで作句していたという雰囲気でなくもない。
そして、そういう、「俳句をヒールの摘み」というような姿勢が、ともすると、鑑賞する側に立つと、余りにも安易的過ぎるという印象が濃厚になってしまうような雰囲気なのである。
上記の「春の月」の解説は、インターネットの一般的なものうちからの引用なのであるが、そこに例句として次のようなものが挙げられていた。
清水の上から出たり春の月 許六 「正風彦根蓁躰」
春月や印金堂の木の間より 蕪村 「蕪村句集」
浅川や鍋すゝぐ手に春の月 一茶 「文化句帖」
肥うつて棚田しづかや春の月 前田普羅 「飛騨紬」
春の月ふけしともなくかゞやけり 日野草城 「花氷」
春の月大輪にして一重なる 長谷川櫂 「古志」
あたらしき畝光けり春の月 高田正子 「花実」
これらの例句と比較して、例えば、許六・蕪村の「清水(堂)」「印金堂」と「春の月」の「取り合わせ」とか、一茶・普羅の「鍋すすぐ手」「肥うつて」の「具象的な実景的描写」、そして、草城・櫂・正子の「ふけしともなくかがやく」「大輪にして一重なる」「あたらしき畦光る」の「固有の発見」などに比して、やはり、一種の「物足りなさ」を感じてしまうのである。
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