|
五七 葱坊主園児の列を見送れり
「葱坊主」を擬人化しての一句である。「擬人化」というのも、古俳諧でいうところの「見立て」(対象を他のものになぞらえて表現すること)のそれといえるものであろう。この「見立て」は談林俳諧などで顕著に見られる俳諧(付合)の技法の一つであるが、俳人という俳人が、しばしば、この見立ての応用による句作りをして憚らないと言っても差し支えなかろう。この昶の句には、そういった俳諧が本来的に有している「見立て・擬人化」などを意識的に試行している印象ではなく、ごく自然に浮かんだままに一句にしているという印象である。
例えば、次の上田五千石の「擬人化・見立て」の句に比して、やはり、思いつきの一句という印象は拭えない。
剥落の氷衣の中に滝自身 五千石
昭和五十年作。第二句集『森林』所収。
見立てと擬人化のオンパレード、かなりしつこい句ではある。
凍滝にかかる「剥落」は見立てであり、「滝自身」は滝の擬人化と言えるだろう。そして極めつけは「氷衣」だ。これは「ひょうい」と読ませる造語らしい。ただこの「氷衣」、強引な語彙ではあるが自然に受取れなくもなく、音では「憑依」も感じさせて、この句では面白い効果を生んでいる。こういうしつこい句、私は嫌いではないのだ。
*
この句は、冬の滝を詠んだ連作と思しき四句の最初の一句で、他に、
凍滝の膝折るごとく崩れけり
氷結の戻らねば滝やつれたり
涸滝をいのちと祀る三戸はも
が続いている。最後の句は「涸滝」であるから、一連とは云えないか―。
五千石の句集には地名をはじめとする前書のある句が割合多く、この『森林』もそれに洩れないが、掲句を含む連作には前書は無い。『上田五千石全句集』(*2)の「『森林』補遺」のこの時期には当該句の掲載がないことから、この関連はこの四句がすべてと推測される。このことから、これらがどこで詠まれた句かは定かでなく、吟行の際の即吟ではないように思われるが、「凍滝」等の題詠だという証拠も無い。
|
全体表示
[ リスト ]



